売れ残り同士、結婚します!
6話 相談
*****
「え?何言ってんの?」
「やっぱそうなるよね……」
「いやだって!高校時代の約束?再会?からの結婚?いやいやいや……えーっと、それは漫画の世界か何か?」
「……私もそう思います……」
数時間後。佐藤先生改め、由紀乃と職場近くの居酒屋に入った私はビールを片手に声を顰めつつ冬馬のことを相談していた。
由紀乃の言う通り、漫画やドラマの話のようで友達には少し相談しづらい。
まぁ、そもそも加奈子も蘭ちゃんもなかなか予定が合わないし、莉子に至っては地元に残っているためしばらく会えていない。
対して由紀乃は職場も同じだし、年も同じで独身という点も同じ。
長年付き合っている彼がおり、男性の気持ちというものも少なからず知っているはず。
私にとっては一番相談しやすい相手なのだ。
「しずくのことだから絶対仕事の相談だと思ってた」
「だよね。私が恋愛相談なんて自分でもびっくりしてる」
「しかも想像以上にぶっ飛びすぎてて笑える」
もう酔っているのか、ケラケラと笑う由紀乃に対して私は残念ながらあまり笑えない。
ビールを飲んでも酔えもせず、由紀乃の分と一緒に追加注文した。
待っている間、由紀乃は空っぽになったジョッキを見つめながら
「でもすごいなあ。本当にそんな漫画みたいな話あるんだなあー……」
と感心したように頬杖をつく。
「しかも相手は弁護士なんでしょ?司法試験受かるだけでもすごいのに。弁護士なんていくらその人が"なりたい"と思ってても誰でもなれる職業じゃないし。本当すごいね」
「うん。私もまさか弁護士になってるなんて思わなかった」
高校時代、私たちは将来については何も語ることはなかった。
多分、お互い高卒で就職するつもりだとわかっていたから。
莉子とふみくんがよく"四人で同じ大学に行けたらいいね"なんて言っていたのを微笑ましく見つめながら、私は"そうだね"といい、冬馬は肯定も否定もしなかったのを覚えている。
卒業式の日、初めてお互いの進路について話したくらいだ。
私が専門学校に行くと言ったから、冬馬も話してくれたんだと思う。
「それに加えて所属は大手の法律事務所なんでしょ?……エリートのイケメン弁護士からのプロポーズなんて、非現実的すぎて私には想像もつかないよ」
羨ましそうな表情に頷くと、
「どうしたの?何か不安なことでもあるの?」
と首を傾げられた。
「……ずっと昔から好きだったって言われたの」
「え!昔からって!?」
「あの約束をする前からって……。でも、私にはそんな長い間想ってもらえるような魅力なんて無いのにって思って」
「それで勝手に不安になって落ち込んでんの?」
「うん……」
「何言ってんの。あんた魅力の塊じゃない」
「え?」
「しずくがうちに転職してきた当初、保護者たちが騒ついたのよ?」
当たり前のように言う由紀乃に、今度は私が首を傾げる番だった。
「化粧っ気も無いのに目鼻立ちがはっきりしてて、笑顔が可愛いすーごい美人な先生がいるってすごい噂になったんだよ?」
「え……全然知らない……それ私のこと?」
「もちろん。可愛くて仕事ができて性格も良くて何事にもストイックで一生懸命で。なのに少し抜けててさ。ほっとけないって言うのかな」
「……」
「弱音も吐かなくて頑張りすぎるところがあるから心配になるけど。そういうところ、男心をくすぐるんじゃないかな」
「お、男心……」
初めて言われた言葉の数々に、それが自分に当てはまるなんて到底思えない。
けれど「私はその彼の気持ち、よくわかる。しずく可愛いもん。私も男だったら惚れてる」と由紀乃に頷かれてしまえば、何も言えない。
「それは置いといて。しずくはどうなの?」
「……え?」
