アナザー・デイズ 1977

kenji sugiuchi

第1章 〜 5 天野翔太(藤木達哉)(5)

 5 天野翔太(藤木達哉)(5)



「まだ、お具合悪いんですか?」
 訳がわからずキョトンとすると、彼女はさらに沈んだ声で言葉を続けた。
「ここひと月くらい、ぜんぜんいらっしゃらないから、本当に心配していたんですよ。こんなことなら、お住まいがどこかくらい、チャチャっと聞いておけば良かったって、後悔してたんですから……」
 ここのところ……よく胃が痛み、医者に行こうかと思ってる。 
 そんな話を聞いてから、彼は一切、彼女の前に現れなくなった。
「あの公園には、もういらっしゃらないんですか?」
 そんな言葉を聞いた途端に浮かんできたのは、不思議なくらいに鮮明な景色。
 ――そうだ……河川敷にある、公園だ……。
 暗闇から一気に抜け出たように、それはあまりに鮮明なるものだった。
 毎朝のように川っぺりまで散歩して、河川敷にある公園のベンチに腰を下ろして本を広げ、辺りの景色に目を向ける。そうして季節折々の変化をしばし楽しんで、帰宅するのが天野翔太の習慣だった。
 実際、そのコース自体は違ったが、今もそんな習慣はほぼほぼ変わっていないのだ。
アパートのすぐそばに、ここ数年で大きな施設ができたのだった。
そこは特別養護老人ホームで、彼女はそこに勤める介護職員。老人の乗る車椅子を押して、施設の近所を散歩している姿を何度も見かけた。
 女性はいつも優しい笑顔で、老人に向かって何やら話しかけている。
 たったそれだけのことだった。なのに妙に気になって、ネームプレートにある名前を頭にしっかり刻み込んだ。
 そうしてある早朝のこと、なんと彼女が子犬を連れて姿を見せた。もちろん相手は彼のことなど知りはしないから、彼の座るベンチの前をさっさと通り過ぎてしまうのだ。
 本当ならば、声など掛けずに終わってしまう筈だった。
 ところが運がいいのか悪いのか、大型犬の登場によって状況は大きく変化する。
 女性がその存在に気が付く前に、子犬がいきなり全速力で走り出した。彼女の手からリードがすり抜け、子犬は大型犬に向かって一直線だ。
 一方大型犬の飼い主の方は、百キロ近くはありそうな巨漢の男。
子犬は大型犬から数メートルのところまでやって来て、キャンキャンと吠えるばかりでそれ以上は近付こうとしない。女性も慌てて駆け寄ってきて、リードを必死に掴んで大型犬から離そうとする。
 その時だった。いきなり男がリードを離した。
大型犬は待ってましたとばかりに突進し、今にも噛みつこうとばかりの体勢なのだ。
 女性は泣きそうな声で制止を叫び、男の方はそんな姿を楽しんでいるようで、顔には笑みさえ見えるのだった。
そんな状況を予想したわけじゃない。
逃げ出した子犬を捕まえてあげようと、そんなふうに思っただけだ。
ちょうど女性に追い付いた時に、リードが男の手から放たれたのだ。もちろんこっちは還暦過ぎのジジイだし、まさに骨と皮ばかりの枯れ木のような存在だ。
それでも身長だけは一メートル九十センチ近くある。いくら大きい犬だろうと、地上一メートルくらいから見上げれば、きっと恐ろしいに違いない……などと即行思って、彼は一気に子犬の前に飛び出した。
腕組みをして、真上から大型犬を見下ろしながら大きな声を出したのだ。
「やるならやってみろ! 人間様を舐めるんじゃないぞ!」
 自分でも驚くような大声だったが、内心、これでダメだったらどうしようかとドキドキだった。

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