恋と遺伝子~相性98%のおためし同居生活~

寧子さくら

無表情の裏側(5)

「んっ……」

 初めてのキスとも、夢の中のキスとも違い、優しくついばむように何度か唇を重ねる。とても丁寧だが、時折彼がかけた眼鏡が顔に触れ、ゆっくりと彼の顔が離れていった。
 これで終わりかと思うと、どこか名残惜しく、胸に寂しさが残る。しかし彼は「邪魔だな」と眼鏡を外し、今度は強引に唇を奪った。
 腰を引き寄せられ、彼との距離がゼロになる。すぐに互いの舌が絡み合うと、深く浅く、強弱をつけて口内を侵した。
 貪るような、だけど溶けてしまうような接吻にガクンと体の力が抜ける。
 銀色の糸を引いて、至近距離で視線が絡むと、羞恥でいっぱいのはずなのに、彼から目が離せなくなってしまった。

「……たしかに。相性はいいな」

 彼が口角をしっかりとあげ、不敵な笑みを浮かべる。
 同意だ。驚くほどに彼とは相性がいい。キスだけでこんなにも骨抜きにされるのは、初めての経験だった。
 支えられた体は、再びベッドに戻され、覆うように社長の体が重なる。

「あの……?」
「……悪いが、ここで止められるほどの理性はない」
「えっそれは…」

 これから何をするのか。それを尋ねるのは甚だ愚問に思えた。一瞬下着の心配をしたけれど、幸い今日はお気に入りの下着を付けている。
 ……夢は何かのお告げだったのだろうか。
 再び舌を絡ませながら、彼の手がブラウスの下に入り込む。

「あっ……」

 膨らみに到達すると、弄るように揉まれ、ビクンと体が反応し、甘ったるい声が漏れた。
 触れられたところが熱い。もっともっと、触れて欲しい、そんな思いがこみ上げてくる。
 何度か、互いの意向を確かめるように視線が絡み合ったけれど、決して口には出さない。その代わりに、私からも首に腕を回して、先ほどよりも深く口づけた。
 暖色の小さな明かりが灯る部屋には、舌が絡み合う水音とベッドのスプリングが微かに軋む音。
 そして、彼の服なのか、それとも彼自身なのか、心地よい香りに包まれて。五感すべてを刺激されながら、夜が更けていった。



 ただキスをする予定だった私たちは、日が昇るまで散々体を重ねた後で、汗でしっとりと濡れた体をベッドに横たえた。
 既に体は疲労困憊だというのに、興奮で未だ鼓動が落ち着かない。
 私自身の経験人数も多いわけじゃないが、これだけは分かったことがある。
 私たちの体の相性は良すぎる。怖いほどに。キスだけじゃない。触れ合った体は互いを求めるように吸いついて離れず、行為の流れだって阿吽の呼吸で完璧だった。
 頭で考えることなく、ただただ本能で抱き合っている。まさにそんな感じだ。

「……まさかここまでとは」

 同じ気持ちでいるのか、隣で彼がしてやられたように小さく笑う。

「あながち、遺伝子レベルで相性が良いというのは間違っていないのかもな」
「そう、ですね……」

 隣を見ると、意外にも彼は穏やかな顔をしていて、また胸の奥がざわついた。キスでざわついていた心は、彼と体を重ねたことにより収まるどころか加速してしまったように思えた。
 そして、一晩一緒に過ごして分かったことは、もうひとつ。彼は思っていたよりも熱い人間だということ。それは仕事云々の話だけではなく、肉体的な触れ合いにおいてもそうだった。
 心こそ繋がっていない、愛のない行為だったにも関わらず、そんなことは一切感じさせられなかった。
 昨日までどこか冷たくて、無機質な彼はそこにはいない。もちろん相変わらず表情は少ないが、『クールな人』くらいには落ち着いている。だからこそ、これからの彼との生活も、前向きに過ごしやすいのではないかと感じた。

「あの、一緒に住む件ですが……もう少し二人の時間を作りませんか?」
「二人の時間?」
「はい。せっかく試験を行うのですから、もっとお互いのことを知るべきだと思うんです。例えば、一緒に食事をとるとか、会話をするとか、そういうことで構いません」

 体の相性が良いことは痛いほど分かったが、それだけで結果を報告はできない。真剣に提案をすると、彼は納得したように頷いてくれた。

「ああ、君の言う通りだな。来週からは仕事も少し落ち着くから、なるべく早く家に帰るようにするよ」
「ありがとうございます」
「それと、君が望むならまた抱いてもいい」
「はい……って、えぇ!?」

 あまりに自然に言われ、思わず声が裏返る。けれど社長は不思議そうに目を丸くした。

「今更驚くことじゃないだろう。こんなに相性も良いのだから」
「そうですけど……」
「それに正直君には惹かれるんだ。顔も体も、俺の好みだから」
「え!?」

 スッと伸びてきた指先が、頬を伝い唇に触れる。そのまま首筋、鎖骨、と撫でられ、冷めかけた熱がまた上がりそうになった。

「で、ですが以前私を好きにはならないと仰ってましたよね……?」

 私と恋愛する気がないとまではっきりと。それは私に女性としての魅力がないからだと思っていた。私が彼の好みだというのは信じられない。

「ああ。タイプであるのと好きになるのは別だろう。君のことは綺麗だとは思うけれど、恋愛する気はない。ただそれだけだ」
「ええと……」

 まるで恋愛と結婚が別、という決まり文句と同じくらい自然に説明されるが、いまいちピンとこない。私とは体の関係だけで十分、ということなのだろうか。

「俺にとって今は仕事が一番だから、恋愛にうつつを抜かしている時間はないんだ。だから君がどんなに俺のタイプであっても、体の相性が良くても、恋人同士になることはない。それだけだ」
「な、なるほど……?」
「だからもし、君が俺に好意を持ってくれるようなことがあっても、その気持ちには応えられない」

 詳しく解説をされ納得をすると同時に、告白もしていないのに振られた気分になってくる。なんとなく惨めな気持ちになり、思わず反抗した。

「お、恐れながら私も好きにはならないのでご安心を!」
「そうか。なら話は早いな。改めて、今日からよろしく頼む」

 そう言って、彼がもう一度口角をあげる。
 ずっと感情がなく冷たい人……サイボーグかもしれないとまで思った彼は、私が思っている以上に人間らしく、そして意地が悪かった。


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