恋と遺伝子~相性98%のおためし同居生活~

寧子さくら

公開告白(2)

 結局その日は一日、仕事に身が入らなかった。幸いにも今日は金曜日。週末にちゃんと気持ちを切り替えよう。
 そう思いながらなんとか定時退社に成功し、電車に乗ってやってきたのはとある居酒屋。今日は東京に遊びにきていた茜ちゃんと、飲みに行く約束をした日だった。

「えっ、会社辞めちゃったの!?」

 茜ちゃんから、会うなり驚くべき事実を聞かされて、目を丸くする。どうやら過労で倒れ退院した後で、彼女なりに冷静になったらしい。

「マジで社畜すぎて、何のために働いてるかも分かんなくなっちゃって。支店長も飛ばされちゃったしさ~」
「そうなんだ……」
「さすがに嘘はまずいよね~。ま、良い人だったけどさ」

 なんとか処分は免れたようだが、支店長を降格させられたらしい。長らくお世話になっていたこともあり、残念な気持ちになるが、彼のしたことを考えれば仕方のないことだった。

「だから今は人生の夏休み中~! 絶賛転職活動中だけどね」
「また同じ業界?」
「いやーさすがに無理。次は人を相手にしない仕事にしたい! ま、片っ端から探してるから、まだ全然絞ってないんだけどね」

 次を決めずに辞めてしまうところも、何とも彼女らしい。茜ちゃんはジョッキのレモンサワーを煽ると、思い出したように私を見た。

「あ、そうだ。今度仁菜ちゃんち行ってもいい?」
「うん? 全然いつでも」

 平然と返事をすると、彼女が訝しげに私の顔を覗き込む。そのあとで、この質問が罠であったことに気付かされた。

「やっぱり怪しい」
「えっ?」
「だって前はダメみたいな雰囲気だったじゃん。何かワケアリなんでしょ?」

 言われて茜ちゃんの見舞いに行った時のことを思い出す。たしか、あの時も彼女に遊びに行っていいか聞かれて、適当に誤魔化したのだった。

「そんなことないよ。気のせいじゃ――」
「仁菜ちゃん、噓下手くそだよね。アタシには分かるよ? 本社で何かあった?」
「え、ええと……」
「ほらほら、もし仕事関連の話ならアタシはもう仕事辞めたわけだし? 話しちゃいなよ~」

 他言無用とは言われていたけれど、確かに退職済みの茜ちゃんであれば無関係。それに五年も一緒にいて、彼女が簡単に秘密をもらすような性格でないことは、よく知っていた。

「うう……。ここだけの話にしてくれる?」
「当たり前じゃん! ていうか、話す相手もいないし」
「だ、だよね。実はね……」

 意を決して、これまでのことを茜ちゃんに話すと、さすがの彼女も驚いているのか、口を開けたまま停止した。
 しばらくして思考を整理したのか、今日一番の大声を出した。

「な、何それやばくない!?」
「あ、茜ちゃん声大きい……!」
「ご、ごめん……。でもあのイケメン社長と同居だなんて……」

 茜ちゃんは興奮が抑えられないのか、自らの胸に手を当てて気持ちを落ち着かせている。彼女が驚くのも無理はない。それくらい突拍子もない出来事だったのだから。

「え~羨ましい~。前世でどんな徳積めばそうなれるわけ?」
「いやいや、大変だったんだから……」
「まあビビるか。でもあんなイケメンと同居してたら好きになっちゃわない?」
「それは……」
「あーなっちゃったんだ~。いや、仕方ないよそれは」

 まだ何も言っていないのに、彼女はうんうんと頷いて話を進めてしまう。否定しようにも、「仁菜ちゃん本当に分かりやすいから」と、あっさりかわされてしまった。

「で、実際どうなの? まさか、そのまま付き合っちゃったりとか」
「ないない。そんなんじゃないけど……」

 啓さんがお見合いを受け、家を出た話を簡単に説明する。もちろん彼の過去など、大切な話はすべて省いて。
 その後で、今日の説明会での出来事を話すと、茜ちゃんはまた口をあんぐりとさせた。

「ちょ、ちょ、ちょっと待って。それ公開告白じゃん」
「え?」
「全社員の前で惹かれてたとか……絶対社長も仁菜ちゃんのこと好きじゃん!」
「ええ、ないない!」

 確かに一瞬期待はしてしまったけれど、後から冷静になってみると、やはり試験結果を誇張した発言のように思えた。それに、もしあれが本心だとしても、ミドウフィオレの社長と結婚するのであれば、今更私にできることは何もない。

「ていうか、その政略結婚? 本当にするかも分かんないんでしょ~?」
「すると思う。社長は会社のことを一番に考えてる人だから」
「うーん、そっかあ……。難しいね。何か住む世界も違う感じだし」

 茜ちゃんの言う通りだ。いくら相性が良くたって、啓さんは雲の上のような存在。結ばれたいなんて、おこがましい。
 また虚しい気持ちになり、グラスの底を見つめていると、茜ちゃんは「でもさ」と言葉を続けた。

「もしその公開告白が本心だとして、だよ? 朝起きて仁菜ちゃんがいなくなってたら、相当応えただろうね」
「え?」
「目が覚めたら好きな人いなくなってて、もう会えないとかめっちゃ悲しくない!? さすがのアタシでもショックかも」

 茜ちゃんの言葉にはっとし、以前ホテルで聞いた啓さんの言葉を思い出す。
 彼が眠れなくなった理由、眠るのが怖くなった理由――それは母親の死だと言っていた。朝起きたら、啓さんの母親が自殺していたことがトラウマだと。

「私、最低なことした……?」

 ちゃんと考えればわかることなのに。どうしてそんな大切なことに気付けなかったのだろうか。
 啓さんが私を好きだという発想はなかったからだと思うけれど、もはやそんなことは関係ないように思えた。

「まあ今更かもしれないけど、どうせ家出るなら告ってくればよかったじゃん」
「でも……」
「そんな傷心してますって顔してるなら尚更! 別に当たって砕けてもいいじゃん、相手は社長なんだしさ。仕事で直接関わりもないんでしょ? ていうか、じゃないといつまでも後悔しない?」

 茜ちゃんはいつだって積極的で、真っ直ぐだ。だからこそ、ここまで来て躊躇ってしまう自分に嫌気がさした。
 でも彼女が言う通り、このままでは絶対に後悔する。

「そう、だよね」

 もはやお酒の勢いでもいい。私の中で腹が決まると、残りのお酒を飲み干した。

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