私のわがままな自己主張 (改訂版)

とみQ

 ぴたぴたとコンクリートの地面を踏み締める感触を味わいながら一人歩いていく。
 今の私は周りの喧騒が救いのような気がしていた。
 四人で近くにいても大きな声で喋らなければ互いの声が届かない。結果必要以上の事は話さなくなる。そんな環境が今は有り難かったのだ。
 私は何処か上の空だった。
 このプールに来てから。いや正確には……。
 もういい。深く考えるのはよそう。こうやって他人と話す事が無くなれば直ぐに自分の殻に閉じ籠ってしまう。誰だってそうなのかもしれないが、私は特にそんなきらいがあった。
 だが今はそれすらも却って疲れてしまうのだ。理由は自分でも良く分からない。気疲れ、というやつだろうか。ため息が口から漏れる。
 私はやはり人と関わる事に向いていない。
 自分自身誰かに対しての気持ちや行動について考える事が本当に苦手なのだ。改めて思う。それは私にとって正直苦行以外の何物でも無い。
 今の私は気分的には大分落ち込んでいると言っていい。
 何というか、胸の中がもやもやして、心の周りに薄い幕が張り巡らされたように上手く自分が保てないというか。
 客観的に考えると別にどうだっていいではないかと思う。誰が誰にどう行動を起こした所で。私にとっては関係の無い事だと。いちいち気にしてしまう意味は無い。そう、どうだっていい筈なのだ。
 なのに。そう思っているのに結局上の空で時を過ごしてしまっているのだ。自分を上手く保てずに考える事を放棄したくてもいつの間にか考えてしまっている。そして考える事を放棄する事ばかり考えてしまい、結局堂々巡りという訳だ。
 本当に、こんな気持ちなど綺麗さっぱり無くしてしまえれば楽なのに。
 ああ、面倒くさい。心が疲れる。本当に、どうすればいいのか分からない。
 こんな鬱蒼とした気分なのに、見上げた空はどうしようもなく澄みきって晴れ渡っている。一体何なのだ、この気持ちは。


「ちょっと君島くん! なんでそんな先々行っちゃうのよ!?」
 

 後ろで椎名の声がした。ふと我に帰り周りを見回す。そこでようやく気づいた。私は一人先へ先へと階段を登っていたようであった。目の前には大きな滑り台。ウォータースライダーだ。そしてそこはもう一番高い滑り台の頂上部分。
 そういえば少し前に椎名が行きたいと騒ぎ出したのだ。行くや行かないやで少し揉めていた気もするが、結局椎名に押し負けて皆で取り敢えず行ってみようという事になったのだったか。いつの間にこんな所まで足を運んでいたのだろうか。本当に今のこんな自分に辟易する。


「隼人くんってば!」


 振り返れば椎名がすぐ後ろまで追い付いてきていた。少し下に高野とそれを気使い一緒に階段を上がってくる工藤の姿が見える。
 それを見た私は直ぐ様二人を視界の外側へと押しやった。


「君島ー! 何を急にノリノリになってんだよ! そんなにウォータースライダーやりたかったのか!? 高野がついてこれねーだろうが!」


 一階層下から工藤がそんな事を言う声が聞こえてくる。私は自己嫌悪に陥りながら高野に申し訳無いと思ってしまう。
 私は一体何をやっているのだろう。これではただの自分勝手な人間ではないか。


「もう……バカ。美奈が……かわいそうじゃない」


「え?」


 その呟きに反射的に椎名の顔を見てしまう。だが彼女はまるでそんな事は一言も言っていないかのように素知らぬ顔で私の横を通り過ぎ、下を覗き込んだ。


「うわっ! たっか~いっ!! 隼人くん見て見て! ここから下りるんだからっ!」


 そんな椎名の楽しそうな笑顔に私も一緒に下を覗き込んでみた。肝が冷えるとはこの事だ。
 下から見る景色とは全然違う。実際上から見ると恐怖心を煽るには充分過ぎる程の迫力であった。滑り台の角度もとても気軽に滑り降りるようなものでは無い。
 こんなのは自殺行為とすら思える程のその直下型のウォータースライダーに、私は途端に足が竦み上がった。そう思いつつも恐る恐る入り口に立ってこれから滑っていくであろう滑り台に視線を巡らせる。
 これはヤバイ。これを面白がって滑っていく人の気が知れない。
 ここのウォータースライダーは全部で三段階の高さがある。
 初心者向けの五メートル級、中級者向けの十五メートル級、そして最後に今私がいる上級者向けの二十五メートル級だ。
 高さで言うとビルの五階くらいはあるのではないだろうか。
 まだ午前中とはいえ中々の賑わいを見せているこの市民プールだが、ここまで登ってきている人は今の所私達だけだった。
 

「わっ!」


 そんな事を考えている矢先に椎名が信じられない行動に出た。
 私を後ろから驚かせようとしたのだ。更に良くなかったのが椎名が私の背中を押したという事だ。実際は軽くタッチした程度のものだったのだが声の大きさと相まって、滑り台付近にいた私の体を必要以上に跳ねさせ、その結果足を滑らせるには十分過ぎる程の威力があったのだ。
 ちょっと悪ふざけで脅かしてみたと、そんなつもりだったのだろう。だがそれでも私の恐怖心は最大限まで引き出され、物理的にも精神的にも越えてはいけない一線を越えてしまった。


「わっ!? うっ、うわあーーーっ!!」


「えっ!? 隼人くっ……きゃっ!?」


 そのままウォータースライダーの中に滑り落ちていく私の体。最早それを防ぎきるのは不可能。このまま落ちていくしか無い。 
 だがそれでも私の生きようとする生存本能のようなものが無意識下で働き、何か掴むものはないかと必死に手を伸ばしていた。すると当然そこにあるもの、手の届く距離の掴める物体と言えば椎名の足くらいしか無かったのだ。


