売れ残り同士、結婚します!
1話 再会
少しの肌寒さが残り、どこかから金木犀の甘い香りが漂ってくる十月上旬。
仕事が休みの土曜日に訪れた場所は、都内でも有数の高級ホテルだ。
自分が場違いに感じてしまうほどの煌びやかな内装は、まるで映画の世界に迷い込んでしまったかのよう。
その中の大ホール、見渡す限り白を基調とした爽やかな空間に、色鮮やかな様々な花が並ぶ。
受付で渡されたチョコレートに刺さる旗に記載されている五番テーブルまで向かうと、"大河原 しずく様"と書かれた席を見つけてそこに腰掛けた。
今日は専門学校時代の友人の結婚式。三十分ほど前に挙式を終えこの大ホールに移動してきて、あと少しで披露宴が始まる。
次々に席に着く招待客を流し見しながら、荷物を自分の足元に置いた。
「加奈子、席ここだよ」
「ありがとう。トイレすごい混んでた」
「本当?私も後で行こうかな」
「もうすぐ始まるし、お色直しの時に行くといいよ」
「そうだね」
「……それにしても、あんなに"一人で生きていく"って言ってた蘭ちゃんがスピード婚するなんて、私今だに信じられない」
私の隣に腰掛けた友人の加奈子が、そう言いながら嬉しそうにスタッフにシャンパンを頼む。
私も同じものを注文して、加奈子に顔を向けた。
「私も。それにしてもすごいよね。お互いが一目惚れしたんだって?それですぐにプロポーズして結婚。なんかドラマ見てるみたいだね」
「だよね。しかも旦那さんのご両親、結構大きな会社経営してるんだって」
「え、じゃあ将来的には旦那さんが?」
「普通に考えればそういうことになるよね。本当、蘭ちゃんすごいよ」
しみじみと呟く加奈子は、ため息を一つこぼす。
その姿がなんだか憂いを帯びているような気がして、口を開いた。
「……加奈子ももうそろそろ?こっちでできた彼氏さんと長いんでしょ?」
「うん……。私はそろそろって思ってるけど、向こうが中々腹括ってくれなくて。結婚するならもちろん子どもも欲しいし将来的には家も買いたいし。五年も付き合ってるんだからそろそろけじめつけてほしいよ」
呆れたように呟くけれど、加奈子はすでにその彼氏さんと同棲を始めており、結婚までは秒読みだということは知っている。
「彼氏さんとそういう話はしてないの?」
「しても"もうちょっと貯金してから"とか言ってはぐらかされるんだもん」
「おぉ……」
確かに都内は何かと物価が高い。だから貯金も重要だけれど、今年三十路を迎える私たちにとってはそう話を逸らされると焦ってしまうもの。加奈子がため息も吐きたくなるのも仕方ない。
「まぁお盆に地元に帰って両家の挨拶は済んでるし、もう三十だし。親同士の方が盛り上がっちゃってるから意地でも一年以内には結婚してやろうと思ってるよ」
腹を括っているのだろう。鼻息荒くそう言う加奈子が頼もしくてすごくかっこいい。
「うん、応援してる。加奈子の結婚報告楽しみにしてるからね」
「ありがとう。……それよりしずくは最近どうなの?彼氏できた?」
今度は私の番、とでも言いたげに聞いてくる加奈子に、私は
「うーん……」
と苦笑いした。
「……それが、全然。相変わらず出会いも無いし、私はまだまだ仕事が恋人だよ」
運ばれてきた乾杯用のシャンパンの泡を見つめながら言うと、加奈子は私の顔を見て何も言えなくなってしまったのか、
「そっか……。でもこういう場での出会いもあるって言うよね。いい人いないか探してみよう!」
と励ましてくれる。
それに薄く微笑んでいると、
「新郎新婦の入場です」
と司会者の声が聞こえ、照明が暗くなる。
ホールの扉が開くと、ウェディングドレス姿の蘭ちゃんの満面の笑顔が目に入った。
色とりどりの鮮やかな花でできたブーケが真っ白なドレスによく映える。
幸せそうにこちらのテーブルに手を振る蘭ちゃんに、加奈子と揃って手を振り返した。
地方の高校卒業後、保育士になるべく専門学校へ進学。三年間地元の保育園で働いてから上京してきた私は、現在都内の保育園で働く現役保育士。つい最近三十路の誕生日を迎えたばかりだ。
仕事に邁進している間に地元の友人たちの結婚ラッシュも落ち着き始め、専門学校時代に仲が良かったグループのうち、上京してきた私と加奈子以外は全員既婚者となった。すでにママになって子育てに奮闘している子もたくさんいる。
