僕が彼女に執着心を持った時

白河 てまり

八重桜

 1枚目は、キジトラの猫が横になってまどろんでいる絵だった。光と影を精密に表現して、立体感がある。
「とっても可愛いですね。飼ってらっしゃる猫ちゃんでしょうか?」
「うん、飼い猫って言ってた。確か、ベンちゃんだったかな。とても臆病な猫で、窓辺に小鳥が来ただけで、へっぴり腰でにゃんにゃん言うんだって。可愛いよね」
 思わず笑みが漏れる。
「小鳥をこわがる猫っているんですね! 可愛い!」
 絵画の猫の瞳を見つめていると、今にも甘えた声で鳴きだしそう。

 どんどん絵画を観て回り、薫さんが解説してくれる。
 生命力を感じる真っ赤に輝くトマトの絵を描いた荒川さんという作家さんは、行きつけの飲み屋の子に、
「荒川さんが育てているという畑の作物の絵が見たいです!」
 と言われて描いたとか。
 薫さんからしか聞けない面白いエピソードを聞いた。

最後の絵に差し掛かった時に言う薫さん。
「これが、僕が描いた絵」
 濃い桃色の八重桜をバックに描かれている、笑顔の女の子は私。
 満開の八重桜に光と影のコントラストで、細かい花びら一枚一枚が丁寧に描かれていて、笑顔の私が絵を見る者に笑いかけている。桜のように、満開の笑顔で。
 油絵の右に掛けられた白い札に筆で書かれたタイトルは、「愛する人」。
「薫さん……」
 胸に熱いものがこみ上げる。つい涙腺がゆるんでしまう。
「今回はどうしても、映子ちゃんが描きたかった。
 季節外れになっちゃうけど、八重桜の花言葉は、『善良な教育』、『しとやか』、『理知』、とかだね」
 少し鼻をすすって、つかえた喉で言う私。
「さすが、先生ですね」
 薫さんが微笑む。
「でもね、フランスでは、桜の花言葉は、『私を忘れないで』」
 絵画から、薫さんの顔にハッと視線を移す。
 薫さんが眉をハノ字に下げて、切ない微笑みを浮かべる。
「これを描いてた時、映子ちゃんと連絡が取れてなかった時期だったんだ。
 映子ちゃんの事で頭がいっぱいだった。僕から離れちゃうんじゃないかって、不安で一杯だった。
 仲直りしてからも、この油絵の作成でずっと会えなかったから。
 何度も言ってるでしょ、僕は映子ちゃんに執着してるって」
 思わず両手で薫さんを抱きしめて、薫さんのスーツに顔を埋める。薫さんの匂いがする。涙が薫さんのYシャツとスーツに沁み込む。
「ごめんなさい、スーツ、シミになっちゃう」
 そう言って両手を離して薫さんの身体から離れようとしたら、薫さんが両手を私の背中に回して、力強く私を抱きしめた。
「これから先の僕の長い人生の中に、映子ちゃんがいないなんて考えられない。映子ちゃんが一緒に居てくれるこの瞬間が僕にとってはすごく幸せなんだ。
 頼りない僕だけど、映子ちゃんの事だけはこの先何があっても絶対に守ってみせる」
 薫さんが私の背中から両手を離し、スーツのポケットからきらきらと輝くものを取り出して右膝を床に付き、私の左手を取って両手で握る。
「僕と結婚してくれますか?」
 私の左手の掌に、金属の小さな輪っかが握らされる。
 その瞬間、先日薫さんが私を置いて1人で東京に買い物に行った理由がわかった。
 両目から、涙が溢れ出す。胸に温かい感動がこみ上げてきて、声がつかえる。
「はい……。私を、薫さんのお嫁さんに、してください」
 その瞬間、薫さんの顔がパッと華やいだ。
「ありがとう! 映子ちゃん、愛してる!」
 指輪を私に握らせて素早く立ち上がり、また私を力強く抱きしめてくれた薫さん。
 私は左掌をぎゅっと握って、薫さんの背中に両手を回す。
「私も、薫さんのことを愛してます」
 またとめどなく涙が頬をつたった。

 薫さんがパッと身体を離して、子供の用に無邪気な笑顔で言う。
「指輪! つけさせて!」
 薫さんの前に左手の平の上に乗った指輪を差し出す。
 シルバーのリングに、2人を祝福してくれるかのようにきらきらと輝くダイヤモンドが付いた指輪だった。
「素敵……」
 薫さんが指輪を右手で取り、慎重に私の左手薬指にはめる。薫さんの手が小刻みに震えてるのが伝わってきた。
「ぴったり……」
 思わず左手をかざしてみる。
「映子ちゃんが寝てる時に、糸で薬指のサイズ測ったんだ」
「え!? いつの間に! 全然気づかなかったです!」
「初めてお泊りした日だよ」
「そんな前からですか!?」
「うん。プロポーズは、せめて社会人になってからがいいかな、と思ってて」
 右手で頭を掻いた薫さん。
 薫さん、そんな前から考えててくれたんだ……。

 薫さんが両手で私の涙に濡れた頬を包み込む。
「愛してる」
 私も薫さんの頬を両手で包み込む。
「私も、愛してます」
 薫さんと見つめ合っている時間が、時が止まったかのように錯覚する。
 永遠にこうしていたい。
 薫さんが、私の唇にそっと口付けた。
 12月の窓の外では、満開の八重桜の絵とは打って変わって、初雪が降り始めていた。

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