オフラインで打ち合わせ 〜真面目な神絵師との適切な距離感〜

穂祥 舞

45 身バレ

 浩司が帰省から戻って来る日、玲は朝からそわそわしていた。図書館の3階の談話室を心ここに在らずの状態で掃除していると、宮坂教授が顔を覗かせた。
「ここを1日3回掃除するのも大変ですね」
 いえ、と玲は応じる。この部屋は共同研究などのために、複数の学生が話し合いながら使うことのできる場所である。空いたコマに寛ぎに来る学生も多いが、大声で話したり笑ったりする者を他の者がじろりと睨みつけるといったことで、自主規律が守られていた。
 テーブルを拭き終わった玲に、宮坂は言った。
「小森さんは、柏木さんが投稿してる小説に目を通してるんですね?」
 何故その話題なんだろうと思いつつ、玲ははい、と慎重に答える。宮坂に感想を訊かれたが、正直に答えて良いものか迷ってしまう。
「ブラッシュアップされてると思います、先生に設定について指摘されたと聞きました……それも直してるようです」
 宮坂は微笑した。
「ネット小説をこの歳で読むことになるとは思わなかったんですが、いろんな作品があるから結構楽しんでいてね……字が小さいのが辛いんだけれど」
「あ、少し大きくできますよ」
 宮坂がスマートフォンを出すので、理枝からダウンロードを勧められたというサイトのアプリを開いてもらう。表示される字がひと回り大きくなると、宮坂は眼鏡を触りながら、ああ、と声を上げた。
「かなり楽です、ありがとう」
「いえ、そんな」
 言いながら玲は、宮坂のスマートフォンの画面に並んだ、お気に入り登録された作品群を見て、息を詰めた。大林薫の新作の表紙、Hiroの描いたアデルの横顔が表示されていたからだ。
 宮坂は玲の視線に気づいたらしく、笑う。
「うちの死んだ奥さんがハーレクインなどをよく読む人だったから、ラブシーンありきのハッピーエンド小説が懐かしくて」
「あ、え、そうなんですね……」
「柏木さんの作品と一緒に良さそうなものを幾つか読んでいてね、この大林薫さんのがなかなか面白い」
 はあ、と間抜けな返事をするしかない。まずい、隠し通せるか。いや、褒められてかなり嬉しいから、いっそ自白もアリか。玲は心臓をばくばくさせ、勝手に焦った。
「大林薫さんはきっと沢山の良い本を読んできた人だと思うんです、文章にそれが出ているし、話の流れにも名作の影響のようなものが見えなくもない」
 ええっ! 玲は叫びそうになる。私の手慰みの半エロ作文が評論されてる……自分の顔が赤くなったり青くなったりするのを感じた。やがて宮坂は、目の前の司書の様子がおかしいことに気づいたようだった。
「小森さん、顔色が良くない、座って」
「いえ、違うんです、その」
 玲はほとんどどもりながら、言った。いたたまれなさが耐え難いので、手の中の布巾を握りしめて、下腹に力を入れる。
「それ、私です……大林薫って、私のペンネームです」
 今度は宮坂のほうが、えっ! と目を丸くした。
「‥‥‥あっ、小森さんだから大林?」
「そんなところです……」
 玲は気まずかったが、宮坂は感心した様子である。
「夏に比較文学の学会で加東さんに会うから、話しておきましょう」
 宮坂の言葉に、思わず玲はああっ、と叫んでしまった。談話室の扉が開いているので、外にいる学生に聞こえたかもしれない。
「だめです、やめてください、あんなもの加東先生に……」
「どうして、読者もいるのに、立派な活動でしょう?」
 いやしかし……。玲は赤面を禁じ得ず、うつむいた。宮坂は諭すように言う。
「執筆で食べて行きたいと思うなら、物足りない部分はありますよ……趣味としてなら十分だ、加東さんきっと喜ぶと思うんだけれど」
 宮坂が自分をからかう道理も無いので、玲はありがとうございます、と頭を下げた。
 ゼミの担当教官の加東は、夏目漱石が専門の日本近代文学者で、玲の卒業後に他大学に移っている。玲とて近況を知ってもらえると、嬉しくない訳ではない。
 宮坂は少し弾んだ声になった。
「小森さんの作品だとわかった以上は、きちんと追って明らかにおかしなところは指摘しますよ」
「あ、はい……」
 自分は理枝のように打たれ強くないし、志も高くない。あまり真剣に読まれるのもなぁと思うが、せっかくなので有り難く気持ちを受け取ることにした。
「小森さんの作品の良いところは、読み手に親切なことですね……場面の状況がわかりやすい、時代考証もできているし」
 早速講評されて、玲ははい、と素直に頷く。宮坂は続ける。
「物足りないのは、主たる登場人物の個性が出し切れていない点です……この人だからこんな行動を取るのだといった説得力がもう少しあれば、人物が際立って読み手の印象に残りやすい」
 やはりそうかと玲は思った。キャラクターの性格が描写できていない。読者や浩司も感想をくれるけれど、基本的に褒め言葉しか出ないので、弱点を教えて貰えるのは勉強になる。
「そこを挿絵が補っている感じがありますね、描いて貰ってるんですか?」
「はい、私が絵から人物のイメージを得てる時もあって」
 その時玲は背後に視線を感じて、振り返った。談話室の入り口に、平井が立っていた。ふと、彼女はいつからそこにいたのだろうと思う。投稿の話を聞かれたかもしれない。胸の中がひやりとした。
 高らかにチャイムが鳴った。これから学生が昼休みに入るので、図書館内がざわめく。宮坂も時計を見て、おっ、と言った。
「小森さんも平井さんも無理はしないようにね、じゃあまた」
「ありがとうございました」
 玲は談話室を出たところで、平井と並び図書館長を見送った。彼が階段の下に姿を消してから、平井が口を開いた。
「芳川先生が今から市ヶ谷に行くから、小森さんによろしく伝えてほしいとおっしゃってました」
 玲はそれを聞き、芳川講師はわざわざそんなことを言いに来たのかと思った。どうも彼は、中田教授とは違う意味で、常時女に愛想を振りまきたいタイプのように感じる。
「ありがとう、早くにあっちからOK出て良かったね」
 玲の言葉に平井は答えなかった。彼女は感情を顔に出さないほうだが、今日はややぴりついた雰囲気を醸し出している。生理中なのか、もしかしたらまた中田にちょっかいを出されたのか……確認しようと思ったが、平井はすたすたと階段を先に降りて行ってしまった。その背中から拒絶のようなものを感じ、玲は違和感に胸の内をもやっとさせた。

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