オフラインで打ち合わせ 〜真面目な神絵師との適切な距離感〜

穂祥 舞

50 真実① 

 浩司は部屋に入って、電気をつけた。彼が玄関のドアを開け放すので、別にいいと思ったが、玲は何も言わない。そうしてくれる彼の誠意を、素直に受け止めておきたかった。それに、ベランダ側の窓から入る夜風がキッチンをふわりと通り抜けるのが、心地良い。
 浩司は手際良くコーヒーを淹れてくれた。キャパオーバーだと言ったが、玲が親戚の隣家に住んでいたということが、浩司にとってかなりの驚きだったようだ。
 玲にとってももちろんそうで、この繋がりの判明はほとんどショックに近かった。玲は小窓にかかるカフェカーテンを見た。浩司が引っ越して来た日、ここで同じ風景を思い出して懐かしさを覚えていたということに、嬉しさよりもむしろ畏怖のようなものを覚える。
「はいどうぞ、ちょっとお互い落ち着かないといけないかなと思って」
 浩司は2つのマグカップをテーブルに置き、砂糖とフレッシュを出してくれる。
「すみません、追いかけて……抱きついたりして」
 玲は今更、羞恥心に俯いた。浩司のくすっと笑う声がする。
「いえ、あなたの猛ダッシュする姿が新鮮過ぎて楽しい」
 そんな風に言われて、胸の中がむずむずした。彼は右手でネクタイを少し緩める。何げに色気を感じる所作だった。
「……船村家は母方の親戚で、俺の大切な退避場のひとつで……玲さんと初めて会った日に行った焼き鳥屋は、慎ちゃんと何度か使ってる店なんだ」
 玲がへぇ、と言うと、浩司はちらりと笑う。
「船村家の人たちは、俺が連れ合いと死別したと思ってる……なかなか言い出せなくて、だから玲さんのお母さんにもまだ黙っておいて欲しい」
 浩司の感情を排した言葉に、玲ははい、と小さく返した。
「玲さんと創作活動してるって話したら、叔母さんと美里ちゃんが喜びそうだ」
「……おばさんと美里さんに……あんなものを書いてるって知られたくない、かも」
 口にしてみたものの、宮坂教授にもバレてしまったのだから、もういいか、とも思う。船村家が引っ越したのは玲が高校生の時だった。美里さんは家庭を持っているようだが、変わらず優しいしっかり者なのだろうか。
 お互いコーヒーに口をつけると、その場に沈黙が落ちた。玲はこの展開を姉にどう報告しようかと考え始めて、またひとつ思い出す。
「あの、ヒロさん、ちょっと訊きたいんだけど……」
 玲は鞄を開けて、底に入りこんでしまった漫画を引っぱり出す。浩司はコーヒーを飲みながら、ゆっくりと瞬いた。
「この作家さん、ご存知ないですか? 姉も私も好きな漫画なんです」
 玲が本をテーブルに置くと、浩司の表情が動いた。目を見開き、眉根を僅かに寄せる。そして音を立ててマグカップをテーブルに置いた。玲は彼の様子に少し違和感を覚えたが、続けた。
「作家さんは5年前に亡くなられてます……ヒロさんと同じ大学の卒業生で、年齢的に」
 玲は言葉を切った。浩司の様子が明らかにおかしい。紙のように白い顔になり、さっきまで浮かんでいた微笑が消え失せて、歯を食いしばっているのがその顔のこわばりからわかった。
「ヒロさん……どうかしましたか……?」
 玲がそっと訊くと、浩司は目を閉じて、ひとつ深呼吸をした。そして低く言った。
「真紘叶は俺の死んだ妻だ」
 え……? 玲は何か訊き間違えたと思った。

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