「わっ、ちょっ! きゃあーーー!!!!」


「うわあーーーーー!!!」
 

 私は椎名を巻き添えにし、彼女の足の太腿部分にしがみついたまま一気にウォータースライダーを滑り落ちていったのだった。
 本来ならば相当大胆な行動だ。彼女の太腿の弾力に心は撃ち抜かれていたかもしれない。
 だが今はそんな事を考える余裕も浸る心も持ち合わせてはいない。
 遠くの方で、工藤と高野の叫び声が聞こえた気がした。それも直ぐに私と椎名の叫び声に欠き消されたのでと思う。


「ぐわあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!!!!!!!」
「きゃあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!!!!!!!」


 二人仲良く、と形容するのが正しいのかどうかは疑問が残るが、二人は叫び声を見事にハモらせながら一直線に地上へと滑り落ちていったのだった。
 やがて一瞬とも永遠とも思える時間の果てに私達二人はプールに盛大な水飛沫を上げながら放り出された。
 耳に残る水泡の音。それと同時に離れていく椎名の感触。
 私は今更ながらに恥ずかしい気持ちを込み上げさせながら水の中を少し潜り、ようやくプールから顔を出した。


「ぷはっ!!」


 プールは思いの外浅く、胸の辺りまでの水深であった。
 いざ冷静になってみると随分とそれは呆気なく、そこまで叫び声を上げる程のものでも無いように感じた。
 椎名の姿を求め周りを見回すと思っていたより少し遠い位置に彼女はいた。


「君島くん! こっち見ちゃダメ!」


 横目で私を見やり、背中を向けて肩まで水に浸りながら焦った声を上げる椎名。その剣幕に私は慌てて後ろを向いた。


「い、一体何だというのだ!?」


 彼女の方は向く事無く椎名に声を掛けると彼女は暫し沈黙して俊順しているようであった。
 離れた所から「うー」とか「むう……」とか聞こえてくる。


「水着……取れちゃったから」


 やがてそんな呟きが耳に届き、それと同時に目の前に緑色の小さな布切れのようなものが浮いているのが見えた。
 その呟きとプカプカと浮き舟のように水に浮いているそれが何なのか。判別するのに思った以上に時間を要した。


「隼人くん……。どこかに私の水着ない? ……あの、出来れば探して持ってきてほしいんだけど。こっちを一切見ずに」


「あ、あるぞ……」


「ほんと!? 良かった~……。じゃあすぐに持ってきて! こっち見ちゃダメだからねっ! あと紐の部分以外持つの禁止!」


 いつになく早口で捲し立てる椎名の声がテンパっていて少し可笑しかった。
 私は仕方無く水着の方へと近づきその小さな布切れの端を手に取って見た。
 改めて見ると緑色のそれは本当に小さなものだった。そしてこれが椎名のあれを今まで包み隠していたのかと思うと途端に緊張感を伴ってくる。


「は、早くっ!」


 そんな私の心持ちを察したように急かしてくる椎名。私は椎名に言われた通り布の端を持ったまま、彼女の方は向かずに一瞬見た彼女がいるであろう場所に水の中をひた進む。
 進みながらもしかしたら工藤か高野がもうすぐ降りてくるのではないかという事が頭を過った。高野ならまだいいが工藤が来たら椎名のあられもない姿を見られかねない。それはちょっと、正直憚られる。何気に急いだ方がいいのかもしれないと私は地を踏む足に力を込めた。その時だ。


「あ、ちょっ!? 隼人くんっ!?」
「うわっ!?」


 椎名もこちらに近づいてきていたのか。はたまた私の移動感覚がおかしかったのか。二人は誤りぶつかって、くんずほずれつ水の中に沈み込んでしまう。
 慌てて水上に出ようともがいたら足が床を滑り、体制を上手く立て直す事が出来ずにいた。しかもその拍子に水を飲んで、苦しさに更にもがく。
 手足を情けなくばたつかせ必死になった私の頬に、人肌の柔らかい感触が当たったようであった。それは私の頬に触れて丸いボールのような弾力を私に伝えてそして離れた。
 だがその取っ掛かりがあったお陰で私は足を地に着ける事に成功し、水上に何とか出る事に成功出来た。


「ごほっ! ごほっ!」


 咳き込みながらも肺に空気を取り込んでいく。水が気管に入って苦しかったが、一頻り咳き込んだ後ようやく落ち着きを取り戻し顔を上げた。
 そしたら少し距離を開けて、もう水着を着用したらしい椎名が私の方をじっと見ていた。


「ちょっと……大丈夫?」


「あ、ああ。何とかな……」


 椎名の顔が若干赤らんでいるように見える。気のせいでは無い筈だ。


「あの、しい……」
「ありがと! 水着取ってくれて! さ、行くわよ! たぶん美奈たち心配してるし!」


 私の言葉を遮ってバシャバシャと水飛沫を上げながら、プールの縁へと進んでいく椎名。
 私は一体彼女に何を言うつもりだったのだろう。
 彼女の後ろ姿を見て私もこの記憶には蓋をしようと思った。
 きっとこれを掘り下げた所で何も無いしどうにもならない。お互い直ぐに無かった事にして忘れた方がいいに決まっているのだ。
 私は少しゆっくりとした動作で彼女の後を追いかけていく。
 だが水から上がった彼女との距離は離れても、その後ろ姿からは目が離せないでいたのだ。

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