「しずくは、その彼のことどう思ってるの?約束の時点で頷いてるってことは、しずくも少しは気持ちあるの?」
由紀乃に聞かれて、瞬間的に頬を染めた。
「……あ、その反応は満更でもない感じだね?」
にやけた視線を浴びつつ、秘めていた想いを言葉に紡ぐ。
「……本当は、高校生の頃。私もずっとアイツのことが好きだったの」
「え!そうなの!?」
今度は驚きに変わった由紀乃の顔に、数回頷いた。
実は、私はずっと冬馬のことが好きだった。
というのも、莉子とふみくん繋がりで仲良くなった私たちは、少し境遇が似ていたのだ。
私が小学生の頃に弟の雅弥が産まれて、その後すぐに母親の病気が発覚。頼れる親戚も近くにおらず、父親は仕事と母親のお見舞いで忙しかったため、私がお母さん代わりになって生まれたばかりの雅弥を毎日お世話していた。
最初はミルクの作り方もわからないし、沐浴の仕方もよくわからない。
お父さんも私が赤ちゃんだった時から十年以上経ってるからほとんど覚えていなかったらしく、頼みの綱のお母さんは入院中。
育児書を読み漁ってネットで検索して。試行錯誤しながら頑張るしかなくて、慣れるまでがまず大変だった。
少し慣れてきても、家事に育児に自分の勉強に、お母さんのお見舞いにも行きたくて。
目まぐるしく過ぎゆく日々の中で、自分の自由な時間なんて全く無いに等しかった。
冬馬は冬馬で、母子家庭に育ち三つ下に双子の姉妹がいたため経済的に余裕が無く、毎日バイト三昧。
高校生の働ける時間ギリギリまでシフトを入れて土日や長期休暇は丸一日働き、もらったお給料のほとんどを家計に入れていた。
修学旅行も、その金額がもったいないからと自分の分は諦めて、代わりに妹たちの修学旅行代に回していたのを知っている。
お互い放課後に友達と遊びに行くこともせず、休みの日に自由に外出することもせず。
たまに弱音を吐きたくなる日もあったけれど、そういう時は事情を知っている冬馬が話を聞いてくれた。
私よりも明らかに冬馬の方が大変だったのに、冬馬は文句を言うどころかとても親身に話を聞いてくれた。
私の気持ちを否定せずに、ただそばにいて私の気持ちを聞いてくれた。冬馬にならつらい気持ちを話せた。
"お前は頑張ってるよ"
その言葉に、どれほど救われたか。
反対に冬馬からも色々な話を聞いて、"私ももっと頑張ろう""私が弱音吐いてる場合じゃない"って。"家族のために頑張ろう"って。元気をもらっていた。
莉子やふみくんも事情を知っていたため寄り添ってくれるし心配もしてくれるけれど、本当の意味で複雑な気持ちを理解してくれるのは冬馬だけだった。
今思うとお互い"ヤングケアラー"というやつだったのだろう。それが当たり前だと思って生きてきたから美談にするつもりもないし、当時はそんなこと考えている余裕もなかった。
冬馬がどう思っていたかはわからないけれど、あの頃の私にとっては冬馬は唯一の理解者だったのだ。
次第に目で追うようになっていて、そして気が付いた時にはその優しさと強さに惹かれていた。
冬馬に会うために学校に行く私がいて、冬馬と顔を合わせるだけで胸が高鳴って。
それが恋だと、すぐに自覚した。
でも、この気持ちを伝えることはしないとも、想いを自覚した時から決めていた。
"弟が大きくなるまでは、しっかり私が面倒を見る"
そう、決めたから。
私とは十三歳離れている弟の雅弥。今はあの頃の私と同じ高校生になったけれど、当時はまだ五歳くらいだった。
朝保育園に送り届けてから学校に行き、放課後は一番にお迎えに行く。三人分の食事も私が作って家事も一手に引き受けて。休みの日は雅弥を遊びに連れて行き。少しでも時間ができればお母さんのところへお見舞いに向かい、雅弥の話をしたり学校での話をした。
