オフラインで打ち合わせ 〜真面目な神絵師との適切な距離感〜
51 真実②
「真紘叶、本名小山内……三舩加那は俺の一年上の先輩だ、彼女はデザイン科だったから学生時代は接点が無かったけど、新卒で就職した会社で知り合ったんだ」
「あっ……」
玲は右手で口を押さえた。心臓の音が耳の中でがんがん鳴る。浩司は玲の目をしばし見据えていたが、漫画の表紙にゆっくり視線を落とした。
「これは彼女のデビュー作だ」
浩司はそっと右手を伸ばして、本の表紙に指先で触れた。薬指の指輪が、鈍く光る。
「彼女がこれの続編を構想していた時に妊娠がわかって、子宮癌が同時に見つかった……妊娠を継続せずにすぐに治療を始めないと、彼女の命が危ぶまれる状態だった」
言葉を止めた浩司を見て、玲は先に聞いた話を思い出し、全てを悟る。彼女は子どもを産みたいと言い、浩司は癌の治療を優先して欲しいと言ったのだ。彼女は出産を諦めて治療を始めたけれど、浩司との間に溝ができてしまった。
入ってはいけない場所に踏み込んでしまったことに、玲は狼狽える。どうしたらいいのだろう。さっき彼は、結婚について全部を話すのはきついと言ったのに、これでは彼を苦しめることになる。
「ヒロさん、ほんとにごめんなさい、まさか……亡くなった奥様の漫画だとは思わなかった」
自分が迂闊だったと、玲は激しく後悔する。藍はあの時、表紙絵を見て似ていると言ったのだった。夫婦であったなら、元々油絵の画家で、イラストを描き始めたのが遅かったHiroの作風が、真紘叶の影響を受けていてもおかしくない。その可能性に思いが至らないなんて。
浩司はぼんやりと視線を上げた。妻のみならず子どもまで病魔に奪われていた彼の心の傷が、たった5年で癒えている訳がなかった。彼が何か言いかけるので、玲はそれを遮る。
「もういい、何も話さないで……今話したくないなら黙ってて、私すぐ帰るから」
「玲さん」
「いいの、もう聞かない……」
玲は浩司の目を見て、半ば喘ぎながら言った。
「あなたが私とのことを真剣に考えてくれるために、あなたが何もかも曝け出す必要なんかない」
必死になって訴える玲に、浩司は寂しげで優しい笑顔を向けた。
「ありがとう、でもたぶん俺が前に進むために今必要な儀式なんだと思う……玲さんが先月俺の前で泣いたように」
「私はっ、そんな儀式は求めない!」
落ち着いて、と浩司は玲を覗きこむ。
「今でないとこの先二度と訪れないタイミングってあると思う……勝手なんだけれど、あなたではなく俺の問題だ」
玲は静かに諭され、涙を堪えた。
「今聞きたくないって言ったら、話さないでいてくれる?」
漫画の表紙に触れていた浩司の右手が、少し躊躇いを見せながら玲の左手の指に触れた。彼の指先はひんやりしていた。
「うん、嫌ならやめておく……でももう玲さんは、全部察してるんだね」
「私がこんなものを持って帰って来たせいで」
「玲さんのせいじゃない、必然だったんだよ」
浩司の手が玲の親指以外の指を、きゅっと握りこんだ。
「加那が一番大切にしていたこの作品を、好きだと言ってくれたことが……とても嬉しい」
玲の目から零れた熱い水がぼたぼたとテーブルに落ちる。もう何に対して涙しているのか、玲自身にもわからなくなっていた。
「ありがとう、お姉さんにもお礼を伝えて」
浩司はずっと玲の指を握ってくれている。今はそれだけで十分だった。お互いの気持ちは、相手に通じていた。
「あっ……」
玲は右手で口を押さえた。心臓の音が耳の中でがんがん鳴る。浩司は玲の目をしばし見据えていたが、漫画の表紙にゆっくり視線を落とした。
「これは彼女のデビュー作だ」
浩司はそっと右手を伸ばして、本の表紙に指先で触れた。薬指の指輪が、鈍く光る。
「彼女がこれの続編を構想していた時に妊娠がわかって、子宮癌が同時に見つかった……妊娠を継続せずにすぐに治療を始めないと、彼女の命が危ぶまれる状態だった」
言葉を止めた浩司を見て、玲は先に聞いた話を思い出し、全てを悟る。彼女は子どもを産みたいと言い、浩司は癌の治療を優先して欲しいと言ったのだ。彼女は出産を諦めて治療を始めたけれど、浩司との間に溝ができてしまった。
入ってはいけない場所に踏み込んでしまったことに、玲は狼狽える。どうしたらいいのだろう。さっき彼は、結婚について全部を話すのはきついと言ったのに、これでは彼を苦しめることになる。
「ヒロさん、ほんとにごめんなさい、まさか……亡くなった奥様の漫画だとは思わなかった」
自分が迂闊だったと、玲は激しく後悔する。藍はあの時、表紙絵を見て似ていると言ったのだった。夫婦であったなら、元々油絵の画家で、イラストを描き始めたのが遅かったHiroの作風が、真紘叶の影響を受けていてもおかしくない。その可能性に思いが至らないなんて。
浩司はぼんやりと視線を上げた。妻のみならず子どもまで病魔に奪われていた彼の心の傷が、たった5年で癒えている訳がなかった。彼が何か言いかけるので、玲はそれを遮る。
「もういい、何も話さないで……今話したくないなら黙ってて、私すぐ帰るから」
「玲さん」
「いいの、もう聞かない……」
玲は浩司の目を見て、半ば喘ぎながら言った。
「あなたが私とのことを真剣に考えてくれるために、あなたが何もかも曝け出す必要なんかない」
必死になって訴える玲に、浩司は寂しげで優しい笑顔を向けた。
「ありがとう、でもたぶん俺が前に進むために今必要な儀式なんだと思う……玲さんが先月俺の前で泣いたように」
「私はっ、そんな儀式は求めない!」
落ち着いて、と浩司は玲を覗きこむ。
「今でないとこの先二度と訪れないタイミングってあると思う……勝手なんだけれど、あなたではなく俺の問題だ」
玲は静かに諭され、涙を堪えた。
「今聞きたくないって言ったら、話さないでいてくれる?」
漫画の表紙に触れていた浩司の右手が、少し躊躇いを見せながら玲の左手の指に触れた。彼の指先はひんやりしていた。
「うん、嫌ならやめておく……でももう玲さんは、全部察してるんだね」
「私がこんなものを持って帰って来たせいで」
「玲さんのせいじゃない、必然だったんだよ」
浩司の手が玲の親指以外の指を、きゅっと握りこんだ。
「加那が一番大切にしていたこの作品を、好きだと言ってくれたことが……とても嬉しい」
玲の目から零れた熱い水がぼたぼたとテーブルに落ちる。もう何に対して涙しているのか、玲自身にもわからなくなっていた。
「ありがとう、お姉さんにもお礼を伝えて」
浩司はずっと玲の指を握ってくれている。今はそれだけで十分だった。お互いの気持ちは、相手に通じていた。
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