アナザー・デイズ 1977

kenji sugiuchi

第3章 〜 2 千尋と翔太(5)

 2 千尋と翔太(5)
 


 玄関入ってすぐの左側にトイレはあって、そこは当然、台所のある方なのだ。
 ――じゃあ、わたしが台所で寝るから……。
 なんてことを心に思ったとほぼ同時、
「台所は、ゴキちゃんが凄いからなあ〜」
 なんて彼の言葉に、千尋はただただ目を見開いたのだ。
 そうして二人は結局、朝まで話をしようと決める。幸い明日は月曜日で、学校さえ耐えればアルバイトは休み。
 それは天野翔太にとっても同様で、彼の職場も月曜日はお休みだ。
 ところがそれから聞いた話が、千尋にとっては衝撃だった。
「ねえ、天野さんのこれまでのことを聞かせてよ」
「これまでって?」
「どこで生まれたとか、学校はどこに行ったとかさ、ご両親はなにしてる人で、今はどこにいらっしゃるとか、いろいろと、あるじゃない?」
 ほんの気まぐれでの発言だったが、彼は驚くくらいにしっかり話してくれるのだった。
 ――え? そんなことまで!?
 ってくらいに何から何まで話してくれて、彼が施設に入ったところで千尋は思わず声にしていた。
「ねえ、もし言いたくなかったら、話さなくたっていいからね?」
 最低だった父親が消え去って、貧乏を絵に描いたような生活からさらに、施設での苦難が待ち受けている。
 涙までが滲み出て、千尋は翔太を見つめて声にした。
 すると申し訳なさそうに、
「ごめん、そうだよな、こんな話、イヤ、だよな……」
 そんなふうに返してきたから、千尋は必死に首を左右に振ったのだ。
「こんな話でもさ、聞いてくれる人がいるって、いいなって思っちゃって、ついつい話し過ぎちゃったよ、ごめん……」
 これまで自分の人生を、人に話したことなどなかったからと続けて、
「もしさ、これで俺が明日、いきなり死んじゃったとしても、千尋ちゃんが覚えていてくれるだろ? しばらくの間でもさ……俺っていう人間が、ここでちゃんと生きていたってことをね……」
 そう呟くように言った後、彼はなんとも言えない笑顔を見せた。
 ――この人絶対、わたしを泣かそうとしている!
 なんて素直に思っちゃうくらいに心が震えて、千尋は流れ出そうとする涙を必死になって耐えたのだった。
 きっと、コンビニで買ったサワーのせいだし、あまりに自分と違う生い立ちに、ただただ驚いたってだけなんだろうと思う。
 それでもこれ以降、ちょっと優しいノッポの隣人さんって感じから、一気に気になる存在となり、三日会わないだけで心が〝モゾモゾ〟し始める。
 だから週に二回はバイト終わりに「DEZOLVE」に顔を出し、勧められるカクテルなんかを一時間ほど楽しんでから帰宅することにしている。
 そんな時、勇気を出してどこかに誘おうか? などと思ってみるけど、もしも断られたりしたら……?
 ――このアパートに居られなくなっちゃう!
 そうなったら困るから、千尋は絶対言葉にしない。
 そうしてあの日も、一時間しないくらいでさっさと店を後にした。

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