お母さんが病気になった時に自分で全部決めたことだったけれど、毎日が本当に忙しかった。
だから自分から気持ちを伝えたところで、デートをする暇も無い。一緒に帰るにも保育園に寄らないといけなくて、二人きりで帰れない。そんなの、付き合ってると言えるのか?付き合う意味があるのか?と思ってしまった。
仮に気持ちを伝えてOKをもらったところで、冬馬は冬馬で毎日のようにバイトを掛け持ちしていたからそんな暇は無かった。
お互い、誰かと付き合うことには向いていない境遇だったのだ。
学校で顔を合わせて、少し話して。それだけで良かった。それ以上は何も望まなかった。
莉子とふみくんが別れて必然的に冬馬とも疎遠になってしまった時も、そういうものなんだと自分に言い聞かせた。忘れろってことなんだろうと、何度も自分に言い聞かせた。
「……だからあの卒業式の日、本当はすごく嬉しくて。全然素直には言えなかったけど、でも嬉しかったの」
三十歳でお互いフリーだったら、なんて。普通は馬鹿にしてるのかって思うだろうけれど。
私は、そんな境遇があったから恋愛なんて諦めてたし、本当は嬉しかった。
私だって、全く気持ちがない人からの話だったら、頷いたりなんかしない。
冬馬だから、約束した。冬馬じゃなかったら、頷かなかった。
だから、実際にその約束が果たされなかったとしても。それを糧にいくらでも頑張れた。
「しずくも大変だったんだね。……でもそう考えると、なんか運命的だなあ」
「え?」
「だって、つまりずっと二人は両想いだったわけでしょ?そしたら、高校で仲良くなって好きになったことも、卒業式でそんな約束をしたことも、このタイミングで再会したことも、ずっとお互いを想い合っていたことも、お互いの職場がすぐそこだったことも。……全部単なる偶然じゃないみたいで面白い」
運命的。そんな言葉、考えたこともなかったけれど。
「あ、ロマンチストすぎる?私そういうの好きだから、引いたらごめん」
「……ううん。私もそういうの結構好き」
「そう?良かった」
「うん。言われてみれば確かにそうかも。運命かぁ……。そういうのって本当にあるのかなあ……」
「そこまで偶然が重なると、信じてみたくならない?」
「うん。なる」
少し、夢見てしまう。
「それに、どうやら身体の相性も良かったみたいだしね?」
「なっ……もうっ!それは言わないで!」
「ハハッ、ごめんごめん。でも、しずくの気持ちもその人の方を向いてるなら、私は全力で応援するよ」
「……うん。ありがとう」
「しずくはまだ返事してないんでしょ?まずは、想ってること全部言っちゃいなよ」
「うん」
驚いているうちに返事をするタイミングを逃してしまっていた私。
由紀乃の笑顔に、勇気をもらった気がした。
「さ、そうと決まったら景気付けに飲も!」
かんぱーい!と今日何度目かのジョッキを合わせた私たちは、由紀乃の恋愛話や仕事の話をしているうちにあっという間に時間は経ち。
「今日はありがとう」
「ううん。私も楽しかった。じゃあまた月曜日ね」
手を振って由紀乃と別れ、電車に乗って自宅へ帰る。
あとで連絡すると冬馬は言っていたけれど、二十二時を過ぎても連絡は無い。
何度もスマートフォンを確認しては、全く時間が経っていないことに気が付いてため息を吐く。
仕事で忙しいのだろう。私は明日も休みだから、もう少し起きていよう。
気を紛らわせるために録画していたドラマを流しながらはちみつたっぷりのホットミルクを作った。
マグカップを片手にソファに座り、オフィスラブものもいいなぁ、なんて楽しんでいると、ようやくスマートフォンが着信を知らせた。
「もしもし?」
『しずくか?悪い、思ったより仕事が長引いて遅くなった。寝てた?』
声を聞くと同時に自然と口角が上がり、胸が温かくなるのを感じる。
