オフラインで打ち合わせ 〜真面目な神絵師との適切な距離感〜

穂祥 舞

59 鎮魂の光②

 三舩家は大財閥の一族に連なる家である。加那の父親は系列会社の役員で、彼女が中学生の頃に胃癌で亡くなった。母親は、娘2人を立派に育てたいがために、彼女らに支配的な態度を取った。加那は反発し、独断で美大に進学して、就職も亡き父の会社には見向きもせず、結婚相手を勝手に決めた。母親は彼女と、彼女の1つ年下の同窓生で、小さな旅館を営む家の長男である浩司との結婚が気に入らなかった。
「俺はあの家から加那を自由にしてやりたかった、でも彼女を余計に苦しめただけだった」
 浩司はガーベラの葉の無い茎を鋏で切りながら、言った。玲はそんな、と呟いたものの、それ以上言葉が続かなかった。
 加那がどうしたかったのか、浩司や妹の美樹にはわからない。ただ母親は、加那が逝き、箱根の小山内の墓に入ることを容認できなかった。だから病状が悪化しモルヒネを使い始めた加那に、強引に離婚届を書かせて、浩司に突き出した可能性がある。4月の末、美樹は義兄にそう話したのだった。
「美樹さんが俺に話そうと決意したのは……義母がアルツハイマーの診断を受けたからなんだ」
 ピンクの華やかなガーベラが、先に花立てに入っていた白い小菊の横に挿される。浩司は彼女の実家の者と顔を合わせないように、妻の月命日から少し日をずらして参ることにしていた。
 ではもう、誰にも真実はわからないのだ。玲は浩司にかける言葉を持たなかった。しかし、美樹が加那と言葉を交わす中で、姉が夫を最期まで愛していたと判断していたのではないかと、玲は思う。女きょうだいとは、そういうものだから。
 線香に火をつけると、煙と香りが広がる。玲もそれを渡されて、大きな墓石の前の線香立てに入れた。複雑な気持ちを持て余しながら、玲は両手を合わせて祈る。……貴女は浩司さんを自由にしてあげたくて、初め離婚を申し出たんだと私は思っています……でもそれが彼を縛りつけてしまいました。浩司さんの心を自由にして、少しだけ私にください。
 その時、ざっと強い風が吹いた。思わず目を開くと、線香の煙が舞い上がり、ガーベラが揺れたのが見えた。グレーの雲の間から白金の太陽の光が射し、辺りを照らす。花をつけ始めた紫陽花あじさいの葉が揺れて、朝まで降っていた雨の露がこぼれ落ち、きらきら輝いた。
「……きれい」
 玲が言うと、浩司も気紛れに射してきた太陽の光に目を細めた。雲の隙間から、濃い青の空が覗く。夏がそこまで来ているのだ。
「加那が……返事を」
 浩司は紫陽花を見つめながら、呟いた。
「玲さんと歩こうと思うって報告したんだ」
 玲は軽く息を吸い、数秒止めた。私たちは今彼女に同時に話しかけた。2人ともに対し、彼女が是と返事してくれたように思えた。
 ありがとう。玲は加那に心の中で礼を言う。私も姉も、貴女の漫画が大好きです。今度は姉と来ますね。するとまたふわりと、優しい風が吹いた。
 もう一度手を合わせて、墓所を去った。バケツと柄杓を片づけ山門を出る頃には、空は雨を落としそうな濃いグレーに戻っていた。
「駅の反対側に美味しいケーキ屋さんがあるんだ、行く?」
 駅まで戻ってくると、浩司はデートらしく誘ってくる。玲は彼を見上げて、はい、と明るく返事をした。
「会議室の私の闘いの話を聞いてくれますか? ヒロさんと私の創作活動を守るために気合いを入れて臨んだのに、ヒロさんが手を回してくれたからあっさり終わっちゃったけど」
「それは申し訳ないことをしたかな」
 そんなことはない、とても嬉しい。今日はいきなりいろいろなことに驚いたりどきどきしたりして、疲れてしまいそうだ。でもきっと、ずっと忘れない日になるだろうと玲は思った。

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