オフラインで打ち合わせ 〜真面目な神絵師との適切な距離感〜

穂祥 舞

27 新しい風①

 新年度が始まった。4月1日付けで各部署の職員の一部が異動し、教員の学内での役職も、任期の満了を迎えたものは交代があった。
 司書は専門職扱いなので、問題でも起こさない限り異動は無い。3月末に派遣の司書の退職も無かったため、その日の図書館にはいつもと変わらない空気が流れていた。
「……という感じで今年も新入生へのオリエンテーションを行うから、みんなよろしく」
 事務長が日程と担当を雑に作表したプリントを、司書全員に配った。大学では毎年1回生に、必修の語学の授業の半コマ、つまり45分を宛てて、図書館の案内の時間を取る。教員が学生をぞろぞろと連れてくるのだ。
 しかし、フロアごとの本の配置や、閉架図書の利用申請の方法などをレクチャーしても、ほとんどの学生は覚えていない。まあ玲も現役時代はそうだったし、高校とは全く違う大学の履修システムで頭がいっぱいの新入生が、図書館の使い方を覚えていなくても、責めるのは可哀想だ。
 事務長が朝礼を終わりかけたその時、正面入口からひょろっと背の高い男性が颯爽とした足取りでやってきた。
「あっ、宮坂先生、おはようございます」
 事務長のやや上擦うわずった声は、宮坂教授がアポ無しで訪れたことを物語っていた。宮坂はおはようございます、とバリトンで応じ、司書たちに向き直る。場が緊張した。
「このたび図書館長に就任した宮坂です、これから2年よろしくお願いします……もう退官間近ですから、これが最後の役職になると思います」
 宮坂は先月末で文学部長を退いていた。少子化で受験生が減り、文系不要論が囁かれる昨今の逆風の中、文学部の偏差値を落とさないように教員の尻を叩いた4年間だったと、専らの評判である。
 当然のことだが、先生老けたなぁというのが、玲の最初の感想だった。玲が宮坂からホーソンの『緋文字』について学んだ頃、彼は50代半ばだったことになる。体型は今とあまり変わらなかったが、やはり肌にもっと張りがあり、髪が黒々としていた。
「附属図書館は大学の知性の中枢です、学生にもっと使ってもらうのはもちろん、ここ10年ほどは近隣の皆さんにも開放していますから、公立図書館との差別化も図らないといけません」
 宮坂は熱っぽく語った。勤務年数の浅い司書たちは、圧倒されている様子である。
「日々この場所で実働されている皆さんの提案や不満を遠慮無く出していただきたい、図書館の予算を減らしたいという理事会の馬鹿げた意見には、異議を唱えています」
 玲は宮坂が理事会に早速喧嘩を売っていると知り、笑いそうになる。こういう教員は個人的には嫌いではないが、基本的に草食系の司書たちには、やや引かれるだろう。現に数名が、困惑をありありと顔に出している。
「あまり話すと皆さんの仕事の邪魔になるのでこの辺でやめます、差し当たっては新入生への図書館のオリエンテーションに工夫が必要だと考えているので、何が出来そうか、意見があれば聞かせてください」
 宮坂は一気に話すと、事務長を引きずるようにして事務室に連れて行く。残された司書たちはあ然として、2人を見送った。
「じゃあまず棚の整理の仕上げに入りましょう、明後日は入学式だからね」
 柏木理枝が苦笑しながら、朝礼の終了を宣言した。司書たちは、各自が最近の持ち場にしている場所へ散って行く。
「宮坂先生って怖そう……」
 地下の書庫の整理のため、一緒に階段を降りるさなか呟いた平井に、玲は大丈夫、と返した。
「理不尽に怒る先生じゃないよ」
 いやほんと、セクハラ中田の数倍立派な先生だから。控えておいたが、玲は声を大にして平井に言ってやりたかった。
 ただ、ほとんど図書館に立ち寄らなかった前任の教授のようにいかなさそうなのは確かである。図書館のために動くが口も出す。いきなり現れた宮坂は、そう宣言しに来たようなものだった。

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