「ううん。録画したドラマ見てた。仕事お疲れ様」
『あぁ、さんきゅ』
どうやら冬馬は帰り道の途中らしく、外を歩く音がする。
「いつも帰りはこんな遅い時間なの?」
『日によるかな。平日は裁判所から直帰の日もあるし、土日は今日みたいな無料相談会の後にクライアントに会ったり週明けの裁判に向けて資料作ったり。まぁ日が登ってるうちに帰る方が珍しいかな』
「そっか。やっぱりすごいなあ。冬馬、今も頑張ってるんだね」
由紀乃の言う通り、弁護士になるのはとても難しいということは私でも知っている。
その試験に合格して、何年も第一線で活躍しているのだと思うと本当に尊敬しかない。
『買い被りすぎだろ。……しずくは?明日からまた仕事か?』
「うん。今年長さんの担任なの。来月発表会があるからしばらく忙しくなりそう」
それが終われば十二月のクリスマスの準備、年が明ければ今度は一気に卒園に向けて動き出す。
『そうか。無理すんなよ?いつでも話聞くから』
「ありがとう。そういう冬馬もね」
『あぁ』
そこで会話が途切れ、冬馬も家に着いたのかスピーカーの向こうからコンシェルジュらしき人の声がする。
エレベーターを降りて、部屋に入っただろうタイミングで
「……ねぇ、冬馬」
と口を開いた。
『ん?どうした?』
「来週、もし時間があったらどこかで会いたい。プロポーズの返事、直接したいから」
『……それは、期待してもいいやつ?』
「……うん。冬馬が直接伝えてくれたんだもん。私も、思ってることちゃんと顔見て伝えたい」
『わかった。意地でも予定空けるから。……楽しみにしてる』
その言葉を聞いて、今日はもう遅いからと電話を切る。
私も自分の気持ちを告げるために、仕事を頑張ろうと胸に決めてベッドに潜り込んだ。
その日からしばらく、夢の中でも冬馬が私に優しく笑いかけてくれていた。
「え?何言ってんの?」
「やっぱそうなるよね……」
「いやだって!高校時代の約束?再会?からの結婚?いやいやいや……えーっと、それは漫画の世界か何か?」
「……私もそう思います……」
数時間後。佐藤先生改め、由紀乃と職場近くの居酒屋に入った私はビールを片手に声を顰めつつ冬馬のことを相談していた。
由紀乃の言う通り、漫画やドラマの話のようで友達には少し相談しづらい。
まぁ、そもそも加奈子も蘭ちゃんもなかなか予定が合わないし、莉子に至っては地元に残っているためしばらく会えていない。
対して由紀乃は職場も同じだし、年も同じで独身という点も同じ。
長年付き合っている彼がおり、男性の気持ちというものも少なからず知っているはず。
私にとっては一番相談しやすい相手なのだ。
「しずくのことだから絶対仕事の相談だと思ってた」
「だよね。私が恋愛相談なんて自分でもびっくりしてる」
「しかも想像以上にぶっ飛びすぎてて笑える」
もう酔っているのか、ケラケラと笑う由紀乃に対して私は残念ながらあまり笑えない。
ビールを飲んでも酔えもせず、由紀乃の分と一緒に追加注文した。
待っている間、由紀乃は空っぽになったジョッキを見つめながら
「でもすごいなあ。本当にそんな漫画みたいな話あるんだなあー……」
と感心したように頬杖をつく。
「しかも相手は弁護士なんでしょ?司法試験受かるだけでもすごいのに。弁護士なんていくらその人が"なりたい"と思ってても誰でもなれる職業じゃないし。本当すごいね」
「うん。私もまさか弁護士になってるなんて思わなかった」
高校時代、私たちは将来については何も語ることはなかった。
多分、お互い高卒で就職するつもりだとわかっていたから。
莉子とふみくんがよく"四人で同じ大学に行けたらいいね"なんて言っていたのを微笑ましく見つめながら、私は"そうだね"といい、冬馬は肯定も否定もしなかったのを覚えている。
