社長は身代わり婚約者を溺愛する

日下奈緒

第23話 政略結婚なんだ①

気が付くと、医務室のベッドに寝ていた。
「うーん……」
起き上がると、誰かの気配がして、横を見た。
「信一郎さん……」
そこには、項垂れていた信一郎さんがいた。

「あの、信一郎さん。」
私の方を見た信一郎さんは、私の知っている信一郎さんじゃなかった。
私を疑っている目だ。
「君の、本当の名前は?」
もう潮時だと思った。
「森井礼奈です。」
「沢井芹香じゃないのか。」

信一郎さんは、天井を見ながら呆然としていた。
「何で、こんな事した?」
「こんな事って……」
「俺を騙すような事だ!」
信一郎さんの大きな声に、身体がビクつく。

「どうして!どうして、俺を騙した 」
信一郎さんが怒るのも無理はない。
好きな相手が、別人だったなんて。
「俺は、君を”芹香”と呼んで抱いていた。」

私は涙を堪えながら、信一郎さんを見つめた。
「本当の名前で抱かれていないなんて、君はどんな気持ちだったんだ。」
私の目から、涙が零れた。

辛かった。
本当は私の本当の名前を、知って欲しかった。
でも、それよりも信一郎さんと一緒にいる事が、嬉しくて。
自分の気持ちが、麻痺していた。

「お願いだ。どういう事なのか、教えてくれ。」
信一郎さんは、私の涙を拭ってくれた。
「教えてくれ、礼奈。」
初めて、私の名前を呼んでくれた。
身体が震えてきた。

「礼奈。どうして芹香さんと、入れ替わった?」
震えて震えて、涙さえ震えているような気がした。
「俺が愛したのは、礼奈なんだよな。」
ダメだ。
これ以上、嘘をこの人にはつけない。

「ごめんなさい。」
声も震えていた。
「許して下さい。どうしても言えなかったの。」
「何を?」
手が涙で濡れて行く。
「私が芹香じゃないって分かったら、信一郎さんは離れて行く気がして。」

その瞬間、信一郎さんに抱きしめられた。
「どうしてそう思った?礼奈。」
「私は、芹香の友人で……あの日……」
「あの日?」
「信一郎さんとのお見合いを断って欲しいって、芹香に頼まれてお見合いの席にやってきた。」

あの時の瞬間、今でも覚えている。
信一郎さんを見た瞬間、運命の人っているんだと思った。
「そうか。芹香さんは、俺との見合いを断れと。」
「でも、私は断れなかった。」
あなたがあまりにも、魅力的で輝いていたから。

「こんな素敵な人と、今後出会う事はないだろうって、思ってしまって。」
信一郎さんは、私をぎゅっと抱きしめてくれた。
「素敵な人か……礼奈が惹かれたのは、俺の地位?お金?それとも顔?」
私は固まってしまった。

信一郎さんが、社長だから?
そうじゃない。
信一郎さんが、御曹司のお金持ちだから?
それとも違う。
私が惹かれたのは……

誰よりも温かい笑顔を持った人だったから。
思い出す。
会った瞬間に見せてくれた、あの温かい笑顔を。

「笑顔。」
「笑顔?」
「信一郎さん、誰よりも温かい笑顔で、私を迎えてくれたから。」
今までは、私の事を笑顔で迎えてくれた人なんて、いなかった。
私に媚び売っても、何の価値もなかったから。

「たったそれだけで、俺を?」
信一郎さん、泣いている。
「こんな俺を、愛してくれたなんて。馬鹿だな。」
「馬鹿じゃないよ。十分過ぎる理由だって思ってる。」
信一郎さんは、私の頭を撫でてくれた。
「礼奈。礼奈。何度呼んでも、呼び足りない。」
「信一郎さん……」

私も信一郎さんを、ぎゅっと抱きしめた。
「愛してる、礼奈。」
私の唇に、信一郎さんの唇が触れた。
「でも、結婚はできない。」

どこかで待っていた、その台詞。
実際聞くと、こんなにも心が壊れるものなんだね。

「沢井の家とは、政略結婚なんだ。芹香さん以外の人と、結婚はできない。」
「芹香には、他に好きな人がいるよ。」
「だとしても、沢井のお父さんが、俺と芹香さんを結婚させると思う。」
あくまで、信一郎さんと結ばれるのは、芹香なんだね。
「ごめん。本当にごめん、礼奈。」

信一郎さんは、泣きながら謝ってくれている。
「君を愛している事に、偽りはないんだ。」
「うん……」
「でも、俺は……家を裏切れない。」

ああ、だんだん力が抜けて行く。
「礼奈?」
信一郎さんの声が、遠のいていく。
「礼奈、しっかりしろ。礼奈。」


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