僕が彼女に執着心を持った時

白河 てまり

重り

 「それは災難だったね」
 いつもの夕飯中、薫さんが声を落として静かに言った。
「そうなんですけれど、やっぱりお金に関わる事だから、給料計算だけじゃなくて、普段の説明なんかも神経尖らせて、自分できちんと言ったって断言できるくらいにしないとだめだなあって思い至りました。てことで、チェックリスト作成しました」
 私はそう言い終わって、けんちん汁に口を付けた。
「そうだね。それは良い心がけだね。学んだね。えらいよ、映子ちゃん。失敗も、新入社員の内に沢山しておきな」
 薫さんが優しい声でそう言ってから、サバの味噌煮を箸で割って、口へ運ぶ。
「ありがとうございます!」
 薫さんにそう言われると、なんだか今回の失敗も自分の将来への糧になったような気がした。

「そういえば、長瀬先輩と茜ちゃん、付き合う事になりました」
 雰囲気を変えて私が意気揚々と話すと、薫さんもぱっと笑顔になった。
「そうなんだ! それはおめでたいね! よかったよかった。おめでとう!」
「はい! 今度、茜ちゃんとお祝いのケーキを作る予定です」
「そうなんだ。あ、お菓子作りが得意な子だったっけ?」
「はい! 覚えたら、今度薫さんにも作ってきますね」
「ありがとう。楽しみだな。じゃあ僕は、美味しいコーヒー豆でも用意して待ってるよ」
 薫さんが微笑む。
「ありがとうございます」
 私は最近、コーヒーを飲むようになった。大人の階段を着々と登っているいる気がする。そうそう、コーヒーといえば。
「水瀬先輩が、こんな素敵な物をくれました!」
 私は自分の背中に置いてあったバッグから、いそいそと取り出す。
「じゃーん! コーヒーショップ先着100名様限定の、エコバッグです! 水瀬先輩が東京に居た頃二つ買って、一つは自分で使って、もう一つは余っていたそうです」
 薫さんがクリーム色にコーヒーの絵が描いてあるエコバッグを見ると、彼のこめかみがぴくっと動いた気がした。
「ふーん。可愛いエコバッグだね。ところで、その水瀬先輩って、下の名前なんだっけ?」
「え? 確か……、飛ぶ鳥って書いて、飛鳥だったと思いますけど。どうかしました?」
「ううん、なんとなく。でも、前から思ってたけど、その水瀬先輩てあんまり良い感じしないから、映子ちゃんにはあまり親しくなってほしくないかな」
 薫さんが、肩を落とした。
「え!? そうなんですか? すっごく優しい先輩なんですけれど……。薫さんはそう感じるんですね。うーん、どうしよう。困った」
 私が焦って頭を抱えると、薫さんは、
「まあ、今言った話はなんとなくでいいけれどね。少しだけ、心に留めておいて」
 薫さんが、口元だけ微笑んだ。
「……わかりました」
 私は肩を落として返事をした。
 私の交友関係に薫さんが口を挟んでくるのが初めての事だったから、少し戸惑っちゃう。どうしたんだろう、薫さん。

 それからいつも通り一緒に食器を洗ってから二階の薫さんの部屋でコーヒーを飲んだ。
 薫さんの様子に変わりは無いけれど、それからどうも私はその話が、心に重りをぶら下げているように引っかかった。

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