オフラインで打ち合わせ 〜真面目な神絵師との適切な距離感〜

穂祥 舞

35 ゆめかうつつか①

 玲はゆっくりと覚醒する。重い瞼を上げても、辺りは薄暗くて何も見えない。しかし、頬に触れる布の感触や、温まった自分の肌から立ち昇る匂いが、いつも使っているものではないことはすぐに認識できた。
 うちじゃない……? 玲は不思議な気分になった。ああ、まだ夢の中なのかもしれない。そうだ、昨夜ヒロさんとしこたま飲んで、脚がふらふらになったから、タクシーで帰ることにしたんだった。
 夢の中では、そのまま小山内のマンションに行った。靴を脱ぐのもひと苦労で、小山内は困った顔をしながらも、気持ち悪くないか、風呂に一人で入れるかと言いながら、世話を焼いてくれた。
 髪まで乾かしてくれて、寝落ちしている小さい娘を寝かしつけるお父さんみたいで、ヒロさんかなり面白かったな。思い出しながら玲は笑う。この可笑しささえ、夢なのだ。不思議で、ふわふわした楽しさだった。
 玲は新作に思いを馳せた。ドゥメイユ伯爵にも、あんな風にアデルに世話を焼かせよう。所謂いわゆる溺愛という感じで。傷ついていたアデルは、そんな伯爵の振る舞いに、少しずつ警戒心を解いてゆくのだ。
 身体は重かったが、玲は上半身を起こしてみる。頬に感じる空気は、夢の中にしてはリアルに冷たい。自分の家のものより少し大きなベッドから足を下ろすと、フローリングもひんやりしていた。ゆっくりと立ち上がり、目の前に現れた襖をそっと開けた。足を進めると、畳の感触が懐かしく心地良い。あ、やっぱりヒロさんの部屋なんだ。
 玲は薄暗がりの中、足許に人が寝ていることに気づいて驚く。畳の上にゆっくり膝をついてよく見ると、毛布にくるまっているのは、小山内だった。私がベッドを占領したからか。玲は申し訳なく思った。
 玲は少し迷い、小山内の肩に手を伸ばした。軽く揺すると、彼はうん、と小さく声を立て、もぞもぞと毛布を肩まで引き上げた。その仕草が子どもみたいで、愛おしくなった。畳敷きと言えども毛布一枚で寝ていたら、明日身体じゅうが痛くなるし、風邪をひいてしまう。
 玲が腕を引くと、小山内は目を覚ましたようだった。ああ、と言葉にならない声を聞いて、玲はベッドに行くように彼に言った……夢の中だからか、声が上手く出ないのだが、玲の意図を察したように、彼はゆっくり身体を起こす。
 眼鏡をしていない小山内は頭を軽く掻いて、不思議そうに玲の顔を見つめた(よく見えなかったが、そう感じた)。そしてふらりと立ち上がって、おもむろに玲の左手を握った。温かくて大きな手は、玲に安心感と懐かしさを与える。随分前にこうして、誰かにこんな風に手を繋いでもらい、ほっとさせられたような……しかしいつのことだったか、思い出せない。
 玲は小山内に導かれるままに、奥の部屋のベッドまで戻った。彼がくるまっていた毛布は、蛹のような形をして畳の上に残されていた。
 小山内は布団をめくって、玲に横になるよう無言で促す。素直にそれに従うと、彼は玲の横にするりと入ってきて、大切なものを守るように、布団で包んでくれた。一気に温もりに抱かれる。顔がこんなに近い。相手の吐息が頬を微かに撫でる距離に、玲はどきどきしてしまう。待って、かなり楽しいから、まだ醒めないで欲しいんだけどこの夢。
 玲は布団の中で、小山内の腕に触れた。昨夜こんな風にできたら、どれだけ安心して眠れただろうと思った。既にあの恐怖と不安も、玲の胸の内では溶けつつあったが。
 嬉しかったな。ヒロさんが私のために仕事帰りにつき合ってくれて、孝彦さんにバシッと言ってくれたこと。抱き寄せられて照れたけど、めっちゃカッコよかった。年上の男の人って、頼りになって素敵だな。