地元では女性は二十五歳までに結婚するのが華。
それを過ぎれば徐々にお見合い話も来なくなり、売れ残り確定と言っても過言ではない。
都内なら三十代独身でもなんらおかしくはないだろうと思う。
だけど実際に三十路を迎えたことにより"まだ二十代だから"という免罪符が使えなくなってしまったのは地味にショックが大きかった。
二十九歳と三十歳では、数字以上に気持ちが大きく変わる。
……加奈子も結婚秒読みだし、私だけ売れ残っちゃったなあ。
自分で思い浮かべた"売れ残り"という言葉に、胸がズキンと痛む。
しかし出会いも無ければ何年も彼氏もいない。
結婚願望は昔からあるけれど、過去の恋愛でもあまりうまくいかずに振られてばかりだった。
あまり自分に自信が無く積極的になれないため、"本当に俺のことが好きなのかわからない"と言われてしまう。
そのたびに"どうせ私なんて"と思って仕事に逃げてきたのが理由の一つだろう。
他にも思い当たる節があり、私は恋愛に向いていないんだろうなとさえ思ってしまう。
わかっているからこそ、こうやってふとした瞬間に現実を突きつけられると途方も無く虚しくなってしまうのだ。
「ね、しずく。あっちの新郎側の友人席にいる人たち、遠目から見ても結構イケメン揃いじゃない?どう?タイプの人とかいる?」
「え?」
新郎新婦がお色直しに向かっている間、私に気を遣っているのか肩に手を置かれた。言われた通りに後方の席に視線を向けると、新郎の友人たちらしき男性陣がこちらをちらちらと伺っている。どうやら向こうは向こうでこちらの女性陣を品定めしているようだ。
「うーん……遠くてなんとも……」
しかし会場が広いからか、向こうの席とはだいぶ離れてしまっていてあまりよく見えない。
人の顔がぼやける中で、不意にある一人の男性と視線がぴったり交わった。
「……え……?」
「ん?いい人いた?」
「……いや……」
「そう?やっぱ遠くてよく見えないかー」
「……」
加奈子に答えることもできないまま、私はそのまま少しも動くことができずに呆然と固まる。
遠くてもわかる、向こうも私を見て同じように硬直していた。
……なんで?どうしてここに、アイツがいるの?
"俺のこと、忘れんなよ"
淡い記憶と、優しい声が蘇る。
「……冬馬……?」
呟いた瞬間、再び照明が落ちて正気に戻る。
スポットライトの光が私の頭上からぐるりと回り、弧を描くように反対側の扉を照らした。
暗闇の中でドクドクと高鳴る鼓動。
「しずく?どうしたの?大丈夫?」
固まったまま動かない私を心配したのか小声で聞いてくる加奈子に、
「う、うん……。大丈夫」
とだけ頷いて、お色直しが終わった新郎新婦が入場してくる扉の方にどうにか身体を戻した。
その後も滞りなく披露宴は進んでいったものの、私は全く集中できなくなってしまい、笑顔を浮かべたまま上の空状態。食事が済んでいたのが救いだった。
気を紛らわせるためにシャンパンを飲んで、加奈子の話に相槌を打って。
背中に痛いくらいの視線を感じるけれど、動揺はおさまらず後ろを振り向くこともできない。
新婦が写真撮影に来てくれた時も、上手く笑えていたかわからなかった。
二次会は端の方で縮こまっていた。
幸いにも新郎新婦には友人が多く、私一人が存在感を消したところで全く問題は無い。
蘭ちゃんの側には常に誰かがいてとても盛り上がっていた。
披露宴に出席した新郎新婦の友人はほとんどが二次会に出席しているらしい。それなのにアイツはどこにも見当たらず、私が見たのは勘違いだったのかと疑ってしまうほど。
でも、私が見間違えるはずないんだけどなあ……。
もしかしたら外せない用事があって、披露宴だけ来たのかもしれない。それならばこんな端で縮こまらずに蘭ちゃんの元へ行こうか。
そう思うものの、やはり蘭ちゃんの周りは人で溢れているので行っても少し会話して終わりだろう。
加奈子の言う通り出会いを求めてちらりと出席者を見回してみたけれど、どうしてもアイツの顔がチラついてしまいそれどころではなかった。
……私も帰ろうかな。
同じように考えているのか、新郎新婦に声をかけてポツポツ帰っている人も見受けられた。
なんだか落ち着かなくて、煽るようにお酒を飲んだ。
「しずく、飲みすぎじゃない?大丈夫?」
