あなたの寵妃でかまわない ~騎士令嬢は吸血公爵に溺愛される~

龍田たると

第35話◆

 
 ルーファスの意識が覚醒したのは、まさにソフィアの胸に切っ先が突き入れられた時だった。
 白刃が彼女の背中を突き破る。
 数瞬の静寂の後、ジュリアスは添えた左手をつっかえ棒にして、右手で剣を引き抜いた。

 力なく両ひざをつくソフィア。
 魔力の鎖が解かれ、そのまま彼女が前に倒れる数秒が、ルーファスの目にやけにゆっくりと映った。

 何が起こっているのか、すぐにはわからなかった。
 しかし、周りを囲む顔ぶれで思い出し、理解する。
 自分が親友たるジュリアスを罠にはめたこと。
 そして、ジュリアスも魅了の魔力に取り込まれ、ソフィアをその手にかけてしまったであろうことを。

 ルーファスは二人の名を叫ぼうとした。
 が、声が出せなかった。
 声だけではない。縛られていることとは無関係に体の自由がきかなかった。
 覚醒したのは意識だけ。まだ肉体はディートリンデの魔力に支配されたまま。

(僕のせいだ……。僕の軽率な行動のせいで、二人をこんな目に……!)

 その慟哭すらも届かない。
 一同の目はソフィアとジュリアスに集まり、誰もがそちらの行く末を注視していた。

 ジュリアスは剣を手にしたままソフィアに背を向けた。
 その剣からは血がしたたっている。
 左手にも同じ血がべったりと付着し、彼の両手は鮮血に染められていた。
 ジュリアスは先刻総大司教から渡されたワイングラス──一旦テーブルに置いていたそれの上に剣先をあてがい、血のしずくを器に溜めていく。

「誰か、その中から赤を一本取ってくれるか」

 彼が視線を向けて言った先には、ルーファス所有のワインがしまってあるショーケースがあった。
 総大司教が配下の魔術師に命じ、ジュリアスのもとにそのうちの一本を持って行かせる。
 ジュリアスが魔術師に指示し、血にも似た赤い液体がグラスに注がれると、本物の血と混ざり合って両者の境目はわからなくなった。

「さあ、望みのものだ」

 血濡れの手を向けて、ジュリアスは総大司教に差し出すように示した。
 配下の魔術師がそのグラスを総大司教のもとへ運ぶと、そこで老人は初めて恍惚の表情を見せる。

「おぉ……ついに……ついに、不死の血が我が手の中に……!」

 そして彼は興奮する様子を隠そうともせず、その歳でと周りが心配になるくらいの勢いでグラスの中身をあおる。

 飲み干したのを見て、小さく社交辞令の拍手をするディートリンデ。

 一方、騎士団長オートマルトは頭を掻いて不機嫌な様子で言った。

「おい、次は俺の番だ。早くしろ」

 だが直後、それとはまた別の方向から声が上がる。

「あぁ、もうたくさんだわ! いい加減にしてちょうだい!」

 その声の主は、イボンヌ・ブルオーノ。
 彼女は嫌悪感をあらわにして、ニアベリルやディートリンデに向けて言い放った。

「よくもまあ、こんな悪趣味な茶番を笑って見ていられるもんだね! あんたも、そっちの嬢ちゃんも! ここにいる全員が正気の沙汰じゃないわ! あたしはもう結構、ここで帰らせてもらう!」

 配下の男たちが驚き、慌てて「大親おおおや様!」と彼女を留めようとするも、女主人は取り付く島もなく出口へ向かう。
 その背中へと、総大司教が声をかける。

「いいのかね、ミセス・ブルオーノ。お孫さんの体を治せなくても」
 
 一瞬だけブルオーノの足が止まる。
 しかし、彼女は振り向かずに啖呵を切った。

「人にはね、越えちゃいけない一線ってものがあるんだよ。あたしも金のためにさんざんあくどいことやってきたけどね。こういう狂った宴を見て楽しめるほど、まだ気が触れちゃいないのさ。孫息子のことは切羽詰まってるわけじゃない。また別の治療法を探せばいいだけさ」

 どうやらブルオーノは孫の病を治すために吸血種の血を求めていたらしい。
 彼女の家族は人数が多い。息子や娘、その配偶者、あるいは血縁関係のない里子なども複数いたため、年端も行かぬ孫の病状などはジュリアスの調査でも範疇外だった。

