辺境伯に嫁いだけど、自宅裸族なのを隠したい

参(まいり)

38話 抱きしめてもいいか?

 だめだろうか、と自信なさそうに囁く。

「それだけ?」

 こう屋敷で家令や家計を管理したりとか、領地に関わる商人と交渉したりとか、麓の町と連携するとか、思い浮かぶことを伝えても、甘やかしの彼はやらなくていいと首を振る。

「よければ……」

 レイオンからお願いがきそうと思ってしょんぼりしていたのを起こして見上げる。目元が赤かった。

「一緒に食事をして、一緒に寝て、起きて」
「うん」

 いつもしてることね。

「たまに一緒に出掛けたり、なにもしない日に同じ部屋にいたり」
「うん」
「誕生日を祝ったり、こうして旅行に出たり」
「うん」
「隣にいて笑いあえるのが、いい……これからも、ずっと」

 ずっと出来ないと思っていたからと口にする。
 自分がフェンリルの血を引く化け物だから、家族を持てるとは思ってなかった。だから私が側にいるだけで充分で、これからもそうあってほしい。それが今の彼が最大に望むことだと言う。

「これからも?」
「メーラがよければ」

 待って。
 それってもうプロポーズなのでは? これからの未来も一緒にと彼は言っている。そこに深い意味がなくても、言われる側は勘違いしちゃうでしょ。
 でもレイオンが私を望んでくれてるのが分かって嬉しい。じりじり熱が上がってきて、胸のあたりがぎゅっとした。

「私で、よければ、」

 ぽつんと、鼻先になにかあたる。
 レイオンも同じだったようで、二人で空を見上げた。日は陰り、山側国境線の空の色が暗い。

「夕立がくる。戻ろう」
「うん」

 急ぎで戻ろうとすると急に雨足が強くなった。夏の夕立は急で激しい。大きな木々を貫いて降り注ぐ。

「メーラ」

 羽織っている上着を私の頭上へかけ、肩を抱いて引き寄せる。
 さっきの言葉もあったからか、心臓が跳ねて速さが増す。彼は私が濡れないようにと気を遣ってくれているだけ、そう言い聞かせた。

「旦那様、奥様」

 別邸に戻る頃には本降りも本降りで、心配していた家令たちが玄関先で傘を持って出ようとしているところだった。

「奥様」
「あ、私は全然」

 ゾーイの言葉に、レイオンが庇ってくれたから濡れてなかったと伝える。
 そういえばレイオンはと彼に視線を戻すと見事にびしょ濡れだった。
 静養ということもあり、薄着だったからか濡れたシャツが肌に張り付いている。
 うっわ、待った。

「視界の暴力」
「え?」
「レイオン、早く着替えて! ああ湯浴みが先? うん、湯浴み行って!」

 タオルで顔を拭いている彼が私をじっと見つめる。髪も濡れて滴っているのも色気割り増しだからやめて。
 レイオンに罪はないけど、この場から今すぐ逃げ出したかった。さっきのプロポーズも心臓ぎゅうぎゅうで苦しかったけど、こっちも心臓に悪い。

「湯浴みはメーラが先に」
「私濡れてないから大丈夫! 着替えだけでいいかな?!」
「しかし」

 まだ濡れた指先が私の頬に触れた。冷えた指先に少し震えてしまう。

「身体は冷えていないか」

 冷えてるのはそっちでしょと思いつつ、大丈夫という言葉を何度も伝える。いいからと彼の背中を押して湯浴みを優先させた。

「部屋であたたかいお茶用意して待ってるから、湯浴み終わったら来て」
「ああ」

 この言葉で嬉しそうに笑って、やっと歩きだした。
 ヴォイソスが胸を撫で下ろしながら、主人に連れ立っていく。

「ゾーイ、部屋に行くわ」
「はい」
「ヴォイフィア、旦那様の好むお茶を」
「はい」

 ここ最近は本当に心臓に悪い。見目も、表情も、優しさも、近ければ近いだけ振り回されている。

「どうしちゃったんだろ?」
「奥様?」
「ううん、なんでもない。着替え用意してもらえる?」
「はい」

 そうして彼を待つ用意をするのは良かったけど、湯上りの彼の色気がまた割り増しで結局困る羽目になった。一緒にお茶飲めるだけで嬉しそうにするレイオンに当然文句は言えない。


* * *


 丸一日レイオンがずっと側にいる。不思議な感じがするけど心地いい。
 ゆっくり贅沢に過ごしてからの、約束の夜。
 すっかり雨は止んで、星空が見える最高のロケーションで、蛍鑑賞会が始まった。
 聖女様ブランドのレジャーシートを敷いてその上に座って見ている。場所は別邸近くの水場、明かりはオイルランタンだけにして私たちの背後に置いた。暫く様子を見ていると、次第に一つ二つか細い光が明滅し始める。

「綺麗」
「気に入った?」
「とても!」

 囁きで返した。大きな声を出しても問題ないのだろうけど、この静寂を壊したくなくて声を潜めてしまう。
 最初は熱中症のせいで涼しいここに来たと思ってたけど、この風景を見るために夏の旅行計画をするというのなら納得だ。毎年一度はここに来たくなる。

「この保護区域は魔物があまり生息していない」
「そうなの?」
「視察にいった地域の方が多い」

 なのでここは夜でも安心だと言う。聖女様が魔物を統括してるのもあるから、夜に魔物が人を襲うなんてことないんだけど、これも彼なりの気遣い故の言葉だと分かっていた。

「メーラ」
「なに?」
「もっと近くに」
「え?」

 急なことだった。
 ぐいっと引き寄せられる。
 そのまま傾いて彼に身体を預けるような形になってしまった。

「……抱きしめてもいいか?」
「ふえ?」

 変な声が出た。

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