恋と遺伝子~相性98%のおためし同居生活~

寧子さくら

羅賀啓という男(5)

「創業メンバーの方って、今も残っていらっしゃるんですか?」
「いや、立ち上げの当初は人数も少ない上にとにかく激務でな。残念ながらもう誰も残っていない」
「え……」
「皆人の為になる仕事がしたい、と成功を夢見て頑張ってくれたんだが、始めはなかなか成果が出なかった」

 そのうち心身ともに彼ら自身がすり減ってしまったと、社長は話す。

「だから……Thanks meなんですか?」

 本社の朝のブリーフィングで取り入れている、『週に一度自分のために何かをすること』を思い出す。
 私の言葉に社長は目を少し見開いたあと、社名であるDEAMの由来を教えてくれた。
 Dear me、親愛なる私。表向きは人に向けたサービスだが、そこで働く自分自身への労りを忘れないように。それが創業メンバーみんなで決めた本当の社名の意味らしい。

「そんな思いで立ち上げたのに、結局それができなくてな。だから改めて認識するようにブリーフィングに取り入れたんだ。辞めていった彼らの働きを無駄にしないように」

 初めて聞く、社長の思いに心が締め付けられる。この人は本当に、会社を社員のことを一番に思っていると、改めて実感した。
 だけど――

「社長は、最近Thanks meされましたか?」

 私の質問に彼は目を丸くする。そして「いや」と首を振った。

「社員に言っておいて、自分ができていないのはまずいか。俺自身も労わってやらないとな」
「ふふ、そうですよ。社長いつも忙しくしていらっしゃるから、もっとゆっくりされてください」
「そうだな。そう言ってくれる人もなかなかいないから、自分では気付かないもんだな」
「すみません、つい心配になってしまって」

 少々お節介が過ぎただろうか。
 会社の為、社員の為と働きまわっている社長のことは、心から尊敬できる。けれど、彼自身のことも蔑ろにして欲しくはなかった。

「……それなら、俺は君に癒してもらうとするか」

 つぶやきと共に、社長が私の手からワイングラスを奪い取る。そのままテーブルの上に置くと、ゆっくりと唇が重なった。
 赤ワインの渋みと苦味が絡み合い、溶けていく。何度か角度を変えて、戯れのような接吻を交わすと、鼻先が触れ合う距離で彼と見つめ合った。

「……ダメだな。君とのキスは癖になる」
「っ……」

 私も同じ気持ちだ……。
 再びキスの予感に目を閉じると、なぜか肩に重みを感じ目を開けた。

「しゃ、社長……?」

 たった今、目の前にいた彼は、私に抱きつくような形で肩にもたれかかっている。

「あ、あの……」

 まさか、寝てる……? このタイミングで……!?
 肩を何度か叩いてみるけれど、反応はない。それどころか、しばらくして規則正しい寝息が聞こえてきた。

「噓でしょ……」

 大してお酒も飲んでなければ、酔っぱらっている様子もない。まさかここで糸が切れてしまったのだろうか。この後のキスを期待していただけに、不完全燃焼で体が疼いた。
 ひとまず起こさないように抜け出すと、ズルズルと社長の体が私を覆うように倒れてしまった。

「ど、どうしよう……」

 起こすべきか否か。けれど、私の上で眠っている彼の寝顔を見ると、無理に起こすことなどできなかった。
 そのうち起きるだろう、と彼の頭を膝に載せ直すと、テーブルの上のワインを口に運んだ。





 それから何時間経っただろうか。はっと目が覚めると、カーテンから日の光が漏れ出していた。
 少ししたら起こそうと思っていたのに、私もまったく学習しない。反省していると、膝の上で社長が目を覚ました。

「ん……?」
「お、おはようございます……」

 彼も状況が理解できていないのか、寝ぼけ眼で部屋を見回す。

「社長、昨日そのまま寝てしまって……。途中で起こそうと思ったのですが、私も寝てしまいまして……」
「寝てた? 俺が……?」

 自分でも言い訳がましく思いながら説明すると、彼は頭が痛いのか、それとも何かを考えているのか、右手で額をおさえる。

「今日も仕事なのに……起こすべきでした。申し訳ございません」
「君は悪くない。また迷惑かけてすまない」

 言いながら、彼はどこか戸惑っている様子。

「……どうかされましたか?」
「いや……シャワーを浴びてくる」
「は、はい」

 社長はまだ眠いのか、ふらふらとリビングを出て行く。私もソファで寝てしまったせいか、体が鉛のように重く感じた。
 今からなら、一時間程度は眠れるだろうか。疲れが取り切れていない体を起こし、自室へと戻った。





「ふぁ……」

 業務の合間にトイレを済ませると、誰もいないことを確認してあくびを漏らす。
 今朝、ソファで寝落ちしてしまったあとで小一時間ほど眠ったものの、何だか疲れが取れず、一日中眠気と格闘していた。
 眠気覚ましにコーヒーでも飲もうかと考えながら廊下を歩いていると、オフィスの入口から七滝さんが出てくるのが見えた。遠くから見ても姿勢が良く、歩き方も美しい。まるで秘書の鏡だ。
 もしすれ違ったら挨拶しようと入口の方へ向かうと、七滝さんがちょうど誰かに頭を下げた。

御堂みどう様。お待ちしておりました」

 御堂と呼ばれ現れたのは、背が高く、色白の女性。真っ黒でサラッとした髪を背中まで伸ばし、目鼻立ちがはっきりとした顔は美人そのもの。彼女は七滝さんに会釈すると、細いハイヒールを目立たせながらオフィスへと案内されていった。 
 もしかすると、あれがミドウフィオレの女社長だろうか。先日、松園さんが二十代の美人社長と言っていたし、名前からしても彼女であることには間違いなさそうだ。
 さすがミキウェディングの社長令嬢兼、ドレスの会社の社長だけあってか、他の女性とは違うオーラが感じられた。
 ちょうど昨夜、社長が交渉中だと言っていたし、彼に会いに来たのだろう。
 経営者同士、一体どんな話が行われているのだろうか。内容は想像つかないけれど、会社の為にも良い方向へ行ってほしい。
 心の中でそう願いながら、デスクへと戻った。

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