あなたの寵妃でかまわない ~騎士令嬢は吸血公爵に溺愛される~

龍田たると

第30話◆

 
 ジュリアスがルーファスの別荘に着いたあたりまで時はさかのぼる。
 馬車から降りたジュリアスは王子自らの出迎えを受け、邸内へと足を踏み入れた。

 招待された場所は、郊外にある王族所有の屋敷の一つ。
 もっぱら夏の間しか利用されず、それ以外のシーズンはルーファスだけが使っているため、今や彼専用の別宅も同然となっているものだった。

 その夜は空が雲に覆われ、月の光も地に届かなかった。
 暗さもあり、ルーファスの顔色もいくぶん青白く見える。

 否、決してそれだけではないのだろう。
 ここ最近の多忙さゆえに、着実に疲労が溜まってきているのだ。
 前を歩く友のおぼつかない足取りからジュリアスはそう推察し、「大丈夫か」と声をかける。
 ルーファスはどこかうわの空で「ああ、うん」と返す。
 これは今夜の打ち合わせは早めに切り上げてやるべきだな──ジュリアスはそんな思いとともに、友の背中に優しいまなざしを向けた。


 ……が、しかし。


 長い赤じゅうたんの廊下を歩くさなか、ジュリアスはかすかな違和感を覚え、眉を寄せた。

(どういうことだ……?)

 この屋敷には何度か来たことがあるが、ただよう空気がおかしい。

 屋敷内に人の気配がないのだ。
 少数なりとも使用人が控えているはずなのに、一人として姿が見られない。

 また、何とはなしに辺りが暗いのも気になった。
 曇り空であるにしても、邸内を照らす灯りの数も少ない。

 さらには時折聞こえる小さな水音。
 雨も降っていないのに、歩く先の方から雫が落ちる音がしていた。
 距離としてはちょうど前を歩くルーファスのいるあたり。つかず離れず、一定の間隔で耳に響いてくる。

 いつもだったらそれだけの違和感があれば、すぐにジュリアスは警戒の意識を外へ向ける。
 しかし今夜、見知った親友の邸宅であるという安心感が、彼の判断力を大きく低下させていた。

「なぁ、ルーファス。何か変な音が──」

 そう言いかけたところで、ちょうど二人は突き当たりの広間に行き着く。
 ルーファスは答えず、扉を開ける。
 「さ、入って」と、抑揚のない声がジュリアスを促す。

 小さな疑問符を浮かべつつもジュリアスは部屋へ入った。
 室内はさらに暗く、どうなっているのか一目ではわからなかった。
 それにしても、何故異変を感じた時点で退くことを考えなかったのか──後から悔やんでも詮無いことだが、皮肉にも親友に遠慮する気遣いの気持ちが、逆にジュリアスに隙を生じさせていた。

 バタンと扉が締められ、同時に鍵がかかる。
 誰かが触ったわけではなく、鍵は魔力によって自動でロックがかけられた。

「?! ルーファス!?」

 金属の錠に青白い結界の糸がはしる。
 直後、それが合図であったかのように、何故かルーファスは突如として声をあげた。

「に、逃げろっ……逃げるんだ、ジュリアスっ……!」

 先程までの口調から一転、荒く、苦しげに掠れた声だった。
 扉を締めたのは彼自身なのに、その言動は支離滅裂で。
 ルーファスは力なく膝をつく。ジュリアスの背に悪寒が走り、部屋の明かりが一斉に灯る。
 
「なっ……」

 その光景──明らかになったルーファスの姿に、ジュリアスは言葉を失った。
 彼の両足、太腿の部分は、衣服の上から刺したような穴と痕があり、大量の血が染み出していた。
 まだ新しい傷。吸血種の回復力で重傷には至らないが、血は乾ききっておらず、黒のボトムスにべったりと張り付いている。
 水音の正体はこれか──暗さとじゅうたんの赤色のせいもあるが、今の今まで気付けなかったことはジュリアスにとって致命的な失態だった。

