オフラインで打ち合わせ 〜真面目な神絵師との適切な距離感〜

穂祥 舞

1 司書の秘密①

 れいの手はキーボードの上でしばし静止していた。
「『ああっ、尊さん、こんなこと……おやめになって、人が来ます』
『誰も来ませんよ、美代子さん……僕はこれ以上我慢できない』
『いけません……あっ』
 耳朶を撫でる尊の熱い吐息に、美代子の気持ちは乱れた。いけない、でも彼の為すがままにされ、彼に……汚されたい。
『貴女が欲しい、貴女の全てが』
 尊の手は美代子の衿元を搔き分ける。美代子はいやいやと首を振ったが、その可愛らしい仕草と彼女の髪の香りが、尊をますます昂らせた。彼女を今ここで、自分のものにしたい。熱い指先が白い膨らみに食い込み、その奥にある熟れた蕾を目指す。」
 熟れた蕾って、色気はあるけど何だかお姉さんっぽいな。17歳の処女の可愛い乳首に相応ふさわしい表現って無いかな、桜色とか使い古してるし。
 玲は目を細めて悩む。濡れ場にはいつも時間と神経を使う。ワンパターンを売り物にしている作家もいるし、男性読者はそれでも許してくれる傾向があるが、女性の読者はそうはいかない。キスして、おっぱいを愛撫して、あそこを指先でいじり濡らしてれる、の表現があまりに説明的で画一的だと喜んでくれない。かといって奇をてらいすぎると、引かれるのである。
 現在連載しているのは、大正ロマンを銘打った、濡れ場多めの恋愛ものだ。主人公たちは上流階級の男女なので、絡みが下品ではいけない。そして小説内でのセックスが上品か下品かは、言葉の選び方でしか決められない。
 ああ、今夜は上手く流れない。昼間忙しかったから疲れてるのかな。玲はワードを上書き保存して、首を左右に動かしコキコキいわせた。キッチンに向かって、棚から紅茶のティーバッグの入った缶を出す。電気ポットに水を入れて、スイッチを入れた。ぽこぽこと水の沸く音を聞きながら、頼もしい相方のことを考える。
 ヒロさんなら、この場面にどんな絵をつけてくれるだろうか。喘ぐ美代子の帯が緩んで、左の乳房が露わになって、尊の右手の指の間に乳首が見えそうで見えないとか、エロくて良い。想像するだけで楽しくなるが、そこにセクシャルな昂ぶりは無い。玲はポットの湯をマグカップの中にゆっくり注いだ。少し冷えた指先を、マグカップの肌で温める。
 玲が仕事を終えて真っ直ぐ帰宅した日に、こんな風に男女のセックスの場面をワードに打ち込むようになって、早くも2年半ほどになる。最初はほんの出来心だった。
 ある日の昼休み、同僚が小説投稿サイトに自作の恋愛小説を投稿していると教えてくれた。それを読んでみると、彼女の小説は正直なところ大したことはなかったが、誰もが自分の書いたものを投稿できるというシステムに魅力を感じた。本当に沢山の人が、いろんなジャンルの大小の文章を投稿して、その何倍もの人がそれを読んでいる。ネット上に構築された巨大なオールジャンル図書館の存在に、日本の識字率が高いからこそ起こる現象だなと、変に冷静に分析してしまった。
 玲は図書館の司書である。大学は文学部の国文科を出ていて、中学生の頃から、本を読むことは生活の一部だ。読み終わった本の続きを延々と妄想してノートに書き殴り、両親に心配されたこともあった。高校の文芸部に助っ人を頼まれ書いた恋愛小説を、先生たちに面白がられたのは、しがない34年間の人生で最良の思い出のうちのひとつだ。高校大学と作文や小論文、レポートで苦労したことは無いし、今も仕事で文章を求められることも多い。妄想力を復活させれば、文章に触れ続けている自分にできそうだと思った。
 どうせ書くなら、過激なものがいい。遊び半分で、レーティングした、いわゆる官能小説のようなものを投稿してみた。父が買っていたスポーツ新聞や、品の無さ目の週刊誌に連載されていたエロ小説(玲は家族に内緒でそんなものも読み漁っていた)を思い出しながら書いた。するとぱらぱらとお気に入り登録をしてくれる人がいた。面白いです、と感想をくれた人もいた。
 玲はすっかり投稿にハマってしまった。現在男性向けと女性向けの2本の連載を抱え、たまに短編を出しているが、恋愛小説を投稿している同僚には未だに秘密にしている。だって今や、玲のエロ小説……少し良い言葉を使うなら、大衆娯楽小説のほうが読者が多く、サイトから与えられるポイントも多いから。玲、ペンネーム大林おおばやしかおるは、そこそこ固定の読者のついた、オンライン官能小説家であった。

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