卒業式の日、初めてお互いの進路について話したくらいだ。
私が専門学校に行くと言ったから、冬馬も話してくれたんだと思う。
「それに加えて所属は大手の法律事務所なんでしょ?……エリートのイケメン弁護士からのプロポーズなんて、非現実的すぎて私には想像もつかないよ」
羨ましそうな表情に頷くと、
「どうしたの?何か不安なことでもあるの?」
と首を傾げられた。
「……ずっと昔から好きだったって言われたの」
「え!昔からって!?」
「あの約束をする前からって……。でも、私にはそんな長い間想ってもらえるような魅力なんて無いのにって思って」
「それで勝手に不安になって落ち込んでんの?」
「うん……」
「何言ってんの。あんた魅力の塊じゃない」
「え?」
「しずくがうちに転職してきた当初、保護者たちが騒ついたのよ?」
当たり前のように言う由紀乃に、今度は私が首を傾げる番だった。
「化粧っ気も無いのに目鼻立ちがはっきりしてて、笑顔が可愛いすーごい美人な先生がいるってすごい噂になったんだよ?」
「え……全然知らない……それ私のこと?」
「もちろん。可愛くて仕事ができて性格も良くて何事にもストイックで一生懸命で。なのに少し抜けててさ。ほっとけないって言うのかな」
「……」
「弱音も吐かなくて頑張りすぎるところがあるから心配になるけど。そういうところ、男心をくすぐるんじゃないかな」
「お、男心……」
初めて言われた言葉の数々に、それが自分に当てはまるなんて到底思えない。
けれど「私はその彼の気持ち、よくわかる。しずく可愛いもん。私も男だったら惚れてる」と由紀乃に頷かれてしまえば、何も言えない。
「それは置いといて。しずくはどうなの?」
「……え?」
「しずくは、その彼のことどう思ってるの?約束の時点で頷いてるってことは、しずくも少しは気持ちあるの?」
由紀乃に聞かれて、瞬間的に頬を染めた。
「……あ、その反応は満更でもない感じだね?」
にやけた視線を浴びつつ、秘めていた想いを言葉に紡ぐ。
「……本当は、高校生の頃。私もずっとアイツのことが好きだったの」
「え!そうなの!?」
今度は驚きに変わった由紀乃の顔に、数回頷いた。
実は、私はずっと冬馬のことが好きだった。
というのも、莉子とふみくん繋がりで仲良くなった私たちは、少し境遇が似ていたのだ。
私が小学生の頃に弟の雅弥が産まれて、その後すぐに母親の病気が発覚。頼れる親戚も近くにおらず、父親は仕事と母親のお見舞いで忙しかったため、私がお母さん代わりになって生まれたばかりの雅弥を毎日お世話していた。
最初はミルクの作り方もわからないし、沐浴の仕方もよくわからない。
お父さんも私が赤ちゃんだった時から十年以上経ってるからほとんど覚えていなかったらしく、頼みの綱のお母さんは入院中。
育児書を読み漁ってネットで検索して。試行錯誤しながら頑張るしかなくて、慣れるまでがまず大変だった。
少し慣れてきても、家事に育児に自分の勉強に、お母さんのお見舞いにも行きたくて。
目まぐるしく過ぎゆく日々の中で、自分の自由な時間なんて全く無いに等しかった。
冬馬は冬馬で、母子家庭に育ち三つ下に双子の姉妹がいたため経済的に余裕が無く、毎日バイト三昧。
高校生の働ける時間ギリギリまでシフトを入れて土日や長期休暇は丸一日働き、もらったお給料のほとんどを家計に入れていた。
修学旅行も、その金額がもったいないからと自分の分は諦めて、代わりに妹たちの修学旅行代に回していたのを知っている。
お互い放課後に友達と遊びに行くこともせず、休みの日に自由に外出することもせず。
たまに弱音を吐きたくなる日もあったけれど、そういう時は事情を知っている冬馬が話を聞いてくれた。