「あぁ、加奈子。おかえり。全然大丈夫だよ」
トイレに行っていた加奈子が戻ってきて、私の向かいに腰掛ける。
「加奈子、追加頼む?」
「いやいいよ。これ以上飲んだら酔い回りそうだし」
「そっか」
頷きつつも向こうの方で盛り上がっている皆を見ていると、お酒の効果も相まってさらに虚しくなってしまう。
早く一人になりたいような、孤独を感じたくないからもうちょっと皆と一緒にいたいような。複雑な感情が胸を支配する。
「……そろそろ帰ろうかな」
ぼやくように言うと、加奈子がきょとんとしながら私からグラスを取り上げた。
「うん、その方がいいよ。飲み過ぎ。二次会自体もうすぐお開きになるだろうし、蘭ちゃんに一声かけてから帰ろうか」
「……加奈子はもうちょっといなよ。せっかくなんだし」
「いいのいいの。蘭ちゃんとしずくしか知り合いいないからしずくが帰るなら私も帰るよ。蘭ちゃんと話そうと思ってもあの調子じゃなかなか難しそうだし。さっき連絡したらもうすぐ彼氏が迎えに来るって言ってたから」
「そう?そういうことなら……。ごめんね、ありがとう。じゃあ表まで一緒に行こ」
「うん」
蘭ちゃんに一声かけると、「あんまり話せなくてごめん!また近いうちにゆっくり会おう!今日は本当にありがとう!」と申し訳なさそうな笑顔に加奈子と一緒に謝り、お礼を告げた。
「招待してくれてありがとう。またね」
手を振って加奈子と一緒にお店を出て、少しふわふわとした足取りで外に出る。
すると、後ろから慌ててバタバタと追いかけてくるような足音が聞こえた。
「────しずくっ」
ドクン、と。
懐かしい声を聞いただけで、私の胸は苦しいくらいに締め付けられる。
思わず足を止めた私に、加奈子は不思議そうな顔をして私に顔を寄せる。
「……?しずく、知り合い?」
「……うん」
「そっか。じゃあ私先に帰るね」
「あ、ちょっと加奈子!」
「また今度蘭ちゃんともゆっくり話そうねー!じゃあまた!」
気を利かせてくれた加奈子はそのまま夜の街に消えていき、私は一つ息を吐いてから後ろを振り向いた。
「……悪い。話しかけるタイミングミスった」
バツの悪そうな顔に、
「……本当だよ」
と返す。
記憶の中の彼とは違う、緩いパーマのかかった黒髪。キリッとした目元はあの頃のままで、それでいて笑うと目尻が優しく垂れるところも変わらない。
恨めしいほどの長い手脚と、引き締まった身体。
「……冬馬」
スーツが似合う素敵な大人の男性がそこにいた。
「……久しぶりだね、冬馬」
「あぁ。久しぶり」
ゆるゆると口角を上げた冬馬の顔に、胸がちくちくと痛む。
それに気付かないふりをしながら、私もにこっと口角を上げてみせた。
「冬馬がこっちにいるなんて知らなかったから、びっくりした」
「俺も。まさかここでしずくに会うなんて思ってなかったよ。……もう帰んの?」
「うん。そのつもり」
「もし時間あるならさ、……ちょっと飲み直さねぇ?」
「……別に、いいけど」
素直に頷くのは照れ臭くて、そう答える。
ホッとしたように口角を上げた冬馬は、ぎこちなく私の隣に並んだ。
そのまま二次会会場から歩いて駅近くにあるバーに向かう。
道中、薄手のコートを着ていても少し寒く感じる夜風が、いい具合に酔いを醒ましてくれる気がした。
「ジンライムください」
「私はモスコミュールで」
「かしこまりました」
バーの扉を開けて、シックなダークブラウンのカウンターの隣同士に腰掛けた私たちは、それぞれカクテルを注文して一息ついた。
「まさかこんな形で再会するなんてね。新郎の友達だったの?」
「あぁ。アイツ大学の頃の同期なんだ。お前は?」
「私も蘭ちゃん、……新婦が専門のころの友達。そう考えると世間って案外狭いね」
「本当そうだな」
茅ヶ崎 冬馬。私と同い年で、中学と高校の頃の同級生だ。
と言っても中学の頃はお互い存在は知っていたけれど特に会話したこともなく。仲良くなったのは高校に入って同じクラスになってから。
懐かしい。そう思いながら目の前に置かれたモスコミュールで乾杯した。
「いつこっちに来たんだ?」
「就職して三年経った頃かな。一人暮らししようって思った時に、どうせなら遠い都会に行ってみたいなと思って」
「なるほどな。……今はなんの仕事してんの?」
「私はずっと保育士。冬馬は?
