あなたの寵妃でかまわない ~騎士令嬢は吸血公爵に溺愛される~

龍田たると

第21話

 
「ジュリアス様、剣を貸してください」

 今一度、私は彼にそう頼んだ。
 その気迫がどれほどだろうと、現実問題として二十人もの男たちを前に勝ち目があるとは思えなかったからだ。
 ここは戦うのではなく、生き残ることに徹するべきだ。
 銀の剣を持ってない者を狙い、相打ち覚悟で斬り伏せてから一点突破でそこを走り抜ける。
 一瞬でも一対一の状況を作れるなら負けはしない。
 そんな目算を頭の中で立てつつ、武器を請う。
 しかし、それでも我が主は首を縦に振らなかった。

「お前は下がっていろ。ここは俺がやる」

「何を言ってるんですか。退路は私が拓きます。絶対にあなたを守りますから、どうか──」

「ダメだ」

「いえ、あの……」

 「ダメだ」って。そんなことを言ってる場合じゃないんだけど。
 それとも彼は私以上に剣の腕に自信があったりするんだろうか。

「ジュリアス様……今まで剣で戦ったことは?」
 
「ない」

 いや、「ない」って、そんな。
 歩くときの重心移動からして“出来る人”じゃないことはわかってたけど、それならなおさら、どうして貸してくれないのか。

「別に剣で戦うとは言ってない。だが、俺が戦うためにこの剣は必要なんだ。いいか、ソフィア」

「は、はい」

 ジュリアスは私に呼び掛け、それから「すまないな」と短く謝ると、私の体を自らのもとに引き寄せた。

「えっ? あのっ」

「こうすることは俺のわがままだからな。それだけは先に謝っておく──唇を借りるぞ」

「え、ジュリ──んンッ!?」

 言うや否や、彫像のような顔が私に覆いかぶさる。
 同時に互いの唇が重なり合い、かすかな吐息とともに私の唇に入り込んできた。
 彼の舌が。

「ん──ぅ、ンっ……」

 まさぐるように、求めるように、私の口内を彼がかき回す。
 背中を強く、それでいて優しく抱かれ、触れたところから麻薬でも入り込んだかのように体から力が抜ける。

(甘い……)

 こんなことを考えてる場合じゃないのに。
 それなのに、頭の中はもやがかかったみたいに、その恍惚感だけがすべてを塗りつぶしていく。

 ふと横目で見ると、野盗たちもジュリアスの唐突な行為にあっけにとられて動きを止めてしまっていた。

 そして、甘美な感触のさなかで突如襲う熱さ。
 チクリと針で指したような痛みが私を現実に引き戻すけど、まだ抵抗はできなくて。
 その痛みは、ジュリアスが私の舌に歯を立てて、そこから血を吸っている痛みだった。

「──ふぅっ」

 ややあって唇を離し、満足したように顔を上げるジュリアス。

「見せつけてくれるじゃねえか」

 野盗のうち、ようやく一人が苛立った口調で吐き捨てる。
 ジュリアスは平然として「ああ、そうだが」と言葉を返した。

「見せつけるためにやったんだ。お前らのような屑どもはこいつに指一本触れることはできない。それをわからせるためにな」

「んだと、この野郎っ」

 すごんだ声に怯む様子もなく、続いてジュリアスは剣を抜く。
 一振り二振り、舞うように空を斬った後、持っていない左手をやおら胸の前に突き出すと、なんと彼は刃を自分の手首に斬りつけた。

「ジュリアス様っ!?」

 鮮血が飛ぶ。
 その行動に頭が追い付かない。
 とめどなく血がしたたり落ち、真紅の鮮やかさが地面を彩った。
 ジュリアスは、叫ぶ私を尻目に「そこで見ていろ」と制すると、野盗たちへ腕を突き出して言う。

