オフラインで打ち合わせ 〜真面目な神絵師との適切な距離感〜
24 おじゃまします②
しかし、淡い違和感があった。……うちじゃない。他所のおうちで見た光景のような気がする……玲は幼いころから、お互いの家に往き来するほど親しい友人はいなかった。だから、そう感じること自体が奇妙だった。
「玲さん? どうかしましたか、座ってください」
小山内に言われて、玲は我に返る。冷蔵庫に向かおうとすると、やりますよ、と彼は優しく言った。ケーキの入った可愛らしい紙箱が、小さなダイニングテーブルに置かれる。
彼は大きな手で、繊細にベリー類を飾りつけてあるチーズのタルトを持ち上げて、桜の花びらの散る皿に載せた。男は手を見たら度量が知れると、柏木理枝が話していたことがある。まあそれは極論としても、大きな手は頼り甲斐がありそうな印象を受ける。
そこでまた玲の脳内は、懐かしさ混じりの靄にうっすらと包まれた。こんな光景を、大昔に見ている……生活感のある台所、コーヒーの香り、男性の手がそっと取り上げたお菓子……あの時は、大きなシュークリームだったような……。
「玲さん、疲れましたか? 何だかぼんやりしてる」
小山内がフォークを皿に添えながら言った。玲はごめんなさい、と思わず謝ってしまう。おかしな誤解をされたくなくて、話す。
「さっきから昔の……子どもの頃のだと思うんですけど、懐かしい感じがする風景がちらついて」
玲はそんな自分が可笑しくて、小山内に笑いかけたのだが、彼は心配そうな顔をした。
「これ食べ終わったら駅まで送ります、お仕事の帰りに連れ回した上に部屋に連れ込んだから、きっと緊張とお疲れで」
「えっ、違いますよ」
玲は驚いて思わず背筋を伸ばしたが、小山内は本当に申し訳なさそうだった。
「お茶をしてから絵を見てもらいたくて気が急きました」
これではケーキを食べ終わり次第、帰らされそうである。ゆっくりお茶をするのも、絵を見るのも全然構わないのに。
「あの、そんな……疲れてるとか気分が悪いとかではなく……むしろ絵は見たいかも……」
小山内は眼鏡の奥の目を見開いてから、ふわりと細めた。玲への気遣いと嬉しさが同居する、優しい表情だった。
「わかりました、じゃあ焦らずに……あ、確かにこの部屋の雰囲気、何だか懐かしいですよね……俺も部長について下見に来た時からずっとそう思ってます」
彼はコーヒーフレッシュとスティックシュガーの袋をテーブルに置いた。玲は礼を言って、それらをひとつずつ取る。
「このキッチンがね、夏休みによく遊びに行った従兄弟たちの家の台所にちょっと似てるんです……今日もそう思いながら、ここを一番に片づけてしまいました」
小山内は言いながら、共用廊下に面した横に長い小窓を指差す。
「ピンポンって誰か来たら、炊事をしているおばが、はあい、って言って窓を開けて来客を確認するんです」
「……私の実家もそうです、たぶん今でも」
「そうですか……ここではそれは少し不用心でしょうけど、そういうの良いですね」
ベランダから入ってきた柔らかい風が、玄関の扉から抜けていくのがわかった。知り合って間もない人と似たような記憶を共有するのは、少し奇妙で、その数倍心地良かった。
どちらからともなく、チーズタルトにフォークを入れる。
「美味しいですね」
小山内が言うのを見て、玲はほっとする。何も考えずに洋菓子店に寄ってしまったので、甘いものが好きでなければ無理をさせるかもしれないと、気になっていたからだ。
「女の人と家でケーキを食べる日がまた来るとは思わなかったな……」
小山内は静かに言った。そこには昔を懐かしむ色がありありと出ていた。微かに混じるものが哀しみのようにも感じられて、玲はつい彼の顔をじっと見つめてしまった。
小山内は玲の視線に気づき、やや慌てたようだった。
「ああ、気にしないでください、愚痴のようなものです」
玲はそれを見て、自分もここ最近もやもやしているので、思いきって彼に尋ねることにした。コーヒーを口にして、静かにひと息つく。
「ヒロさん、答えたくなければ全然いいんですけれど」
小山内は玲のただならぬ雰囲気に気圧されたように、背筋を伸ばした。
「はい、何でしょう」
「ヒロさんが私を弄るのは私はいいとして、それを不愉快に思う女性はいらっしゃらないんですか? こうして私が単身赴任の部屋に上がり込んで、サシでお茶しているのを知られたらまずいとか無いんでしょうか?」
全然オブラートに包むことが出来ず、玲はうわぁと胸の内で悔恨の叫び声を上げた。
小山内はそれは、と呟き、いかにも困惑しているという風情になる。髪に半分隠れている彼の耳が赤らんでいることに気づいた玲は、自分の目を疑った。どういうニュアンスであれ、40を過ぎた男性の反応とは思えない。
「……そういう女性は今はいません」
虚偽申告ではないのか? 玲は目の前の男を観察するが、どうも何かを話すかどうか迷っているように見えるので、待つ。彼はぱっと目を上げた。
