恋と遺伝子~相性98%のおためし同居生活~

寧子さくら

過去とこれから(4)

「今日は聞きに来たんだ。母さんが亡くなったときのこと、俺ちゃんと知らないままだったから」
「……そうか。本当に申し訳なかったな。父さんが不甲斐ないばかりに、お前には迷惑をかけて」

 和やかな雰囲気から一転して、真面目な空気に変わる。先に切り出したのは、啓さんの父親だった。

「先に言わせてくれ。俺はお前と母さんを裏切るようなことは決してしていない」

 そう切り出して、当時のことを振り返る。
 不倫相手と疑われていたのは、会社の従業員として働いていたシングルマザーの女性。
 子育てへの理解があった彼の父親は、彼女の勤務時間などで優遇させ、職場でも気遣っていたという。それで相手から誤解されてしまい、一方的な好意を寄せられていたとか。

「当時は女性社員も少なかったというのは言い訳だ。これは俺が招いたことであることは認めるし反省はしている。それでも、信じてもらえないかもしれないが、彼女とは本当に何でもなかったんだ」

 そこまで話し、彼の父親は申し訳なさそうに頭を下げる。次は啓さんの番だった。

「……わかってる。父さんは優しすぎるから、そんなことだろうとは薄々感じてた」
「そうなのか……?」
「ああ。ただ、あの後そんな話も一切せず逃げたのが許せなかったんだ」
「……」
「毎月毎月、金だけ振り込んで来て。本当に腹立たしかった」

 啓さんの言葉を、父親は一言も口を挟まず真摯に受け止めている。
 私は、彼があの日を境に重度の不眠症を患い、ずっとトラウマを抱えてきたことを知っている。だからこそ、二人のそれぞれの苦悩が見えて胸が締め付けられる思いだった。

「本当に申し訳なかった。父親失格だな」

 力なく笑う父親を見て、彼は黙り込む。そして「いや」ともう一度話し出した。

「七滝に聞けば、父さんの居場所だってすぐ分かったはずだ。俺も本当のことを聞く勇気がなかった。でも、ずっとこんな気持ちを抱えていたくないから今日来たんだ」

 そう言って彼は、胸元から名刺入れを取り出し、自分の名刺をテーブルに置いた。

「父さんがずっと送ってくれたお金。一切手をつけるつもりはなかったが、今の会社を起業する際の資金に回させてもらった」
「え……」
「今ではそこそこ大きな企業になった。まだこれからも拡大していくつもりだが」

 名刺を受け取った彼の父親は、まじまじと啓さんの名前を眺める。

「……ああ、七滝からも聞いてる。役に立ててよかったよ。これからも応援してるぞ」

 そして、彼に似た顔で穏やかに微笑んだ。言葉数自体は多くなかったけれど、二人が少し和解できた様子にほっとする。
 もちろん長年の蟠りが、今日だけで消えるわけではないはず。だけど、これから少しずつ離れていた時間を埋めていくのではないかと思った。

「……その七滝から聞いてると思うが、彼女はそこの従業員なんだ」
「ああ、知ってる」

 啓さんの父親と目が合い、反射的に小さく頭を下げる。

「今回ここに来れたのも彼女のおかげだし、公私ともに支えられている」

 父親の前だというのにストレートな言葉が照れくさくて、恐縮してしまう。そして次に、啓さんは思わず声をあげてしまうような衝撃の一言を放った。

「ゆくゆくは結婚しようと思ってる。それも含めて今日は挨拶に来た」
「えっ!?」

 結婚なんて、そんな話一度も聞いていないのですが……!?
 なんて、突っ込むことすらできないくらいに、開いた口が塞がらない。
 なのに――

「そうか……おめでとう」

 啓さんの父親は、嬉しそうにしみじみと頷いている。心なしか、目が少し潤んでいるような気さえしてくる。

「えっと、あの……啓さん?」
「まだ具体的な話はしていないが、進展があれば報告する」
「ああ、待ってる。楽しみだな。仁菜さん、息子のことよろしくお願いします」
「え、ええと……こちらこそ、よろしくお願いします……?」

 この流れで否定などはできず、ひとまず頭を下げる。啓さんに視線を向けると、彼はしてやったりの顔で不敵に微笑んだ。
 先ほどまで驚きで機能していなかった頭が、少しずつ冷静さを取り戻す。 

 これは……完全にやられた。
 プロポーズもすべて吹っ飛ばして、外堀から埋められた気がしてならない。だけど不思議と嫌な気はまったくしなくて。むしろ今叫びたいくらいには、嬉しく感じている。

「それにしても啓が結婚か……。七滝からはそんな話は一切聞かなかったからな。嬉しいよ」
「当たり前だ。そんなプライベートなことまでペラペラ喋られたらたまったもんじゃない」
「まあでも、啓が仁菜さんにゾッコンだとは散々聞かされてたぞ」
「ぞっ……!?」
「はあ、あいつは本当に秘書なのか」
「はは、まあ秘書としては優秀だがな」
「それは分かってる」

 啓さんが言う通り、七滝さんは「守秘義務です」なんて言いながら、情報を横流しにしている気がして恐ろしい。もちろん二人が言うように、優秀な秘書であることは間違いないと思うけれど。

「でも安心した。仁菜さんのような方が一緒になってくれて」
「い、いえ……」
「俺がもう少し若かったら……」
「やめてくれ」

 冗談を突っ込まれ、啓さんの父親は茶目っ気たっぷりに笑って見せる。どことなく彼に似てると思ったが、性格は全く別らしい。

「そうだ。よかったら夕飯でも食べて行かないかい? 一人暮らしが長くて、料理が上達してしまって」
「よろしいんですか?」
「もちろん。今日は泊まって行っても構わないし」
「それは断る。仁菜といちゃつけない」
「ちょ、ちょっと啓さん……!?」

 父親の前だというのに、やっぱり啓さんは真っ直ぐだ。いつも真っ直ぐすぎて、度々私を振り回す。
 そんなやり取りに、明るい笑みがこぼれながら、穏やかな時間が過ぎていったのだった。


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