オフラインで打ち合わせ 〜真面目な神絵師との適切な距離感〜

穂祥 舞

13 司書の日常②

「じゃあいつが空いてるの?」
「いつと言われても……」
 玲は迷わず棚の陰から姿を出した。中年男が、ジーンズにエプロンをつけた女性に不自然に近い場所に立っている。
「中田先生」
 玲の低い声に、小柄な中年男がびくりとなった。
「ああ小森さん、おはよう」
「お話なら上の談話室でなさったらどうですか? まあ平井さんは勤務中なのでおつきあい出来ませんけど」
「ああ、いや、まあ、大した話じゃないんだけどねぇ」
 中田は妙にへらへらと言った。派遣司書の平井は、玲の顔を見て心底ほっとした顔を見せた。玲は彼女に指示する。
「そっち済んだならこっちを手伝ってくれますか?」
 はい、と即答した平井は、足早に通路から出た。そして玲と棚の陰に隠れるようにして、中田から見えない場所を確保しようとする。
「じゃあ失礼します」
 玲は冷ややかに中田に言い、自分の持ち場に平井を連れて行く。ブックトラックに数冊の本しか残っていないのを見て、平井はうつむいた。
「……すみません」
「まあちょっと、あのおやじが上に戻るまで棚の整理してるふりをしておいて」
 中田は本を探しに来る目的はあったようで、ほどなく3冊ほど本を抱えて階段を昇って行った。平井の姿を見て、ちょっかいを出してきたとみえる。
「あまり一人で地下に潜らないほうがいいね、事務長に言っとく」
 情けない話だが、この職場では教員がセクハラやパワハラをしてくる場合、未だ自己防衛が、しがない事務職員の基本的な対応である。
 文学部で英語学を担当する中田教授は、セクハラ行為が多いことで有名だ。性的ニュアンスのある話題を持ちかけ、下の名前で馴れ馴れしく呼ぶ。昔はボディタッチも当たり前で、飲酒を伴う食事への誘いもあったらしいが、流石にそれはこのところ控えているようだ。
 とはいえ中田の態度は、一般企業ならばおそらく許されないレベルで、女子職員たちから複数の苦情が出ているのだが、これまで彼が厳重注意を受けたという話は聞いたことがない。学内のハラスメント防止委員会が若い准教授ばかりで構成されているため、教授の行動に口を出せないのだというのが、職員たちの専らの見解である。
 確か平井は玲より少しだけ年齢は下だが、独身だからか若く見える。この大学に派遣され始めて、もうすぐ丸2年になる。彼女には不幸なことだが、そのいかにも司書らしい控えめでおとなしい雰囲気のせいで、セクハラに遭いやすいのではないかと玲は思う。
「姿を見かけたら露骨に避けてやればいいのよ、あの人女からそんな態度に出られるの慣れてるし」
 はい、と平井は小さく答えた。派遣会社に言えばきっと働く先を変えてくれると思うが、そこまで困っている訳でもないのだろうか。玲は空になったブックトラックと、平井と共に荷物用のエレベーターに乗った。事務長は当てにならないからな……そう思うと気が滅入る。
 せっかく新作の書き出し案を絞り込もうと思ってたのに。専任司書と派遣司書の関係も全体的にいまひとつだし、最近こういった人絡みの案件が館内で増え、玲の疲れは増すばかりだった。
 ああ、早く帰りたい。そうだ、ヒロさんに絵を描いてもらうための良い資料になりそうな本があった。あれを借りて帰ろう。玲は残り3時間の勤務を乗り切るために、無意識に頭の中を楽しい方向に振り向けていた。

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