「俺は……今弁護士やってるよ」
「え、弁護士!?うそ!」
「ハハッ、嘘ついてどうすんだよ。……ほら」
仕事じゃなくても持ち歩いているのだろうか、スーツの内ポケットから出てきた黒い名刺入れ。その中の一枚を手に取ると、私に差し出してくれた。
"御崎総合法律事務所"と書かれた下に、"弁護士 茅ヶ崎 冬馬"と書かれている。
「……本当に弁護士なんだ……」
高校の頃からは想像もできないお堅い職業に、驚いて何度も名刺と冬馬の顔を見比べた。
「すごいよ冬馬。すごい、本当に尊敬する。すごい……」
どれだけ勉強を頑張ったのだろう。そう思うと他に言葉が浮かばない。
語彙を失ったかのようにすごいと繰り返す私に、冬馬はクスクスと笑う。
「さんきゅ。……でもそう言うお前も夢叶えたんじゃん。俺より全然すげぇよ」
「私は別に……夢っていうか、それ以外の仕事してる自分が想像できなかっただけだから」
弁護士と比べたら、自分の職業なんてちっぽけに思えてしまう。
「でも、それで本当に保育士になって今もこっち出てきて知り合いもほとんどいない中で頑張って働いてんだろ?それってすげぇことだよ。誇っていいことだよ。保育士って子どもの命を預かってるわけだし、子どもが好きなだけじゃ務まる仕事じゃないってよく聞くしな」
「……冬馬」
まさかそんなことを言ってもらえるなんて思っていなくて、温かなものが胸の中をいっぱいにしていく。
「冬馬がそんなに優しいとか、違和感なんだけど」
「ひっでぇな。褒めてやってんのに。俺はいつも優しいだろ」
「嘘嘘。ありがとう。嬉しいよ」
二次会で飲みすぎたかな。そうやってふざけてないと、嬉しくてなんだか泣いてしまいそうだ。
しばらく、お酒を飲みながらお互いの仕事の話をした。
高校時代、こんな風に冬馬と仕事について語り合う日が来るなんて思わなかった。
あの頃はバカみたいに毎日ふざけたり言い合いばかりしていたのに。お互い大人になったなあ……としみじみ感じる。
すると、
「……なぁ」
グラスの中身が減ってきたため追加のカクテルをオーダーしていると、不意に冬馬が正面を向いたまま私に話しかけてきた。
「なに?」
「今さらだけどさ。お前俺とこんなところで飲んでて平気?」
「どういう意味?」
「彼氏とか。怒らねぇの?」
本当に今さらだなと思いつつ、
「あぁ……。私フリーだから。全然問題ないよ」
と苦笑いする。
「そういう冬馬は?」
「……偶然だな。俺も同じ」
「……そっか。結局私たち、売れ残り同士になっちゃったんだね……」
笑いながらも、私は動揺を隠しきれない。
頭の中に、淡い記憶が蘇ってくる。
それを振り解こうとグラスに残ったカクテルを飲み干した時。
「……しずく」
「ん?」
「……あの約束、覚えてる?」
ドクン、と。一つ大きく脈打つ心臓。
「覚えてたら、だけどさ」
「……」
「……実現、してみる?」
何も言わない私に、ようやくこちらを向いた冬馬。
その表情は、先ほどまでとは違って真剣そのもので。
からかってる?なんて聞かなくても、それが本気の言葉だと一目でわかった。
「い、今、なんて……?」
だからこそ、信じられなくて。
「あの時の約束、実現してみねぇ?」
まさか冬馬が、あの時の約束を覚えているなんて思ってもみなくて。
急に冷や汗が滲み出てくる。
冬馬は、何を言ってるの?
本気で言ってるの?
それが、どういう意味かわかってるの?
「……それって、つまり」
高校生の頃、売り言葉に買い言葉で頷いた約束が頭に浮かぶ。
"三十歳になってもお互いフリーだったら。売れ残り同士、結婚しよう"
それを実現するということは、そういうことなのに。
「あぁ。どうやら俺たちは二人とも売れ残り同士らしいし。……約束通り、結婚しようぜ」
果たしてこれは、現実なのだろうか。
悪い夢でも見ているのだろうか。
それとも、酔っ払って幻覚でも見てる?