「浅学なお前たちに教えてやろう。吸血種は寵妃の血を取り込むことで自らの魔力を高めていく。たとえ数滴でもその効果は絶大だ。それは、飲んだ直後であるなら尚のこと」

 その時どこかで、ジュッ、と焼けるような音がした。

「ただでさえ血の力が強いこの俺が、ソフィアこいつの血を飲むことでさらに強大な力を手にする。この意味がわかるか」

「やかましいっ。野郎ども、こんな末生うらなりの話に付き合う必要なんざねえ。やっちまうぞ!」

 頭目らしき男が叫んだ。
 その場の空気が一気に張り詰める。
 しかし、そこから先において、多くの者が想像するであろう剣戟の場面は訪れなかった。

 何故なら号令がかけられても、まるで時間が止まったかのように彼らはそこを動くことはなかったからだ。

「おい、てめえら何やってやがる! さっさとこいつを──……ッ!?」
 
 男の言葉もそこで途切れる。
 どうして誰も命令に従わないのか。
 そうではない。
 従わないのではなく、従うことができない──動くことができなかったのだ。

「……っ!? ど、どうなってやがんだ!?」

「お、おいっ、体が!」

「あ、足が離れねぇっ……なんでっ……」

「これが──俺の血の力だ」

 ジュリアスが静かに言った。

「お前たち、俺が世襲によって領土を治めているだけの無能とでも思ったのか? 喧嘩を売るにしても、相手を見極める目がなければ悲惨だな」

 ふと、突き出した彼の左手に目が行く。
 そこには流れ出たはずの血が、きれいさっぱりなくなっていた。

(……あれ?)

 傷口もふさがっている。
 それは吸血種の回復力からして当然とはいえ、血糊もなく、地面にこぼれたはずの血痕も見当たらない。
 
(血が、気化しているの……? でも、乾いた跡すらないなんて……)

 ジュリアスは剣を鞘に納める。
 彼は近くに転がっていた旅行鞄──馬車から落ちた荷物にまでゆっくり歩を進めると、その中から外套を取り出して羽織った。
 私の肩に手を置き、「もう大丈夫だ」と声をかけた後、野盗たちへと説明を再開する。

「俺の血は強すぎるんだよ。口から摂取すれば対象者の意志を根こそぎ奪い、それ以外の箇所から侵入すれば、物理的に体を乗っ取り、操ることができる。たったひとしずくでも他者の血管に侵入したなら、そいつの血はすべて俺のものとなる。魔力で気化させた俺の血は、お前らの体内に入り込み……今、支配は完了した」

「な……っ、そんな、馬鹿なっ……!」

「何言ってやがる、わけわかんねぇっ……!」

「嘘だと思うなら試してやろう。血を操れるとはどういうことか。それは、体の動きをすべて──心臓の鼓動すらも思うままにできるということ。貴様らをこの場に留めたまま野垂れ死にさせることも可能だが、そんなやわな処刑方法では俺の気が収まらん」

「! や、やめっ──」

 男たちが命乞いの言葉を終える前に、ジュリアスは左手を掲げるように上げ、その形を拳に変えながら命じた。

 握り潰すように。
 吹き荒れる氷雪のような声で。


「死ね」


 そこから先──どんな凄惨な光景が目の前に広がったのか、私は見ていない。
 何故ならジュリアスはまとった外套で私を覆い隠すように包み、視界を遮ってしまったからだ。
 見えたのは眼前の黒の布地のみ。
 ただ傘に落ちる雨のごとく、ポタポタと返り血の当たる音だけが聞こえる。

 そして、再び視界が開かれた時、そこにあったのは血まみれで横たわる野盗たちの亡骸なきがらだった。

「……悪いな、ソフィア」

「えっ」

「下らん雑言で不快な思いをさせる前に、さっさと殺してしまうべきだった。俺のミスだ」

「い、いえ、そんな……」

 ジュリアスは穏やかな声でそう言った。
 謝るポイントがどこかズレていた。
 とはいえ、この人はそういう人なのだ。
 同族でない者、すなわち人間を軽視しているわけではないけど、そうと決めたならどこまでも残酷になれる。
 ……怖い人だと思う。
 ただ、それは心が震えるような恐ろしさとは違う。
 私が彼に抱くイメージは、暴威に対する恐怖というよりは、研ぎ澄まされた刃が持つ静謐さ。そこへ向けられる畏敬の念だった。

「……返り血がついてます。動かないで」

 手巾ハンカチを取り出し、頬をそっと拭う。
 彼は言われた通りにおとなしく私を受け入れた後、外套を脱ぎ、惜しげもなく地面に捨て去った。
 戦いにもならない処刑の時間はこれで終わり。
 幸いなことに、倒した者たち以外に敵はいないようだった。
 野盗が潜んでいた木陰からは、弓矢と、それに取り付けるための予備の発火弾が見つかる。
 つまり、狙撃の危険もこれ以上はないはずだ。

 ただ、ジュリアスは依然気を抜く様子はなく、男たちの死体を見据えたままで眉を寄せ、ぼそりとつぶやいた。

「そういえばこいつら……さっきおかしなことを言わなかったか?」


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