「無理だよミセス。この血でもなければ病は治らない」

 総大司教ニアベリルは歩き出そうとするブルオーノにそう断言した。

「はっ、根拠も無しに馬鹿をお言いでないよ」

「根拠ならある。何故なら、君の孫の病気は私の呪術によるものだからだ」

「──!?」

 驚愕の様相で振り返るブルオーノ。
 直後、総大司教は右手の指を鳴らす。
 それがトラップの発動条件だった。

「ぁ──か、は……ッ!」

 ドサドサと、ブルオーノとその配下の者全員が血を吐いて倒れ込む。

「ニアベリル、貴様、何を!」

 明らかな異常事態にオートマルトが剣を抜いて構える。

「おっと、君もだ」

 と、ニアベリルは今度は逆の手で指を打ち鳴らした。
 すると同じように、騎士団長とその部下たちも口から血を流し、次々と床に崩れ落ちる。

「あ……がっ、これはっ……!?」

「ブローチの毒だよ」

 総大司教は何でもないことのように言った。

「君たちに渡した対魔力のブローチには、中に毒針が仕込んであったのだよ。私の念で針が飛び出して、付けた者の命を奪うつくりになっている。君たちが裏切った時の保険というやつだ」

「何、ですって……」

「ブルオーノ女史も騎士団長も、本当にいい仕事をしてくれたよ。君たちの情報網がなければ解呪の血を手にすることはできなかった。まぁ、自分の死因すらわからないのはさすがに不憫。だからこうして最後に教えてやっているというわけだ」

「貴、様ッ……!」

「いやしかし、ミセスはともかくとして。オートマルト君、君はいささか軽率にすぎると思うのだがね。不死の血欲しさというよりも、私への対抗心だけでこの場に同席するというのは。争う相手が敵に旨い話を持ち寄るなど、怪しいとは思わなかったのかね?」

 ニアベリルは地に伏したオートマルトを笑う。

 当然、一国の騎士団長ともあろう者が警戒しなかったわけはない。
 ただ、彼には焦りがあった。総大司教にさらなる力を与えてなるものか、自らも同等のものを得なければという気持ちゆえ、オートマルトはニアベリルの話に乗ってしまった。
 そして、彼自身は気付いていないが、その心理を巧みに突き、密かな情報操作によって彼を煽り操ったのは、他ならぬ目の前の総大司教であった。

「おのれがぁッ……」

 オートマルトは、ついぞその事実を知ることなく息絶える。

 それはブルオーノも、二人の配下の者も同じだった。
 即効性の毒は十数名の命を一気に奪い去っていった。

 残ったのは総大司教と彼の手勢の魔術師たち。そしてディートリンデ。
 さらには、そのディートリンデにひざまずくジュリアス。


(くそ……くそぉおおっ!! 動け、僕の身体、動けよぉっ!)

 ルーファスは悪夢のような光景を目の当たりにしながら、依然として動きを封じられていた。
 表情にも出せず、身体もぴくりとも動かない。
 ただ、彼の瞳から一滴の涙だけがこぼれてじゅうたんへと吸い込まれていく。

「見苦しいところをお見せした。これらの死体はすぐに片付けさせよう」

 邪魔者を排除したニアベリルは淡々とディートリンデに言った。

「おじさまも案外悪いお人ね。この人たち、すっかり騙されたって感じの顔だったわ」

「騙し騙されはこの世の常だよ。君も足もとをすくわれないよう、ゆめゆめ気をつけることだ」

「お気遣い痛み入りますわ。でも、私の周りって良い人たちしかいませんの」

 余裕の表情で笑い合うが、両者ともに目は笑っていなかった。

 ニアベリルもディートリンデも、信用し合っているわけではない。
 協力関係にあるのは利害が一致しているからにすぎない。
 むしろ両者とも、いつ裏切るか、どこまで利用できるかを互いに見計らっているところなのだろう。

 そのうえで、少なくとも表面上は相手を受け入れているように振舞えるのは、二人ともが自分の力に絶対の自信を持っているからだ。

 ブルオーノが言った通り、まさに狂った宴だとルーファスは思う。

(イカれてる……。今後こいつらが同族の吸血種としてやっていくというなら、この国はとてつもなく危ういことになる……!)