そんなことを考えて現実逃避しようにも、今この場に冬馬がいることも現実だし、今私が冬馬に笑顔でプロポーズをされたことも現実だ。
だって、酔いなんてとっくに醒めてる。頭は至極冷静だ。
何バカなこと言ってんの?って。いきなり結婚とかありえないじゃん、って。そう言わなきゃいけないのに。
"売れ残り同士"という単語に、どうしようもなく身体が反応してしまった。
「……いいよ」
どうして頷いてしまったのかは自分でもわからない。多分、漠然と胸に渦巻いていた不安と焦りがそうさせたのだと思う。
それに、冬馬の笑顔を見たら一瞬であの頃に戻ったような気がして。
「まじ?」
「……うん」
気が付いたら、もう一度頷いている私がいた。
仕事が休みの土曜日に訪れた場所は、都内でも有数の高級ホテルだ。
自分が場違いに感じてしまうほどの煌びやかな内装は、まるで映画の世界に迷い込んでしまったかのよう。
その中の大ホール、見渡す限り白を基調とした爽やかな空間に、色鮮やかな様々な花が並ぶ。
受付で渡されたチョコレートに刺さる旗に記載されている五番テーブルまで向かうと、"大河原 しずく様"と書かれた席を見つけてそこに腰掛けた。
今日は専門学校時代の友人の結婚式。三十分ほど前に挙式を終えこの大ホールに移動してきて、あと少しで披露宴が始まる。
次々に席に着く招待客を流し見しながら、荷物を自分の足元に置いた。
「加奈子、席ここだよ」
「ありがとう。トイレすごい混んでた」
「本当?私も後で行こうかな」
「もうすぐ始まるし、お色直しの時に行くといいよ」
「そうだね」
「……それにしても、あんなに"一人で生きていく"って言ってた蘭ちゃんがスピード婚するなんて、私今だに信じられない」
私の隣に腰掛けた友人の加奈子が、そう言いながら嬉しそうにスタッフにシャンパンを頼む。
私も同じものを注文して、加奈子に顔を向けた。
「私も。それにしてもすごいよね。お互いが一目惚れしたんだって?それですぐにプロポーズして結婚。なんかドラマ見てるみたいだね」
「だよね。しかも旦那さんのご両親、結構大きな会社経営してるんだって」
「え、じゃあ将来的には旦那さんが?」
「普通に考えればそういうことになるよね。本当、蘭ちゃんすごいよ」
しみじみと呟く加奈子は、ため息を一つこぼす。
その姿がなんだか憂いを帯びているような気がして、口を開いた。
「……加奈子ももうそろそろ?こっちでできた彼氏さんと長いんでしょ?」
「うん……。私はそろそろって思ってるけど、向こうが中々腹括ってくれなくて。結婚するならもちろん子どもも欲しいし将来的には家も買いたいし。五年も付き合ってるんだからそろそろけじめつけてほしいよ」
呆れたように呟くけれど、加奈子はすでにその彼氏さんと同棲を始めており、結婚までは秒読みだということは知っている。
「彼氏さんとそういう話はしてないの?」
「しても"もうちょっと貯金してから"とか言ってはぐらかされるんだもん」
「おぉ……」
確かに都内は何かと物価が高い。だから貯金も重要だけれど、今年三十路を迎える私たちにとってはそう話を逸らされると焦ってしまうもの。加奈子がため息も吐きたくなるのも仕方ない。
「まぁお盆に地元に帰って両家の挨拶は済んでるし、もう三十だし。親同士の方が盛り上がっちゃってるから意地でも一年以内には結婚してやろうと思ってるよ」
腹を括っているのだろう。鼻息荒くそう言う加奈子が頼もしくてすごくかっこいい。
「うん、応援してる。加奈子の結婚報告楽しみにしてるからね」
「ありがとう。……それよりしずくは最近どうなの?彼氏できた?」
今度は私の番、とでも言いたげに聞いてくる加奈子に、私は
「うーん……」
と苦笑いした。
「……それが、全然。相変わらず出会いも無いし、私はまだまだ仕事が恋人だよ」
運ばれてきた乾杯用のシャンパンの泡を見つめながら言うと、加奈子は私の顔を見て何も言えなくなってしまったのか、
「そっか……。でもこういう場での出会いもあるって言うよね。いい人いないか探してみよう!」
と励ましてくれる。
それに薄く微笑んでいると、
「新郎新婦の入場です」
と司会者の声が聞こえ、照明が暗くなる。
ホールの扉が開くと、ウェディングドレス姿の蘭ちゃんの満面の笑顔が目に入った。
色とりどりの鮮やかな花でできたブーケが真っ白なドレスによく映える。
幸せそうにこちらのテーブルに手を振る蘭ちゃんに、加奈子と揃って手を振り返した。
