僕が彼女に執着心を持った時

白河 てまり

期待

 彼女に連絡をしないまま、水曜日になっていた。
 彼女からも音沙汰はない。
 ラインで、お店探しておきます、と伝えたのは僕なのだから、僕からまた連絡をするのは当たり前だ。でも、もしかしたら映子さんから何かしら連絡があるかもしれない、という淡い期待は今日の朝の通勤途中の赤信号に置いてきた。
 連絡先を交換してもらえただけでも奇跡なのだから、これ以上期待したら罰が当たる。期待したら期待しただけ、後で悲しい想いをするのは僕自身なのだから。

 窓から鳥のさえずりが聞こえて朝陽が差し込む職員室で、僕は眩しさに目を細めて教師の朝礼を待っている。
 職員室は教室3つ分くらいの広さで、僕が受け持つ2年生の担任の先生方のデスクは、職員室の左側の真ん中の列だ。先生達の灰色のデスクそれぞれの上に、分厚いファイルや教科書、パソコンが所狭しと並べられた空間は、雑然としている。
 教師2年目の下っ端の僕は窓際。なので朝陽が眩しいのだ。決して窓際族なんかでは無い。……はず。

 そんな僕にも優しく接してくれる先輩教師、青葉先生のデスクは僕の左隣で、歳は僕の2つ上、陸上部の顧問だ。確か、生徒会にも携わっているとか。
 爽やかで男前な顔をしている青葉先生は、生徒からも先生からも、もちろん保護者からも人気が高い。おまけに校長からの評価も。
 僕も青葉先生が好きだ。優しい男がモテるのはこういった原理か、と納得させられた。

 僕が初めてこの学校に赴任してきて職員室がわからず迷子になって青白い顔で校舎をうろうろしていた時、青葉先生が、
「もしかして、本日付で赴任されてきた新しい先生ですか? 職員室にご案内しますよ」
 と、白い歯を零して爽やかな笑顔で助けてくれたのだ。
 それから月日が経っても青葉先生は僕のフォローしてくれる。本当に有難い。

「原元先生、おはようございます。
 イタリアン、どこにするか決めました?」
 青葉先生が今日も白い歯を零して聞いてきた。
 昨日の放課後、数日間ネットをさ迷っても決められなかった僕は、青葉先生に女性が好きそうなお洒落なイタリアンのお店を聞いてみたのだ。青葉先生はその日の夜に、ラインで何件か送ってくれた。さすが青葉先生、仕事が早い。

「おはようございます。昨日はありがとうございました。
 青葉先生イチオシの、一件目のお店にしてみようと思います」
 僕も思わず笑顔で答える。彼の笑顔に釣られたのもあるが、頭の片隅で映子さんが笑顔でイタリアンを頬張る想像がチラついたからだ。
 青葉先生が小声で、興味津々そうな顔で更に聞いてくる。
「デートですか? どなたと?」
 僕は耳たぶに熱を帯びるのを感じながら、笑顔を引っ込めて必死に取り繕う。
「で、デートっていうか……。知り合いの女性と、食事をするだけです!」
「ふふ、照れちゃって、可愛いですね、原元先生は!」
 僕は頬まで紅潮するのを感じる。これは、朝陽で暑いだけです! と否定しながら。

 そんな僕たちの会話がなされていると、朝礼が始まった。
 教頭から淡々と連絡事項が説明された後、教頭の
「校長先生、何かありますか?」
 という一言に、校長は
「いえ、私からはありません。」
 という会話で、各学年会議に突入する。

 学年主任から連絡は、来週の生徒総会に関してが大まかな部分だった。
 今年も蒸し暑い体育館で、夏休みに入る前に全学年が集結して総会が行われる。生徒達から自主的に問題提起された議題がまとまれば、部活動の予算取り決めや、二学期に行われる文化祭の話に移るのだろう。
 暑いんだよなあ、体育館。
 蝉がジーワジーワと鳴く中、強い日差しを遮る為に暗幕で覆われた体育館は、密閉空間感を増し、生徒たちの熱気でむせ返るような暑さになる。
 呼吸、できるだろうか……。僕は今からもう既に不安だ。

 しかし、そんな不安を打ち消すように、今日の夜に映子さんにお店の提案をしようと自分を奮い立たせて、学年会議が終わってから僕の受け持つ2年5組の教室へと向かった。

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