「正確には……そういう女性に去られて5年になります」
「玲さん? どうかしましたか、座ってください」
小山内に言われて、玲は我に返る。冷蔵庫に向かおうとすると、やりますよ、と彼は優しく言った。ケーキの入った可愛らしい紙箱が、小さなダイニングテーブルに置かれる。
彼は大きな手で、繊細にベリー類を飾りつけてあるチーズのタルトを持ち上げて、桜の花びらの散る皿に載せた。男は手を見たら度量が知れると、柏木理枝が話していたことがある。まあそれは極論としても、大きな手は頼り甲斐がありそうな印象を受ける。
そこでまた玲の脳内は、懐かしさ混じりの靄にうっすらと包まれた。こんな光景を、大昔に見ている……生活感のある台所、コーヒーの香り、男性の手がそっと取り上げたお菓子……あの時は、大きなシュークリームだったような……。
「玲さん、疲れましたか? 何だかぼんやりしてる」
小山内がフォークを皿に添えながら言った。玲はごめんなさい、と思わず謝ってしまう。おかしな誤解をされたくなくて、話す。
「さっきから昔の……子どもの頃のだと思うんですけど、懐かしい感じがする風景がちらついて」
玲はそんな自分が可笑しくて、小山内に笑いかけたのだが、彼は心配そうな顔をした。
「これ食べ終わったら駅まで送ります、お仕事の帰りに連れ回した上に部屋に連れ込んだから、きっと緊張とお疲れで」
「えっ、違いますよ」
玲は驚いて思わず背筋を伸ばしたが、小山内は本当に申し訳なさそうだった。
「お茶をしてから絵を見てもらいたくて気が急きました」
これではケーキを食べ終わり次第、帰らされそうである。ゆっくりお茶をするのも、絵を見るのも全然構わないのに。
「あの、そんな……疲れてるとか気分が悪いとかではなく……むしろ絵は見たいかも……」
小山内は眼鏡の奥の目を見開いてから、ふわりと細めた。玲への気遣いと嬉しさが同居する、優しい表情だった。
「わかりました、じゃあ焦らずに……あ、確かにこの部屋の雰囲気、何だか懐かしいですよね……俺も部長について下見に来た時からずっとそう思ってます」
彼はコーヒーフレッシュとスティックシュガーの袋をテーブルに置いた。玲は礼を言って、それらをひとつずつ取る。
「このキッチンがね、夏休みによく遊びに行った従兄弟たちの家の台所にちょっと似てるんです……今日もそう思いながら、ここを一番に片づけてしまいました」
小山内は言いながら、共用廊下に面した横に長い小窓を指差す。
「ピンポンって誰か来たら、炊事をしているおばが、はあい、って言って窓を開けて来客を確認するんです」
「……私の実家もそうです、たぶん今でも」
「そうですか……ここではそれは少し不用心でしょうけど、そういうの良いですね」
ベランダから入ってきた柔らかい風が、玄関の扉から抜けていくのがわかった。知り合って間もない人と似たような記憶を共有するのは、少し奇妙で、その数倍心地良かった。
どちらからともなく、チーズタルトにフォークを入れる。
「美味しいですね」
小山内が言うのを見て、玲はほっとする。何も考えずに洋菓子店に寄ってしまったので、甘いものが好きでなければ無理をさせるかもしれないと、気になっていたからだ。
「女の人と家でケーキを食べる日がまた来るとは思わなかったな……」
小山内は静かに言った。そこには昔を懐かしむ色がありありと出ていた。微かに混じるものが哀しみのようにも感じられて、玲はつい彼の顔をじっと見つめてしまった。
小山内は玲の視線に気づき、やや慌てたようだった。
「ああ、気にしないでください、愚痴のようなものです」
玲はそれを見て、自分もここ最近もやもやしているので、思いきって彼に尋ねることにした。コーヒーを口にして、静かにひと息つく。
「ヒロさん、答えたくなければ全然いいんですけれど」
小山内は玲のただならぬ雰囲気に気圧されたように、背筋を伸ばした。
「はい、何でしょう」
「ヒロさんが私を弄るのは私はいいとして、それを不愉快に思う女性はいらっしゃらないんですか? こうして私が単身赴任の部屋に上がり込んで、サシでお茶しているのを知られたらまずいとか無いんでしょうか?」
全然オブラートに包むことが出来ず、玲はうわぁと胸の内で悔恨の叫び声を上げた。
小山内はそれは、と呟き、いかにも困惑しているという風情になる。髪に半分隠れている彼の耳が赤らんでいることに気づいた玲は、自分の目を疑った。どういうニュアンスであれ、40を過ぎた男性の反応とは思えない。
「……そういう女性は今はいません」
虚偽申告ではないのか? 玲は目の前の男を観察するが、どうも何かを話すかどうか迷っているように見えるので、待つ。彼はぱっと目を上げた。
「正確には……そういう女性に去られて5年になります」
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