アナザー・デイズ 1977
第1章 〜 5 天野翔太(藤木達哉)(6)
5 天野翔太(藤木達哉)(6)
ところがそんな強張った顔のまま、彼が視線を男へ移すと、男の顔付きが一気に変わった。既に笑みはその顔になく、男は慌てて大型犬に駆け寄って、リードを手にしてさっさと背中を向けてしまうのだ。
まだまだ去り難い思いで一杯の飼い犬を、男は両手で引っ張りながら土手の方へと歩いて行った。
すると彼女は慌てて犬を抱き上げ、何度も何度も翔太に向かって頭を下げる。
その時思わず、彼は彼女の苗字を口にした。
変に思われないかと後悔したが、
「あ、もしかして、仕事中にお会いしてますか?」
などと言って返し、強張っていた表情が一気に明るくなったのだった。
きっとこれまでに、似たようなことがあったのだろう。
「わたし、しょっちゅうネームプレート外すの忘れちゃうんです。だから〝綾野〟って名前、この界隈で結構知られていたりして……」
そう続けて笑顔を見せる彼女とは、これ以降、あっという間に親しくなった。
と言っても週に何度か公園のベンチで話す程度だが、それでも彼にとっては何より楽しいひと時となる。
そしてこの日、久しぶりに出会った彼女は、彼を家まで送ると言い張ったのだ。
もう大丈夫だと声にしても、
「わたし今日、仕事お休みなんです。だから何を言われたって付いていきますからね、天野さんのご自宅まで……」
そう言って彼のそばから離れようとしない。
どうせボロアパートを目にすれば、さっさと退散するだろう。そう思っていたのだが、綾野という女性は全くもってそうじゃなかった。
鍵を開けた途端、さっさと自ら部屋に入り込み、
「押し入れ、失礼しますね〜」
そう声にしたと思ったら、いきなりせんべい布団を敷き出した。
――ひどい顔をしている。
――絶対どこか悪いか、どうしようもなく疲れているに違いない。
――だから素直に、横になってください!
さっき起きたばかりで、まだ寝ませんよ……と、笑いながら声にすると、彼女は一気にそんなことを捲し立てた。
きっとこっちはそんな顔に、すでに見慣れてしまっているのだろう。
あと半年も経たないうちに、普通の生活ができなくなるのだ。このひと月ちょっとで、彼女が驚くくらいに変わったからって不思議じゃない。
――どうする? 話してしまうか?
しかし……朝の散歩で話すくらいの関係で、そんな打ち明け話をされたらそれこそ大迷惑だ。すぐにそう考え直し、素直に横になろうと決めたのだった。
ところがあっという間に、彼は眠り落ちてしまう。
「お休みになられたら、わたしは静かに出ていきますから……」
鍵はポストに入れておくので、目が覚めたらすぐに取って欲しいと、そんな言葉までは覚えていたが……、
――あれで、俺はすぐに寝てしまったのか……?
それ以降のことを、彼はまったく覚えていない。
やはり彼女が指摘した通り、それなりに疲れが溜まっていたのだろう。
そうして目が覚めるのは、かなり日の傾いた頃。台所には夕食の惣菜が並べられ、彼女の置き手紙と食材の余りが残されている。
ところがそんな強張った顔のまま、彼が視線を男へ移すと、男の顔付きが一気に変わった。既に笑みはその顔になく、男は慌てて大型犬に駆け寄って、リードを手にしてさっさと背中を向けてしまうのだ。
まだまだ去り難い思いで一杯の飼い犬を、男は両手で引っ張りながら土手の方へと歩いて行った。
すると彼女は慌てて犬を抱き上げ、何度も何度も翔太に向かって頭を下げる。
その時思わず、彼は彼女の苗字を口にした。
変に思われないかと後悔したが、
「あ、もしかして、仕事中にお会いしてますか?」
などと言って返し、強張っていた表情が一気に明るくなったのだった。
きっとこれまでに、似たようなことがあったのだろう。
「わたし、しょっちゅうネームプレート外すの忘れちゃうんです。だから〝綾野〟って名前、この界隈で結構知られていたりして……」
そう続けて笑顔を見せる彼女とは、これ以降、あっという間に親しくなった。
と言っても週に何度か公園のベンチで話す程度だが、それでも彼にとっては何より楽しいひと時となる。
そしてこの日、久しぶりに出会った彼女は、彼を家まで送ると言い張ったのだ。
もう大丈夫だと声にしても、
「わたし今日、仕事お休みなんです。だから何を言われたって付いていきますからね、天野さんのご自宅まで……」
そう言って彼のそばから離れようとしない。
どうせボロアパートを目にすれば、さっさと退散するだろう。そう思っていたのだが、綾野という女性は全くもってそうじゃなかった。
鍵を開けた途端、さっさと自ら部屋に入り込み、
「押し入れ、失礼しますね〜」
そう声にしたと思ったら、いきなりせんべい布団を敷き出した。
――ひどい顔をしている。
――絶対どこか悪いか、どうしようもなく疲れているに違いない。
――だから素直に、横になってください!
さっき起きたばかりで、まだ寝ませんよ……と、笑いながら声にすると、彼女は一気にそんなことを捲し立てた。
きっとこっちはそんな顔に、すでに見慣れてしまっているのだろう。
あと半年も経たないうちに、普通の生活ができなくなるのだ。このひと月ちょっとで、彼女が驚くくらいに変わったからって不思議じゃない。
――どうする? 話してしまうか?
しかし……朝の散歩で話すくらいの関係で、そんな打ち明け話をされたらそれこそ大迷惑だ。すぐにそう考え直し、素直に横になろうと決めたのだった。
ところがあっという間に、彼は眠り落ちてしまう。
「お休みになられたら、わたしは静かに出ていきますから……」
鍵はポストに入れておくので、目が覚めたらすぐに取って欲しいと、そんな言葉までは覚えていたが……、
――あれで、俺はすぐに寝てしまったのか……?
それ以降のことを、彼はまったく覚えていない。
やはり彼女が指摘した通り、それなりに疲れが溜まっていたのだろう。
そうして目が覚めるのは、かなり日の傾いた頃。台所には夕食の惣菜が並べられ、彼女の置き手紙と食材の余りが残されている。
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