【電書化】運命のイタズラ電話に甘いおしおきを

水田歩

出会いはケアハウス13

 男性がシートベルトをはめたのを確認してから灯里は車を発進させた。

 灯里はバックミラーをチラチラと見た。
 男性はぼんやりと窓の外を見ている。

 どこで会ったのだろうか。

 今の職場。違う。
 
 デパートの化粧品売り場。男性と訪れる女性はいたが、覚えていない。

 灯里が勤めていた頃は「メイク男子」は売り場には来ていなかった。

 海の関係だろうか。

 海。スキューバのショップオーナー。波。金持ち達のクルーズ。網。波。泡。

 ドクン。
 心臓が不穏な音をたてた。
 イヤダ。オモイダシタクナイ。
 ひゅ。
 喉が鳴った。

「危ないっ」

 後ろから緊迫した声が飛んで、灯里は慌ててブレーキを踏んだ。

 パアーン!

「馬鹿野郎!」

 非難のクラクションと怒声が灯里に浴びせられた。 しかし、彼女の耳には入ってこない。

 は、は、は。
 獣のような切迫した息が聞こえる。
 誰。

 同時に手足がひんやりとしてきた。
 まずい。

 緊迫感を感じられず、どこかに残っている理性が警告を発しているが、それすらも夢の中のように思えてしまう。

 貧血のようだ、とぼんやりと自分の状況を認識した。

「落ち着いて。右に曲がって。右だよ、わかる? ボールペンをもつ手」

 後ろから男性の声が聞こえた。
 同時に右肩を軽く叩かれる。

 とてもしっかりした声だった。
 ――思わず、指示に従ってしまいたくなるような。

 灯里はノロノロと方向指示器を動かす。
 信号が右折になると、ハンドルを切りながらゆっくりとアクセルを踏んだ。

 車が制限速度以下で動き出す。
 パッシングされ、クラクションも鳴らされている様だが、灯里には聞こえない。

 男性も落ち着いているようで、彼の指示にだけ灯里は集中した。

「次の信号を左。わかる? 心臓があるほうの手だよ」

 今度は左肩を叩かれた。
 はあはあと灯里は深呼吸をしながら男性の指示に従う。

 周りの景色がラブホ街になった。

「十メートル先。オレンジの暖簾のところが空室になってる。わかる? 今のままアクセルを踏むんだ。力を入れなくていい。左、心臓のあるほうにウインカーをつけて進入して」

 もう一度左の肩を叩かれる。
 灯里は車をラブホテルの駐車場に止めた。

「エンジンを切って、ブレーキを引いて」

 振動が止まると、後ろから大きな呼吸音が聞こえた。

「はぁーっ、焦った。海難救助のプロがオカで二度も交通事故に遭うなんて、シャレにならない……」

 なにか言ってるようだが、灯里には意味がわからない。

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