恋と遺伝子~相性98%のおためし同居生活~

寧子さくら

キスの余韻(3)

 配属当日の仕事は覚えることがたくさんあり、あっという間に定時を回っていた。
 ここでの仕事は主に結婚相談所Fatumのサイト運営をはじめ、会員向けのキャンペーンやイベント、その他婚活パーティーの開催など、様々な企画の提案を行うこと。
 ずっと会員という生身の人間を相手に仕事をしてきた私にとって、スケールが大きい仕事に戸惑いを覚えたけれど、やりがいがありそうだと感じた。

「姫松さん、お疲れっす。今日はどうでした?」
 今日学んだことをノートにまとめていると、同僚の滝沢さんに声をかけられる。聞くところによると彼は中途入社の同い年のようで、今日から一カ月間、本社での教育係としてついてくれることになっていた。
 パーマを当てたダークブラウンの髪に、明るい色をインナーに取り入れたファッション。とはいっても、あくまでギリギリのオフィスカジュアルを抑えてるのだから凄い。そしてタメ口混じりの敬語が特徴的で、彼もまた話しやすかった。

「覚えることがたくさんで……」
「はは、気楽にいきましょ~。大丈夫大丈夫、すぐ慣れるから」
「はい、頑張ります……あれ? みなさん、もう帰るんですか?」

 周りを見渡すと、みんなが続々と帰宅準備を始めている。勝手に本社も残業が多いのだと思っていたため、意外な光景だった。

「うちわりと自由な感じだからな~。残る人もいるけど、残業は少なめかな。支店はどうなんです?」
「へえ、そうなんですね。毎日残業は当たり前で……」

 支店の忙しさを簡単に話すと、滝沢さんは驚いて声をあげる。

「うわー大変っすね。俺だったら辞めちゃうかも。てか姫松さんタフ!」
「全然、普通ですよ。でも離職率はたしかに高いかも」

 他愛もない話をしていると、奥の方で何人かが「お疲れ様です」と言う声が聞こえてくる。

「あ……」

 声の方に視線を向けると、羅賀社長が七滝さんと共に社長室へ入って行くのが見えた。

「お、社長だ。いつ見てもイケメン~。姫松さんもそう思いません?」
「いえ、私は別に……」

 まさか社長の家にいるとは言えず、口ごもる。だけど、彼の評判には少し興味があった。

「どんな方なんですか? 私、社内報とかでしか見たことなくて」
「社長? んーそうだなあ。顔も良いし仕事もできて優秀だけど、血も涙もない感じ……? ま、俺も絡みはないから想像ですけど」
「は、はあ」

 想像していた答えと違っており戸惑っていると、後ろから呆れたように笑う声が聞こえる。
 振り返ると松園さんがクスクスと笑いながら近づいてきた。

「姫松さんはそういう意味で聞いたんじゃないと思いますよ~。それにちょっと悪口入ってません?」
「悪口じゃないっすよ! でもあの人、説明会とかでも全然しゃべらないですし。ていうか笑ったところも見たことないし。裏では鉄仮面って呼んでるヤツもいますよ?」
「はい完全に悪口ですね~」

 やはり、私の印象は間違っていなかったのか。それにしても、社長に鉄仮面とはひどい気もするけれど。

「まあ怖がってる人は多いですけど、それは無駄話とかが嫌いな人だからじゃないかな~? 仕事はすごい出来るし、経営者としてはすごい方だから密かに憧れてる人もいたりするんですよ~」
「まあ社長がいなければ、この会社もここまで成長しなかったってことっすもんね」
「うんうん~。今はウェディング事業にも手を出してますしね~。確か『ミドウフィオレ』との資本業務提携の話も出てるって話ですし」
「ミドウフィオレって……」

 ここ最近人気のウェディングドレスの製造や販売を行う会社で、実際に会員さんの中でも「いつかミドウフィオレのドレスが着たい」なんて話も聞いたことがあるほど。
 松園さん曰く、DEAMより設立が若い会社で、美人社長がデザイナーと兼業しながら運営しているらしい。そしてその社長は、ウェディング業界でも最大手の『ミキウェディング』の社長令嬢だとか。
 女社長で社長令嬢とは、どこまで最強の女性なのか……。天は二物、いやそれ以上を与えていると思う。

「この件はどうなるかは分かりませんけど、これからもっと会社も大きくなっていくと思いますよ~」
「さすが社長、やり手っすね!」
「まったく、滝沢くんって本当調子良いですよね~」

 二人の話をまとめるとこうだ。彼はとにかくクールで寡黙。社員に冷たい印象を与えてはいるけれど、誰もが認める敏腕社長。

「ちなみに噂によると、社長のお父様も凄腕の経営者だったとか。詳しくは知らないですけど」
「うわ、出た情報屋の松園さん!」
「ふふふ、あくまで噂ですけどね~」

 なるほど。優秀なのは遺伝子なのだろう。それにしても、みんな彼に対して思うことは同じらしい。
 社長なのだから、すごい人であることはわかる。でも人間性としてはどうなのか……。
 今回の試験で一緒に暮らす以上、彼の内面についてもう少し知ってから判断したいと思った。

「それじゃ、姫松さんももう帰っていいですよ~」
「あ、でも私もう少し……」
「初日から頑張りすぎないこと。ゆっくり頑張っていきましょ~」

 松園さんは、完全に癒し系だ。語尾を伸ばすのが癖なのか、良くも悪くもチームリーダーらしくない緩い印象。
 彼女に促されるままにメモをしまい込み、会社を後にした。

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