オフラインで打ち合わせ 〜真面目な神絵師との適切な距離感〜

穂祥 舞

49 お隣りの親戚のお兄ちゃん②

「どうしたんだ、何か忘れ物?」
 浩司の声が耳のすぐ傍で聴こえる。玲は思わず、その背中に回した腕に力をこめた。いや、どさくさに紛れて、何やってるんだろ?
 ところが玲の行動に応じるように、玲の背中にあった手にも、ぎゅっと力が入った。あっ、と勝手に声帯が震える。
「お母さんからの電話、何かよくない話だった?」
 浩司は静かに言いながら、優しく背中を撫でてくれる。そう誤解されても仕方ないと思った。玲は違うの、と荒い息混じりで言う。
「うちの隣の船村さんに遊びに来てたの、ヒロさんだったんですね」
「……えっ?」
 浩司が玲の身体からゆっくり腕を解いたので、玲も彼の温かい背中から手を離す。何とはなしにお互い見つめ合って、玲のほうが先に視線を外した。
「ヒロさんの家の台所が懐かしいのは、船村さんの台所に似てたからなんです……帰省した時に思い出しました」
 それはつまり、と浩司も躊躇ためらいながら言う。
「玲さんの実家は、しんちゃんやみさとちゃんが前に住んでた家の隣ってこと?」
 ああ、やっぱりそうなのか。玲はあらためて浩司の顔を見上げる。暗くてよく見えないものの、彼があ然としているのはわかる。
 脚に少し力が戻ってきたので、浩司の腕から手を離した。ようやく自分たちに、道行く人々から好奇の視線が送られていることにも気づく。
「はい、船村さんが鎌倉から八王子に引っ越してからも、私の母がおばさんと繋がってるんです」
 浩司は信じられないといった口調になる。
「あなたは……三つ編みを背中に垂らしてた、細くて小さな……れいちゃん、なのか?」
 はい、と玲は答えた。
「鍵が無くて家に入れないって泣きそうになってた……柴犬のハナを可愛がってた?」
「そうです」
 浩司は困ったように横を向いた。玲は心配になり、彼を覗きこむ。
「いや、ちょっといろいろキャパオーバー」
 珍しい反応だったので、玲は申し訳なくなった。
「すみません、うちでヒロさんのことが話題になったから、母が船村さんのおばさんに尋ねて……電話をくれたんです」
 しかもこのタイミングで。おかげでこんなおバカ行動を取ってしまった。玲は恨みがましい気持ちを母に対して抱いてしまう。
「玲さん、後でタクシー呼ぶから、コーヒー飲んで帰って‥‥‥何もしないから」
 浩司はいつものように、柔らかい笑みを浮かべて言った。この事態をどう収拾すればいいかわからなかった玲は、あ、はい、と応じた。最後の言葉が、ちょっぴり寂しかったが。
 玲が浩司の左に立つと、軽く腕が触れた。どきりとしたが、次の瞬間、もっとびっくりしてしまった。右手が大きな手に包まれたからである。
 浩司は何も言わずに夜道を進む。彼のマンションは、すぐそばだった。彼の手は僅かに温かく、優しい。
 もうひとつ思い出す。浩司はあの夏の日、玲を小森家の玄関まで送ってくれたのだ。鍵を忘れて隣家にお邪魔する羽目になったことを、怒られるかもしれないと玲がぐずぐず言ったから。あの時彼は、俺がちゃんと説明するし、お父さんもお母さんも怒らないよと、手を繋ぎ優しく言ってくれた。もしかすると今、浩司は自分のことを、従兄弟の家の隣に住む小さなれいちゃんだと思っているのかもしれない。玲はそんな風に感じていた。

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