僕が彼女に執着心を持った時

白河 てまり

回想 2

 5月の若葉が眩しい頃、沖縄で3年生の修学旅行が慣行された。
 自由行動では1年生と2年生の頃から仲が良かった、私と加奈を含めた仲良し5人組で回った。
 最終日の大部屋では、女子の秘密の恋の話になり、12人の中の一人が、「実は私、原元先生が気になってる」と言い出したら、皆口々に私も、私も思ってた、カッコいいよね、と話し出す。
 私はその話の時は、口を噤んでいた。



 修学旅行の余ったお小遣いで、美術館へ行ってみることにした。
 正確に言えば、わざと余らせておいた、だけど。テレビのコマーシャルで、県立美術館にポンポンという作家の作品が来ると言っていたから、行ってみたかった。
 原元先生に興味を持ってから、今までは見逃していた街の至る所に掲示された美術館のポスターが目につくようになってきた。
 ポンポンのしろくまの彫刻はとても優雅で品があるしろくまだけど、今にも1歩足を踏み出しそうな躍動感を感じる。
 原元先生の専門は、彫刻系? それとも、絵画系?

 気付けば毎週日曜日、美術館へ出かけるようになった。
 ポンポンは期間限定展示の特別展で、ずっと展示されている油絵の常設展も面白かった。フランスの、ジャン・フランソワ・ミレーという人の絵が展示されていた。
 一番の目玉の、種をまく人、というタイトルの油絵の解説を読むと、油絵の色合いは暗くて絶望感を纏っているのに、実は絶望の中でも希望を持ち続ける人間というテーマで、驚かされた。
 原元先生と一緒に回ったら、解説とかしてくれるのかな。



 日差しが強くなり始める6月に入った最初の週、いつも通り授業中にこっそり窓から美術室を見下ろしても、原元先生は授業を行う火曜日の1時限目に姿を現さない。
 代わりに美術室では、青葉先生が授業を行っていた。
 ……原元先生、どうしたんだろう。
 その日は時間が過ぎるのが遅く、1日が退屈だった。

 放課後に行われた保健委員会で、委員長の私は素早く連絡事項を伝えると、保健室の先生に書類に判子を貰った。この書類を、生徒会へ提出する。
 その前に生徒会担当の青葉先生の判子も必要な事は熟知していたので、保健室の先生に
「先生、青葉先生の判子、もらってきましょうか?」
 と尋ねると、
「柏木さんありがとう、気が利くわね。さすが委員長。助かるわ」
 と返事を貰えた。
 いえいえ、先生、助かるのはこちらですから、ありがとうございます。

 職員室に、失礼しました、と一礼して入室すると、青葉先生が2年生担任のデスクの群の中に座っていた。原元先生の姿はない。
「青葉先生、保健委員会の書類を提出しに来ました。判子を頂けますか? 保健室の大川先生のお遣いです」
 青葉先生とは、こうして月1回程話す。
「あ、柏木さん、ご苦労様。判子ね、今用意するから待っててね」
 青葉先生が、爽やかな笑顔で対応してくれる。
「青葉先生、今日美術室で授業してましたね。原元先生は今日お休みなんですか?」
 それとなく聞いてみると、デスクの引き出しから判子を取り出そうとしていた青葉先生の顔が、こちらへ向けられる。
「え、ああ、うん。そうだよ。よく知ってるね。
 原元先生、今日はちょっと体調が悪くて病院に行ってて、休みなんだ。
 原元先生、あまり身体が強いタイプではなさそうだから、保険委員長の柏木さんも、原元先生の事よろしくね」
 青葉先生の白い歯がこぼれ、書類に判子がつかれた。
「はい。わかりました。判子、ありがとうございます。このままこの書類、生徒会室に持っていきますね」
「おお、助かる! ありがとうね!」
「いえいえ。失礼します」
 情報をくれて助かったのはこちらです、こちらこそありがとうございました。

 原元先生、確かに剛健ってタイプには見えないしな。明日もお休みなのかな。
 ……原元先生、大丈夫かな。
 さみしい、という感情が自分の胸に流れるのを感じた。

 変なの。原元先生は、私の存在すら認識してないのに。
 そう考えると、それもまたさみしかった。 

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