私よりも明らかに冬馬の方が大変だったのに、冬馬は文句を言うどころかとても親身に話を聞いてくれた。
私の気持ちを否定せずに、ただそばにいて私の気持ちを聞いてくれた。冬馬にならつらい気持ちを話せた。
"お前は頑張ってるよ"
その言葉に、どれほど救われたか。
反対に冬馬からも色々な話を聞いて、"私ももっと頑張ろう""私が弱音吐いてる場合じゃない"って。"家族のために頑張ろう"って。元気をもらっていた。
莉子やふみくんも事情を知っていたため寄り添ってくれるし心配もしてくれるけれど、本当の意味で複雑な気持ちを理解してくれるのは冬馬だけだった。
今思うとお互い"ヤングケアラー"というやつだったのだろう。それが当たり前だと思って生きてきたから美談にするつもりもないし、当時はそんなこと考えている余裕もなかった。
冬馬がどう思っていたかはわからないけれど、あの頃の私にとっては冬馬は唯一の理解者だったのだ。
次第に目で追うようになっていて、そして気が付いた時にはその優しさと強さに惹かれていた。
冬馬に会うために学校に行く私がいて、冬馬と顔を合わせるだけで胸が高鳴って。
それが恋だと、すぐに自覚した。
でも、この気持ちを伝えることはしないとも、想いを自覚した時から決めていた。
"弟が大きくなるまでは、しっかり私が面倒を見る"
そう、決めたから。
私とは十三歳離れている弟の雅弥。今はあの頃の私と同じ高校生になったけれど、当時はまだ五歳くらいだった。
朝保育園に送り届けてから学校に行き、放課後は一番にお迎えに行く。三人分の食事も私が作って家事も一手に引き受けて。休みの日は雅弥を遊びに連れて行き。少しでも時間ができればお母さんのところへお見舞いに向かい、雅弥の話をしたり学校での話をした。
お母さんが病気になった時に自分で全部決めたことだったけれど、毎日が本当に忙しかった。
だから自分から気持ちを伝えたところで、デートをする暇も無い。一緒に帰るにも保育園に寄らないといけなくて、二人きりで帰れない。そんなの、付き合ってると言えるのか?付き合う意味があるのか?と思ってしまった。
仮に気持ちを伝えてOKをもらったところで、冬馬は冬馬で毎日のようにバイトを掛け持ちしていたからそんな暇は無かった。
お互い、誰かと付き合うことには向いていない境遇だったのだ。
学校で顔を合わせて、少し話して。それだけで良かった。それ以上は何も望まなかった。
莉子とふみくんが別れて必然的に冬馬とも疎遠になってしまった時も、そういうものなんだと自分に言い聞かせた。忘れろってことなんだろうと、何度も自分に言い聞かせた。
「……だからあの卒業式の日、本当はすごく嬉しくて。全然素直には言えなかったけど、でも嬉しかったの」
三十歳でお互いフリーだったら、なんて。普通は馬鹿にしてるのかって思うだろうけれど。
私は、そんな境遇があったから恋愛なんて諦めてたし、本当は嬉しかった。
私だって、全く気持ちがない人からの話だったら、頷いたりなんかしない。
冬馬だから、約束した。冬馬じゃなかったら、頷かなかった。
だから、実際にその約束が果たされなかったとしても。それを糧にいくらでも頑張れた。
「しずくも大変だったんだね。……でもそう考えると、なんか運命的だなあ」
「え?」
「だって、つまりずっと二人は両想いだったわけでしょ?そしたら、高校で仲良くなって好きになったことも、卒業式でそんな約束をしたことも、このタイミングで再会したことも、ずっとお互いを想い合っていたことも、お互いの職場がすぐそこだったことも。……全部単なる偶然じゃないみたいで面白い」
運命的。そんな言葉、考えたこともなかったけれど。
「あ、ロマンチストすぎる?私そういうの好きだから、引いたらごめん」
「……ううん。私もそういうの結構好き」