 ジュリアスは自分たち以外の気配を感じ、前方に振り返る。
 そこにいたのは複数名の男女。
 知っている顔。だが、ほとんどは会ったことのない初対面の者たち。

「……! 貴様ら……!」

 同族の吸血種ではない。
 総大司教、グンター・ニアベリル。
 騎士団長、パウル・オートマルト。
 豪商、イボンヌ・ブルオーノ。
 いずれもソフィア襲撃の首謀者と目された、グランセアの権力者たちだった。

 そして、彼らの他にもう一人。

 人間から吸血種になった、銀髪の少女が。
 夜会の場で騒ぎを起こし、勝ち誇った表情が記憶に新しい、あの少女が。
 本来ジュリアスの寵妃になるべきだった、あの少女がいた。


 ディートリンデ・サラドゥアン。


 以前と同じ笑みの令嬢を見て、ジュリアスはすべてを理解する。
 ソフィア襲撃の首謀者が以前予想した三人だけではなかったことを。
 さらには、ルーファスの不可解な言動のわけを。

 三人と同格か、さらなる黒幕か。
 『魅惑の姫君』ディートリンデも首謀者のうちの一人だったのだ。
 
 そして、彼女の持つ魅了の魔力。
 ルーファスのおかしな挙動は、彼がその毒牙にかかってしまったことを端的に示していた。

 王子はエリオットを診に、サラドゥアンの屋敷に通っていると言っていた。
 ならば往診の際、同じ屋敷に住むディートリンデの魔力の影響を受けたとしてもおかしくはない。
 むしろ彼女がルーファスを狙い、故意に魅了の力を使ったのならそれこそ逃れるすべはないといえる。

(そうか……迂闊だった。気付ける機会はいくらでもあったというのに……!)

 思い返せば数日前からのルーファスの疲れ。あれも単なる過労ではなかったのだ。
 魅了の魔力に侵されていたがゆえの消耗。
 かろうじて絞り出した「逃げろ」の台詞は精一杯の抵抗の証。

 まだ完全に精神を支配されたわけではなかった。
 今のように正気を取り戻した時はルーファス本来の言動が表に出てくる。
 それでも、まるで人格が分裂したかのように平然と嘘をつき、こうしてジュリアスを屋敷に誘いこんだのは、ディートリンデの魔力の強大さを物語るものだった。

 ルーファスはそこで限界に達したのか、床の上に崩れ落ちた。
 言葉もない。
 意識を失い、さながら糸の切れた人形のようだった。
  
 結局、ジュリアスの立てた作戦はすべて筒抜けだったのか。 
 いずれにせよこうして機先を制されてしまった以上、その策は無意味なものとなったわけだが、それ以上にルーファスが裏切ったという事実がジュリアスの心を強く苛む。

(いや……違う。裏切ったんじゃない! こいつは……ルーファスは、ずっと抗っていた! ……戦っていたんだ!)

 ジュリアスは先日のルーファスの言葉を思い起こす。
 犯人を一人と決めつけるな、慎重でありすぎるくらいがちょうどいいと友を諫めたその言葉は、とても嘘だとは思えなかった。

 事実、それは本音だった。
 ルーファスの助言は本心からのものであり、支配下にありながらも何とか危機を伝えようとしていた。
 三人とも疑うべきだと言ったのは、三人が犯人だと知っていたから。

 今、ジュリアスの目に映っている太腿の流血もそうだ。
 他者から付けられた傷ではない。
 すでに洗脳された者を拷問しても意味がないのだ。
 この傷は正気を保とうとして自分で刺したもの。それ以外には考えられない。
 己を傷つけてまで、意識が失われるまで、ルーファスはジュリアスたちの身を案じていた。
 ジュリアスはそれを悟り、気付けなかった自身の不甲斐なさを恥じる。
 彼はルーファスをかばうように立ち、強い怒りの眼光で敵をにらみつけた。 
 だが──
 
「ごきげんよう、公爵様。今宵の集まりにお越しいただき、とても嬉しく思いますわ。これから始まる素敵な宴を、どうぞたっぷりと楽しんでいって下さいましね」

 ディートリンデが下卑た笑みとともに言った。
 部屋一面が彼女の魔力の香りに包まれる。

 一手の遅れ。
 無防備に敵地に立ち入った時点で、ジュリアスの負けは決定していたのだった。


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