地方の高校卒業後、保育士になるべく専門学校へ進学。三年間地元の保育園で働いてから上京してきた私は、現在都内の保育園で働く現役保育士。つい最近三十路の誕生日を迎えたばかりだ。
仕事に邁進している間に地元の友人たちの結婚ラッシュも落ち着き始め、専門学校時代に仲が良かったグループのうち、上京してきた私と加奈子以外は全員既婚者となった。すでにママになって子育てに奮闘している子もたくさんいる。
地元では女性は二十五歳までに結婚するのが華。
それを過ぎれば徐々にお見合い話も来なくなり、売れ残り確定と言っても過言ではない。
都内なら三十代独身でもなんらおかしくはないだろうと思う。
だけど実際に三十路を迎えたことにより"まだ二十代だから"という免罪符が使えなくなってしまったのは地味にショックが大きかった。
二十九歳と三十歳では、数字以上に気持ちが大きく変わる。
……加奈子も結婚秒読みだし、私だけ売れ残っちゃったなあ。
自分で思い浮かべた"売れ残り"という言葉に、胸がズキンと痛む。
しかし出会いも無ければ何年も彼氏もいない。
結婚願望は昔からあるけれど、過去の恋愛でもあまりうまくいかずに振られてばかりだった。
あまり自分に自信が無く積極的になれないため、"本当に俺のことが好きなのかわからない"と言われてしまう。
そのたびに"どうせ私なんて"と思って仕事に逃げてきたのが理由の一つだろう。
他にも思い当たる節があり、私は恋愛に向いていないんだろうなとさえ思ってしまう。
わかっているからこそ、こうやってふとした瞬間に現実を突きつけられると途方も無く虚しくなってしまうのだ。
「ね、しずく。あっちの新郎側の友人席にいる人たち、遠目から見ても結構イケメン揃いじゃない?どう?タイプの人とかいる?」
「え?」
新郎新婦がお色直しに向かっている間、私に気を遣っているのか肩に手を置かれた。言われた通りに後方の席に視線を向けると、新郎の友人たちらしき男性陣がこちらをちらちらと伺っている。どうやら向こうは向こうでこちらの女性陣を品定めしているようだ。
「うーん……遠くてなんとも……」
しかし会場が広いからか、向こうの席とはだいぶ離れてしまっていてあまりよく見えない。
人の顔がぼやける中で、不意にある一人の男性と視線がぴったり交わった。
「……え……?」
「ん?いい人いた?」
「……いや……」
「そう?やっぱ遠くてよく見えないかー」
「……」
加奈子に答えることもできないまま、私はそのまま少しも動くことができずに呆然と固まる。
遠くてもわかる、向こうも私を見て同じように硬直していた。
……なんで?どうしてここに、アイツがいるの?
"俺のこと、忘れんなよ"
淡い記憶と、優しい声が蘇る。
「……冬馬……?」
呟いた瞬間、再び照明が落ちて正気に戻る。
スポットライトの光が私の頭上からぐるりと回り、弧を描くように反対側の扉を照らした。
暗闇の中でドクドクと高鳴る鼓動。
「しずく?どうしたの?大丈夫?」
固まったまま動かない私を心配したのか小声で聞いてくる加奈子に、
「う、うん……。大丈夫」
とだけ頷いて、お色直しが終わった新郎新婦が入場してくる扉の方にどうにか身体を戻した。
その後も滞りなく披露宴は進んでいったものの、私は全く集中できなくなってしまい、笑顔を浮かべたまま上の空状態。食事が済んでいたのが救いだった。
気を紛らわせるためにシャンパンを飲んで、加奈子の話に相槌を打って。
背中に痛いくらいの視線を感じるけれど、動揺はおさまらず後ろを振り向くこともできない。
新婦が写真撮影に来てくれた時も、上手く笑えていたかわからなかった。
二次会は端の方で縮こまっていた。
幸いにも新郎新婦には友人が多く、私一人が存在感を消したところで全く問題は無い。
蘭ちゃんの側には常に誰かがいてとても盛り上がっていた。
披露宴に出席した新郎新婦の友人はほとんどが二次会に出席しているらしい。それなのにアイツはどこにも見当たらず、私が見たのは勘違いだったのかと疑ってしまうほど。
でも、私が見間違えるはずないんだけどなあ……。
もしかしたら外せない用事があって、披露宴だけ来たのかもしれない。それならばこんな端で縮こまらずに蘭ちゃんの元へ行こうか。
そう思うものの、やはり蘭ちゃんの周りは人で溢れているので行っても少し会話して終わりだろう。
加奈子の言う通り出会いを求めてちらりと出席者を見回してみたけれど、どうしてもアイツの顔がチラついてしまいそれどころではなかった。
……私も帰ろうかな。
