私のわがままな自己主張 (改訂版)

とみQ

 私の家は築三十年以上の昔ながらの団地である。石井マンションという名のC棟、202号室であった。
 鉄筋コンクリートの四階建ての建物でオートロックも無ければエレベーターも無い。部屋の間取りは4LDKと母子二人で住むには充分過ぎる広さだ。
 ここへ毎日帰宅しては夜十時を過ぎても母は仕事で帰らず、概ね一人の時間を過ごす羽目になる。
 別に寂しくは無い。
 慣れてしまえば広い部屋に一人きりというのはかなり快適な空間であり、有意義な時間なのである。
 この居住区を自身の思いのままに出来るというのは自由で、解放感に溢れているのだから。
 とは言うものの、私自身その時間のほぼ全てを食事と風呂と勉強にしか当てていないのだから、我ながら本当に面白味に欠けていると思う。
 これがもし椎名ならば、もっと私とは全く違う時間の使い方をするのだろうかなどと考える。
 彼女も聞いた訳では無いが恐らく母子家庭。家にいても一人でいる時間が多いのだと思う。そんな一人きりの空白の時間を、私などと全く同じように過ごしているとは到底思えないのだ。
 きっともっと誰かと何処かへ出掛けたり、友人との外食を楽しんだり、そのためのお金を稼ぐためもしかしたらアルバイトなどもしているかもしれない。
 そして沢山友人がいて、色々な所へ行って。誰か他の男と出掛けたり、いい感じになっている年上の男なんかもいたりしてな。
 そこまで考えて私は自分で自分が虚しくなる。
 誕生日の帰宅途中に私は一体何を想像しているのだ。
 それを思考し続けた所で一体何の意味があるというのだろうか。
 答えは一向に出る事は無い。そんな事を考えても何一つ面白い事は無い。
 せっかくわざわざ高野が私の誕生日を祝ってくれて、その帰宅途中に他の女の事を考えるなど不誠実にも程があるではないか。
 私はふと鞄にしまったボールペンを手に取る。
 グリップが握りやすくてとても使い心地が良さそうなそれを、今日高野がこの日のために選んでくれて私にくれたのだ。
 わざわざ、高野だけが。
 そこまで考えて一人思考に耽る事を諦める。首を思い切り振ってマンションの階段を駆け上がる。
 こんな事を考えても何もいい気分にはならない。早く家に帰ろう。もうすぐそこ。今私はマンションの二階まで上がってきたのだ。
 扉はもう目と鼻の先。さっさと部屋に帰り、風呂に入ってスッキリしてしまおう。
 今日はだいぶ暑かった。それは今もだ。
 駅からここまでの十数分の道のりで最早汗だくだ。
 早く綺麗さっぱりとこの火照った体を洗い流したくなった。
 ドアに手を掛け鍵を開ける。扉を開こうとしてふと鍵が開いている事に気づいた。
 不思議に思いつつそのままドアを開くと玄関には既に靴が置いてあった。
 言わずもがな、母親の靴だ。
 珍しく今日は早く帰ってきていたらしい。
 私は胸をどきりとさせながらゆっくりと部屋に入った。
 リビングに入ると台所に母親がいた。
 彼女は私の存在に気づくと振り向いて薄く微笑んだ。私は再び胸をどきりとさせる。


「お帰りなさい。遅かったのね? お友達と何処かへ行っていたの?」


「あ、ああ。まあそんな感じだ」


「へえ……」


 興味があるのか無いのか。彼女はそうとだけ呟き作業へと戻った。台所で何やら料理をしているようだった。
 テーブルの方に目を向けると先程作ったばかりなのか、オムライスが二皿置かれてあった。ふわふわそうな卵からはまだ湯気が出ている。食事が用意されているなどと、珍しい事もあるものだと思った。


「今日誕生日でしょ? お祝いしようと思って」


「え?」


 自分でも怪訝な声を出したと自覚した。だがそれ程驚いたのだ。
 今まで一度も誕生日をお祝いするなど無かった母親が、急に今日何も告げずサプライズのようにこんな事をしている。逆に若干恐ろしくなった。


「何よ。私だってたまにはこういう事もするわよ。だって今日は隼人の十七歳の誕生日じゃない」


 私の表情から思考を読んだのか。心外なような顔をして母親はそんな事を言った。
 やけに十七歳というのを強調しているような気がした。気のせいかもしれないが、その年齢に母親自身、何か思い入れのある年齢なのだろうか。


「まあいいわ。冷めちゃう前に食べましょ? 食後にはケーキもあるのよ?」


 そう言う母親は笑顔で少し上機嫌のように見えた。何か良い事でもあったのだろうか。
 そこからは今一彼女と何を話したのか覚えていない。
 オムライスは割と美味しかった。ケーキも店で売られているものなのだから美味しいのは当然の筈だ。だが次の日には味など覚えていないだろう。それくらい母親との久しぶりの食事は上の空だったのだ。
 いきなり降って湧いたような親子水入らずの時間が余りにも唐突過ぎて正直戸惑っていた。早く終われとまでは思わないが、何を話せばいいのか良く分からない。私は色々と母親に質問をされ、淡々とそれに答える。教師らしく、設問は上手いし特に話す話題には事欠かなかった。
 気づいたら一時間程の時間が経っていて、順番にお風呂に入ろうという事になった。誕生日だからと先に入るよう促されるままに風呂に入った。


「……ふう~…………」


 風呂に肩まで浸かりながら長いため息を吐く。まるで仕事に疲れた会社員のようだと思った。
 風呂場の天井を仰ぎながら、終始上機嫌だった母親の笑顔と高野の言葉が頭に反芻していた。
 そう言えば最後の方母親がいつか空けておいてほしいというような事を言った気がするが、最早そんな事はどうでも良かった。
 明日から夏休みなのだ。時間は幾らでもあるし、いつだって私は空いているのだ。
 風呂に浸かったものの、熱くてすぐに出ようと思った。季節は夏。長風呂は直ぐに逆上のぼせてしまう。それでなくとも私は長く湯船に浸かるという事が苦手なのだ。
 風呂から上がり、自分の部屋に行き、ふと携帯にメールが来ている事に気づいた。
 ディスプレイに目を向けると椎名からであった。彼女からのメールは短くて単純。一言だけ。


『隼人くん誕生日おめでとう!! 』


 携帯の画面を消して机に置き、ベッドに横になる。長く息を吐いて天井を見上げる。
 今年の誕生日は案外悪くないなと思った。

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