「そう?良かった」
「うん。言われてみれば確かにそうかも。運命かぁ……。そういうのって本当にあるのかなあ……」
「そこまで偶然が重なると、信じてみたくならない?」
「うん。なる」
少し、夢見てしまう。
「それに、どうやら身体の相性も良かったみたいだしね?」
「なっ……もうっ!それは言わないで!」
「ハハッ、ごめんごめん。でも、しずくの気持ちもその人の方を向いてるなら、私は全力で応援するよ」
「……うん。ありがとう」
「しずくはまだ返事してないんでしょ?まずは、想ってること全部言っちゃいなよ」
「うん」
驚いているうちに返事をするタイミングを逃してしまっていた私。
由紀乃の笑顔に、勇気をもらった気がした。
「さ、そうと決まったら景気付けに飲も!」
かんぱーい!と今日何度目かのジョッキを合わせた私たちは、由紀乃の恋愛話や仕事の話をしているうちにあっという間に時間は経ち。
「今日はありがとう」
「ううん。私も楽しかった。じゃあまた月曜日ね」
手を振って由紀乃と別れ、電車に乗って自宅へ帰る。
あとで連絡すると冬馬は言っていたけれど、二十二時を過ぎても連絡は無い。
何度もスマートフォンを確認しては、全く時間が経っていないことに気が付いてため息を吐く。
仕事で忙しいのだろう。私は明日も休みだから、もう少し起きていよう。
気を紛らわせるために録画していたドラマを流しながらはちみつたっぷりのホットミルクを作った。
マグカップを片手にソファに座り、オフィスラブものもいいなぁ、なんて楽しんでいると、ようやくスマートフォンが着信を知らせた。
「もしもし?」
『しずくか?悪い、思ったより仕事が長引いて遅くなった。寝てた?』
声を聞くと同時に自然と口角が上がり、胸が温かくなるのを感じる。
「ううん。録画したドラマ見てた。仕事お疲れ様」
『あぁ、さんきゅ』
どうやら冬馬は帰り道の途中らしく、外を歩く音がする。
「いつも帰りはこんな遅い時間なの?」
『日によるかな。平日は裁判所から直帰の日もあるし、土日は今日みたいな無料相談会の後にクライアントに会ったり週明けの裁判に向けて資料作ったり。まぁ日が登ってるうちに帰る方が珍しいかな』
「そっか。やっぱりすごいなあ。冬馬、今も頑張ってるんだね」
由紀乃の言う通り、弁護士になるのはとても難しいということは私でも知っている。
その試験に合格して、何年も第一線で活躍しているのだと思うと本当に尊敬しかない。
『買い被りすぎだろ。……しずくは?明日からまた仕事か?』
「うん。今年長さんの担任なの。来月発表会があるからしばらく忙しくなりそう」
それが終われば十二月のクリスマスの準備、年が明ければ今度は一気に卒園に向けて動き出す。
『そうか。無理すんなよ?いつでも話聞くから』
「ありがとう。そういう冬馬もね」
『あぁ』
そこで会話が途切れ、冬馬も家に着いたのかスピーカーの向こうからコンシェルジュらしき人の声がする。
エレベーターを降りて、部屋に入っただろうタイミングで
「……ねぇ、冬馬」
と口を開いた。
『ん?どうした?』
「来週、もし時間があったらどこかで会いたい。プロポーズの返事、直接したいから」
『……それは、期待してもいいやつ?』
「……うん。冬馬が直接伝えてくれたんだもん。私も、思ってることちゃんと顔見て伝えたい」
『わかった。意地でも予定空けるから。……楽しみにしてる』
その言葉を聞いて、今日はもう遅いからと電話を切る。
私も自分の気持ちを告げるために、仕事を頑張ろうと胸に決めてベッドに潜り込んだ。
その日からしばらく、夢の中でも冬馬が私に優しく笑いかけてくれていた。
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