同じように考えているのか、新郎新婦に声をかけてポツポツ帰っている人も見受けられた。
なんだか落ち着かなくて、煽るようにお酒を飲んだ。
「しずく、飲みすぎじゃない?大丈夫?」
「あぁ、加奈子。おかえり。全然大丈夫だよ」
トイレに行っていた加奈子が戻ってきて、私の向かいに腰掛ける。
「加奈子、追加頼む?」
「いやいいよ。これ以上飲んだら酔い回りそうだし」
「そっか」
頷きつつも向こうの方で盛り上がっている皆を見ていると、お酒の効果も相まってさらに虚しくなってしまう。
早く一人になりたいような、孤独を感じたくないからもうちょっと皆と一緒にいたいような。複雑な感情が胸を支配する。
「……そろそろ帰ろうかな」
ぼやくように言うと、加奈子がきょとんとしながら私からグラスを取り上げた。
「うん、その方がいいよ。飲み過ぎ。二次会自体もうすぐお開きになるだろうし、蘭ちゃんに一声かけてから帰ろうか」
「……加奈子はもうちょっといなよ。せっかくなんだし」
「いいのいいの。蘭ちゃんとしずくしか知り合いいないからしずくが帰るなら私も帰るよ。蘭ちゃんと話そうと思ってもあの調子じゃなかなか難しそうだし。さっき連絡したらもうすぐ彼氏が迎えに来るって言ってたから」
「そう?そういうことなら……。ごめんね、ありがとう。じゃあ表まで一緒に行こ」
「うん」
蘭ちゃんに一声かけると、「あんまり話せなくてごめん!また近いうちにゆっくり会おう!今日は本当にありがとう!」と申し訳なさそうな笑顔に加奈子と一緒に謝り、お礼を告げた。
「招待してくれてありがとう。またね」
手を振って加奈子と一緒にお店を出て、少しふわふわとした足取りで外に出る。
すると、後ろから慌ててバタバタと追いかけてくるような足音が聞こえた。
「────しずくっ」
ドクン、と。
懐かしい声を聞いただけで、私の胸は苦しいくらいに締め付けられる。
思わず足を止めた私に、加奈子は不思議そうな顔をして私に顔を寄せる。
「……?しずく、知り合い?」
「……うん」
「そっか。じゃあ私先に帰るね」
「あ、ちょっと加奈子!」
「また今度蘭ちゃんともゆっくり話そうねー!じゃあまた!」
気を利かせてくれた加奈子はそのまま夜の街に消えていき、私は一つ息を吐いてから後ろを振り向いた。
「……悪い。話しかけるタイミングミスった」
バツの悪そうな顔に、
「……本当だよ」
と返す。
記憶の中の彼とは違う、緩いパーマのかかった黒髪。キリッとした目元はあの頃のままで、それでいて笑うと目尻が優しく垂れるところも変わらない。
恨めしいほどの長い手脚と、引き締まった身体。
「……冬馬」
スーツが似合う素敵な大人の男性がそこにいた。
「……久しぶりだね、冬馬」
「あぁ。久しぶり」
ゆるゆると口角を上げた冬馬の顔に、胸がちくちくと痛む。
それに気付かないふりをしながら、私もにこっと口角を上げてみせた。
「冬馬がこっちにいるなんて知らなかったから、びっくりした」
「俺も。まさかここでしずくに会うなんて思ってなかったよ。……もう帰んの?」
「うん。そのつもり」
「もし時間あるならさ、……ちょっと飲み直さねぇ?」
「……別に、いいけど」
素直に頷くのは照れ臭くて、そう答える。
ホッとしたように口角を上げた冬馬は、ぎこちなく私の隣に並んだ。
そのまま二次会会場から歩いて駅近くにあるバーに向かう。
道中、薄手のコートを着ていても少し寒く感じる夜風が、いい具合に酔いを醒ましてくれる気がした。
「ジンライムください」
「私はモスコミュールで」
「かしこまりました」
バーの扉を開けて、シックなダークブラウンのカウンターの隣同士に腰掛けた私たちは、それぞれカクテルを注文して一息ついた。
「まさかこんな形で再会するなんてね。新郎の友達だったの?」
「あぁ。アイツ大学の頃の同期なんだ。お前は?」
「私も蘭ちゃん、……新婦が専門のころの友達。そう考えると世間って案外狭いね」
「本当そうだな」
茅ヶ崎 冬馬。私と同い年で、中学と高校の頃の同級生だ。
と言っても中学の頃はお互い存在は知っていたけれど特に会話したこともなく。仲良くなったのは高校に入って同じクラスになってから。
懐かしい。そう思いながら目の前に置かれたモスコミュールで乾杯した。
「いつこっちに来たんだ?」
「就職して三年経った頃かな。一人暮らししようって思った時に、どうせなら遠い都会に行ってみたいなと思って」
「なるほどな。……今はなんの仕事してんの?」
「私はずっと保育士。冬馬は?