 小山内の手が、思索していた玲の手を優しく捕らえた。身体が勝手にぴくんと震える。……何かもう……この人が相手なら、なるようになっちゃってもいい。だって私、この人のこと……。
「玲さん」
 少しかすれた声がした。玲はどきりとして、はい、とかしこまって答えた。小山内がどんな表情をしているのか、やはり暗くてよくわからなかったが、その声には玲への慈しみが感じられた。
「少しだけ触れてもいい?」
「えっ、それは、あの……」
 自分の声がよく聞こえない。この展開に、玲は顔が熱くなるのを感じた。小山内は躊躇ためらいがちに言う。
「ほんとはあなたを……抱きたいんだけど、今……コンドーム持ってなくて」
 ああ、そんなことを気にしてくれるんだ。今まで男どもに、ゴムつけてと念押しするのが普通だった玲は、感激してしまう。もう、夢だから生でやっちゃっていいです。って夢の中でどこまでできるのか、よくわかんないけど。
「えっと、ヒロさんにお任せします」
 玲が大胆に答えると、小山内はふふっと笑った。
「あなたがまぐろでないことを確かめたいな」
 それは、と思わず玲は小山内の手の中で自分の手を握りしめた。
「確かに私、今まで男の人に抱かれて、すごく良かったとか……あまり無いんです……」
 拒絶したと思われたくなくて、思いきってその胸に額を寄せる。自分と同じソープの香りの中に、何となく好ましい匂いが混じっているのを感じた。
「あんなエロいシーンを次々と繰り出してくる人の言葉とは思えないな」
「あれは他の作品を参考にしたとか、想像の産物で……」
 玲は語尾を小さくする。もうこの夢、楽しいけど恥ずかしい。今度ヒロさんに会ったら、絶対勝手に赤面する……。
 玲の思索は、唇が熱いものに包まれた感触で中断させられた。思わず目を閉じる。小山内は優しく何度も唇をつけ直して、玲の唇がそこにあることを確認しているかのようだった。
 こんな丁寧な口づけは経験が無かった。玲の胸の中が、しばらく忘れていたものに一気に満たされる。小山内の唇の熱さや柔らかさが生々しくて、玲はようやく悟る。……これは、夢じゃないのでは?
 やがて玲の唇がこじ開けられて、更に熱を帯びたものが口の中に入ってきた。それは縦横無尽に、玲をあくまでも優しくなぶる。気持ちよくて、思わず積極的に応じてしまった。湿った音が微かに部屋の中に響き、玲の身体が一気に火照る。ちょっと待って、どうしよう、こんなキスをされたら、これだけで……玲は危機感さえ覚える。
 唇が離れると、玲は思わず喘いだ。小山内の指先が、玲の口から溢れそうになった液体を、そっと拭う。そして彼は、玲の右の目尻に唇を押しつけた。
「やっと色っぽい玲さんが出てきてくれた……このほくろに相応ふさわしい」
 何てことを言うんだろう。そんな風に見られていたと思うだけで、恥ずかしいやら何やらで逃げ出したくなる。でも脚の間が久しぶりにきゅっと痺れて、動けない。もう、どうにでもして欲しい。そんな風に初めて思った。
「あなたはつまらない女じゃないし、まぐろでもない……もう肌が熱いね、でも今夜は指と舌だけで我慢して」
 小山内は諭すように言うなり、玲の顎の下の柔らかいところに唇をつけてきた。そして手を服の中に入れて、じかに腰に触れた。そこから何かがぴりっと背筋を駆け抜け、玲は思わず、小さく声を立てる。もう駄目だ、やめてくれないだろうし、……やめて欲しくない……。
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