【短編】【完結】もっとも苦手な彼と一夜を共にしたならば

霧内杳

2

「先にシャワー、使っていいよ」

黙って頷くだけして、浴室でシャワーを浴びた。
私は、バカなことをしようとしている。
神園さんなんてちっとも好きじゃない。
でも、誰かに滅茶苦茶にされて、今だけでもこのつらい気持ちを忘れたい。
きっと、後悔するってわかっている。
それでも、逃げたいくらいにこの胸が痛いのだ。

私と入れ違いで神園さんがシャワーを浴びに行く。
ぼーっと彼が出てくるのを待っていた。
手持ち無沙汰で無意識で確認した携帯には、さっき別れた彼からメッセージが入っていた。

【本当にごめん。
それで】

「はぁーっ……」

通知を見て口から長く、あたりを憂鬱な色に染めそうなため息が漏れていく。
携帯を投げ捨て、ベッドにぽすっと寝転んだ。
いまさら言い訳をして、どうするつもりなんだろう。
私はもう、聞かないと決めたのだ。

「おまたせ」

「あ、……うん」

そのうち、神園さんが浴室から出てきた。
起き上がったら彼と目があった。
腰にバスタオルを巻き、濡れ髪を拭きながらの神園さんは妙に色っぽくて、つい目を逸らしてしまう。

「じゃあ」

神園さんが私の隣に腰掛け、じっと見つめてくる。
レンズ越しじゃない彼の瞳はブラックダイヤモンドみたいに綺麗で、胸がとくんと鼓動した。

「……うん」

緊張で身を固くしながら、目を閉じる。
そのときを待ったけれど。

「よしよし」

「……ふぇ?」

神園さんは私を抱き締め、あやすみたいに背中をぽんぽんと軽く叩いた。
おかげで、変な声が出る。

「なんか知らんが、よしよし」

しかし神園さんは、今度は私の頭を撫でている。

「かみ、ぞの、さん?」

彼がなにをしたいのかわからなくて、困惑した。
私は、抱いてくれと頼んだのだ。
なのに、これって?

「とりあえず、泣け。
泣いて喚いて、愚痴も怒りも後悔も、吐き出してしまえ。
全部俺が、受け止めてやる」

私の髪を撫でる、神園さんの手は優しい。
おかげで、気持ちが緩んだ。

「ふぇっ」

「うん」

「ふぇーん」

泣きだした私を包み込んでくれる、神園さんは温かい。
それで、涙と一緒に気持ちをぽろぽろこぼれ落とした。

「信じてたのに。
別れたって言ってたのに」

「そうか」

「なにも知らなかった私がバカなの?
疑いもしなかった私がバカなの?
もしかして、ずっと私を陰で笑ってたの?」

「森谷はバカじゃないよ。
相手が最低なんだ」

途切れなく、恨み言は続いていく。
けれど神園さんはそれを、一度も咎めはしなかった。

「私だったら浮気しても許してくれると思ったの?
笑って別れてくれるとでも思ったの?
私だって、傷つくのに」

「最低だな、そいつ。
森谷はこんなに傷ついてるのに」

神園さんの言葉が心地よくて、次第に気持ちは落ち着いていく。

「でも、子供ができたって言われたら、別れるしかないじゃない……」

「そうか、森谷は頑張ったな」

「……褒めて、くれるの?」

まさか、褒められるだなんて思ってもいなくて、思わず顔を上げる。
目が合った神園さんは、私の目尻に口付けを落として涙を拭った。

「森谷は頑張ったんだから、褒めるのは当たり前だろ?」

目尻を下げて彼が笑う。
その優しい笑顔を見ていたら、胸の痛みは治っていた。

「……ありがとう」

甘えるように彼の胸へ額を預ける。

「俺は礼を言われるようなことは、なにも」

私を抱き締め直し、神園さんは背中をぽん、ぽん、と叩いた。
その気持ちいいリズムと泣き疲れたのもあって、次第に眠くなってくる。

「かみ、ぞの、……さん」

彼はそのつもりで私をここに連れてきたのだ。
なのに、寝落ちてしまうなんて申し訳ない。
しかし、瞼はもう重くて、持ち上がらなかった。

「いいよ、このまま寝な。
最初から泣く女を、抱くつもりはない」

「あり、が、……」

言葉は最後まで言い切れずに消えていく。
きっとひとりだったら今晩は眠れなかった。
神園さんに会えてよかった。
目が覚めたら、ちゃんとお礼を言わなくちゃ……。

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