「俺は……今弁護士やってるよ」
「え、弁護士!?うそ!」
「ハハッ、嘘ついてどうすんだよ。……ほら」
仕事じゃなくても持ち歩いているのだろうか、スーツの内ポケットから出てきた黒い名刺入れ。その中の一枚を手に取ると、私に差し出してくれた。
"御崎総合法律事務所"と書かれた下に、"弁護士 茅ヶ崎 冬馬"と書かれている。
「……本当に弁護士なんだ……」
高校の頃からは想像もできないお堅い職業に、驚いて何度も名刺と冬馬の顔を見比べた。
「すごいよ冬馬。すごい、本当に尊敬する。すごい……」
どれだけ勉強を頑張ったのだろう。そう思うと他に言葉が浮かばない。
語彙を失ったかのようにすごいと繰り返す私に、冬馬はクスクスと笑う。
「さんきゅ。……でもそう言うお前も夢叶えたんじゃん。俺より全然すげぇよ」
「私は別に……夢っていうか、それ以外の仕事してる自分が想像できなかっただけだから」
弁護士と比べたら、自分の職業なんてちっぽけに思えてしまう。
「でも、それで本当に保育士になって今もこっち出てきて知り合いもほとんどいない中で頑張って働いてんだろ?それってすげぇことだよ。誇っていいことだよ。保育士って子どもの命を預かってるわけだし、子どもが好きなだけじゃ務まる仕事じゃないってよく聞くしな」
「……冬馬」
まさかそんなことを言ってもらえるなんて思っていなくて、温かなものが胸の中をいっぱいにしていく。
「冬馬がそんなに優しいとか、違和感なんだけど」
「ひっでぇな。褒めてやってんのに。俺はいつも優しいだろ」
「嘘嘘。ありがとう。嬉しいよ」
二次会で飲みすぎたかな。そうやってふざけてないと、嬉しくてなんだか泣いてしまいそうだ。
しばらく、お酒を飲みながらお互いの仕事の話をした。
高校時代、こんな風に冬馬と仕事について語り合う日が来るなんて思わなかった。
あの頃はバカみたいに毎日ふざけたり言い合いばかりしていたのに。お互い大人になったなあ……としみじみ感じる。
すると、
「……なぁ」
グラスの中身が減ってきたため追加のカクテルをオーダーしていると、不意に冬馬が正面を向いたまま私に話しかけてきた。
「なに?」
「今さらだけどさ。お前俺とこんなところで飲んでて平気?」
「どういう意味?」
「彼氏とか。怒らねぇの?」
本当に今さらだなと思いつつ、
「あぁ……。私フリーだから。全然問題ないよ」
と苦笑いする。
「そういう冬馬は?」
「……偶然だな。俺も同じ」
「……そっか。結局私たち、売れ残り同士になっちゃったんだね……」
笑いながらも、私は動揺を隠しきれない。
頭の中に、淡い記憶が蘇ってくる。
それを振り解こうとグラスに残ったカクテルを飲み干した時。
「……しずく」
「ん?」
「……あの約束、覚えてる?」
ドクン、と。一つ大きく脈打つ心臓。
「覚えてたら、だけどさ」
「……」
「……実現、してみる?」
何も言わない私に、ようやくこちらを向いた冬馬。
その表情は、先ほどまでとは違って真剣そのもので。
からかってる?なんて聞かなくても、それが本気の言葉だと一目でわかった。
「い、今、なんて……?」
だからこそ、信じられなくて。
「あの時の約束、実現してみねぇ?」
まさか冬馬が、あの時の約束を覚えているなんて思ってもみなくて。
急に冷や汗が滲み出てくる。
冬馬は、何を言ってるの?
本気で言ってるの?
それが、どういう意味かわかってるの?
「……それって、つまり」
高校生の頃、売り言葉に買い言葉で頷いた約束が頭に浮かぶ。
"三十歳になってもお互いフリーだったら。売れ残り同士、結婚しよう"
それを実現するということは、そういうことなのに。
「あぁ。どうやら俺たちは二人とも売れ残り同士らしいし。……約束通り、結婚しようぜ」
果たしてこれは、現実なのだろうか。
悪い夢でも見ているのだろうか。
それとも、酔っ払って幻覚でも見てる?
そんなことを考えて現実逃避しようにも、今この場に冬馬がいることも現実だし、今私が冬馬に笑顔でプロポーズをされたことも現実だ。
だって、酔いなんてとっくに醒めてる。頭は至極冷静だ。
何バカなこと言ってんの?って。いきなり結婚とかありえないじゃん、って。そう言わなきゃいけないのに。
"売れ残り同士"という単語に、どうしようもなく身体が反応してしまった。
「……いいよ」
どうして頷いてしまったのかは自分でもわからない。多分、漠然と胸に渦巻いていた不安と焦りがそうさせたのだと思う。
それに、冬馬の笑顔を見たら一瞬であの頃に戻ったような気がして。
「まじ?」
「……うん」
気が付いたら、もう一度頷いている私がいた。
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