僕が彼女に執着心を持った時

白河 てまり

第1章 夏の息

 7月9日の昼下がりの道路は、猛暑を記録していて20メートル先に蜃気楼が見えた。アスファルトの照り返しがきつくて、吸い込む空気も熱気を含んでおり、僕の肺を焼く。

 立っているのが限界だった。
 気付いた時には左膝から道路に崩れ落ちており、右手で滝のように流れる汗のついた首を懸命に抑えていた。

 呼吸ができない。
 目の前が暗くなり始める。日差しの強い中目を開けているのに、視界は暗い。

「大丈夫ですか?」

 どこからか女性の声がしたのが聞こえたが、視界が暗くてどこにいるかわからない。

「大、丈夫です」
 苦しい息の中必死に答えたが、自分の声がか細過ぎて、心の中の冷静な自分が弱り切った自分自身に驚く。

「日陰へ行きましょう!」
 女性の肩に僕の右側の体重を預け、誘導されるままに引きずられるかのようについて行く。

 どさりと女性と二人同時に倒れ込んだ日陰で、僕の身体の下に座り込んだ彼女に僕は上半身で完全に覆いかぶさっていた。

 どこか冷静な自分が、「違います、痴漢の類じゃありません、誤解です。」と心の中で唱えたが、女性は気に留めるそぶりも無く、
「日陰でゆっくり休んでください。過呼吸かな? 救急車呼びます?」
 と僕に問いかけた。

「い、え、いつもの、こと、なので、大、丈夫です」
 息も絶え絶えだ。

 息が吸えないのだ。
 吸い込もうと思っても、肺が空気で一杯で、これ以上の空気を吸い込めない。しかし新しい空気を欲する身体のために口から息を吸っても、吸い込めない。
 地獄の苦しみが続く。

 口元に、古紙がくしゃりと当てられた感覚がした。女性が紙袋を僕の口に当ててくれたのだろう。
 過呼吸になった時はこうしろと、医者からも言われていた。この女性に過呼吸の知識があって助かった。僕は感謝した。

 彼女は僕の背中に両腕を回し、「大丈夫、落ち着いて。ゆっくり息を吐いて」と、優しく撫でてくれた。

 15分程こうしていただろうか。
 徐々に視界に光が戻ってきた。
 甘い花のような良い匂いもする。女性の匂いだろうか。

 視線を上げると、女性と目が合う。
 彼女の丸い目が2度瞬きをする。

 苦しくて必死だったので気付かなかったが、僕はどうやら彼女の胸に丸まっていたらしい。
 羞恥心で顔から火が出そうだった。

「す、すみません、ご迷惑をお掛けしました!」
 僕は勢いよく彼女から身体を離した。

 彼女は慌てて言う。
「あ、まだそんなに動かない方がいいですよ!」

 僕は本当に恥ずかしかった。
 目が合った時に見た彼女の姿は、22,3歳といったところで、大きな瞳に品の良い鼻と口は、愛らしい調度品のお人形さんを思わせた。
 長い黒髪がゆるく巻かれていた。
 艶のある黒い髪の毛数本が白いワンピースから出た彼女の白く華奢な肩に汗で張り付いているところが、作られたお人形さんではなく生身の人間なのだと妙に艶めかしく主張しているように思えた。

 具合が悪かったとはいえ、こんな素敵な彼女に胸を借りた自分が、酷く恥ずかしかしい。

 羞恥心で顔が真っ赤になっている僕に、彼女が心配そうに言う。
「近くのスーパーで、少し休ませてもらいますか? あ、これ、飲んでください」
 そう言いながら僕に500mlの天然水を差し出してきた。

「あ、ありがとうございます」
 自分の声が普通に出ている事に、内心ほっとした。

 有難く彼女からペットボトルを受け取って飲み、再び彼女にお礼を言う。

「ありがとうございます。本当に助かりました。あ、お水のお金……」
 そう言いながら僕がお尻のポケットから財布を取り出すと、

「いいんですよ。困った時はお互い様です」
 そう言って優しく少し微笑んだ彼女が天使に思えた。

「え、あの、そういう訳には……。
 では、今度改めてお礼がしたいので、ご連絡先を教えていただけませんでしょうか?」

「いえ、そんな、お礼だなんて」
 彼女は少し困った顔で、両手を胸の前で振った。

「それでは僕の気が済みません。お願いします」
 僕は両手を胸の前で合わせ、頭を下げた。

 彼女は眉をハの字に下げ、少し考えた後で、
「そういうことでしたら」
 と、また優しく、頬を少し染めて微笑んでくれた。

 こうして僕たちはお互いのラインの連絡先を交換をした。

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