 果たして王子の危惧した通り、二人の会話はアルマタシオをいかに牛耳るかということにまで及ぶ。
 明言こそしないが、ルーファスとジュリアスをどう使って国の中枢を乗っ取るか、その展望をよこしまな顔で語り合う様子に、ルーファスは背筋を凍らせた。

 そして、しばしの雑談の後、ディートリンデはニアベリルを覗き込んで言う。

「あら、おじさまの目、赤くなってるわね。これで本当に私たちと同じ不死の吸血種になったということかしら」

 ニアベリルは白髪の老体ゆえ、一見での髪色の変化だけではわかりにくかった。
 だが今やディートリンデの言う通り、瞳の色も変わり、髪もまばらに色が残るものから完全な銀髪へ。吸血種としての外見に変わっている。

「……何だと?」

 しかし総大司教は彼女の言葉を聞き、戦慄の様相を見せた。

「おい、誰か手鏡は! 顔を映すものを持ってないか!」

 何故かひどく慌てた様子で人を求める。
 配下の者たちはそれに驚き、急いで彼のもとへと手鏡を持っていく。
 ニアベリルは実際に自分の目の色が変わっていることを確かめると、「ありえん……!」と低くつぶやいた。

「どうかしたの? 変わったってことは、ちゃんと効果が出てるってことじゃない。そんな怪しむことでも──」

「違う!」

「え?」

「馬鹿か貴様は。私は解呪の血を飲んだんだぞ! 他者の血による支配を受けない解呪の血をだ! 報告では、それを飲んだ魔獣は外見上の変化はなく、ただ不死の特性が付与されるのみとあった。つまり、私の目の色が変わることは明らかにおかしいんだ! 何故だ……何故こんなことが──」

 今までにない主の動転。
 その動揺が配下の魔術師たちにも伝播してゆき、場は一時騒然となる。

 その時、ニアベリルは気付いていなかった。
 ディートリンデも、他の魔術師たちも。総大司教の方に気をとられ、見えていなかったことがある。
 
 ディートリンデの傍らで膝をつき、控えていたはずのジュリアス。
 魅了の魔力を流し込まれ、操り人形となったはずの彼がいつの間にかその場を離れていた。
 ジュリアスは今、倒れたソフィアの傍に立っている。そのことに誰も気付かない。

 やがて一人の魔術師が異変に気付き、二人三人、最後には全員が彼へと視線を向けた時、ジュリアスは抑揚のない声を広間に響かせた。

ひざまずけ」

 おそろしく冷ややかな声だった。

 どうなっている、こいつは何を言っているんだ。魔術師たちがざわめき、顔を見合わせる中、なんと前列のニアベリルが一人弾かれたようにその命令に従う。

 総大司教は無言で膝をついてこうべを垂れる。
 まるで魂を入れ替えたかのごとく。その動きは老体とは思えない機敏さだった。

 「えっ」と、声を漏らすディートリンデ。
 主人の行動に理解が追い付かない魔術師たち。

 続けてジュリアスは彼に命じた。

「そのまま顔を上げるな。声も出すな。今後お前が喋っていいのは、俺の命令にうなずく時だけだ。
 重ねて命じる。この場にいる──俺に盾突くすべての者を、ただちに拘束しろ」

「御意」

 ニアベリルが瞬時に魔法を発動させ、光の結界がディートリンデと魔術師全員を閉じ込める。

 老魔術師の顔からは意志と呼べるものが消えていた。
 さっきまでの狼狽すらなく、蝋人形の面を貼りつけたかのようだった。

「ど……どういうこと。おじさま、あなたは何を──」

 ディートリンデの言葉は光の壁に遮られる。
 どちらにしろ、総大司教は答えない。

 ジュリアスは目の前の敵を一顧だにせず、足もとで倒れているソフィアへと手を差し伸べて言った。

 今度は優しく、いたわるような声で。
 彼女だけに見せる安らかな微笑とともに。
 
「もういいぞ、ソフィア。……起きてこい」

 その言葉に、心臓を刺されたはずのソフィアはゆっくりと顔を上げる。

 彼女は、主の手を取った。


コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品