乙女ゲームの当て馬悪役令嬢は、王太子殿下の幸せを願います!

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【番外編】アルヴァハイムの家族

銀杏イチョウが芽吹く早春の頃。


イドニア王国、王都イングリートの、貴族の邸宅が並ぶその一角。


「紫といったら紫ですわ!」
「桜色に決まっているだろう!」


アルヴァハイム侯爵家別邸の客間サロン
色とりどりに並べられたドレスに囲まれ、いがみあう兄妹きょうだいの姿があった。


「絶対に紫ですわ!ほら、フィーの瞳の菫色にも合いましてよ」


侯爵家長女エリザベータが、あかい双眸をギラつかせ兄を睨む。手に持つドレスもギラギラしている。


「あまりギラギラしたものをフィーに近付けるな!紫ならば他にもあるのに、お前が選ぶのはいつも派手なものばかりだ!こちらの桜色の方がフィーの銀髪が映えて良いだろう」


長男カーティスが、その精悍な体つきに似合わぬフワフワと可愛らしいデザインのドレスを手に反論する。


「お兄様こそ何ですの、その布地の多さは!いつまでも子供の様な格好をさせていてはフィーが侮られますのよ!」
「あ、あのあの、私はどちらでも……」


末女フィオナはふたりの間でオロオロしている。


(とめた方がいいんだろうか……)


兄妹きょうだいのいざこざを少し離れたところから眺めながら、アルヴァハイム侯爵家の仕着せに身を包んだ銀髪の青年テオバルトは逡巡していた。


ちらりと横を見やる。
隣に立つ侍女カミラはそれに気付いてテオバルトの方へと僅かに顔を向けたが、視線で「気にするな」と伝えると、すぐにまた前を向いてしまった。


アルヴァハイム侯爵家の使用人にとってカーティスとエリザベータの言い争いは、間に挟まれたフィオナが右往左往するところまでをも含め、もはや見慣れた光景である。日常のひとコマと言ってもいい。
彼らは静観しつつもいさかいが激化する頃合いを見て仲裁に入るのだが、働き始めてまだ日の浅いテオバルトには―――ここへ来た時点ですでにエリザベータは結婚していて侯爵家にいなかったこともあり―――その機微がいまいち掴めない。


仕立て屋などはデザイン画を片手にドレスの仕上がりをチェックしている、と見せかけて、その実いさかいに巻き込まれぬよう背景と一体化している。
その気配の消しざまは長年王宮の暗部に身を置いたテオバルトの目から見ても"匠のわざ"と表すにふさわしいものであった。


「このままでは埒が明かん!」
「全くですわ!」


すがるようなフィオナの視線を受けテオバルトが思わず駆け寄ろうとしたとき、カーティスとエリザベータの視線もまた、こちらは勢いよくテオバルトに注がれた。
猛々たけだけしく燃える四つの瞳のあかが突き刺さり、踏み出しかけた足が引っ込む。


「お前は」「貴方あなたは」
「どれが良いと思うのだ!?」
「どれが良いと思いますの!?」
「えぇっ!?」 


想定外の問いかけにどうしていいか分からず、助けを求めカミラを見るも「とっとと行け」とばかりにうながされてしまう。アゴで。


仕立て屋も気配を消すのをやめて背景から出てきた。


テオバルトにとってフィオナは血を分けた妹ではあるが、アルヴァハイム侯爵家の養女であるフィオナとそこで働くテオバルトとでは立場に明確な隔たりがある。
侯爵令嬢のデビュタントのドレス選びにいち使用人が参加することに疑問はないのだろうかとテオバルトは思ったが、仕立て屋の営業スマイルからは何も読み取れない。


それもそのはずこの仕立て屋、キャリア40年の大ベテランである。
ちょっとやそっとのイレギュラーで狼狽うろたえるほどヤワなハートは持ち合わせていないのだ。


アルヴァハイム侯ワルテンより「フィオナに関する一切を他言無用」の条件付きで注文を受けて以来、口の固い針子を専属につけフィオナのドレスを仕立ててきた。


そんな彼であればこそ、長きにわたり護るように秘匿されてきた"アルヴァハイムの幻姫"がこうして社交の舞台へ上がる準備をしているのは、もう"なにか"から身を隠す必要がなくなったためであることも、ドレス選びに参加させられ戸惑う使用人の青年と「染色」の〈魔術〉を解いたフィオナの髪がこの国では珍しい銀色、瞳もそろって菫色であることから、ふたりは血縁―――年齢を考えるとおそらく兄妹きょうだい―――であろうことも察している。
察しているが、それを言葉や態度に表す真似はしない。
どの家の御令嬢が、どのドレスを着て、どの夜会に出席するのか―――顧客の情報はあますことなく頭に叩き込むが、プライベートには決して踏み込まない。それが彼の流儀であった。


―――そう、プロフェッショナルのプライド。


大火よりフィオナを救った姉エリザベータの覚悟。


王宮暗部の関わりを推測しつつもフィオナを保護した父ワルテンの判断。


母アダリーシアは「瞳の色が自分と同じ」という理由(だけ)でフィオナを養女とすることを即決する雅量を示し、


前触れもなく奇行に走る妹に物恐ろしさをいだいていた兄カーティスには「こんな素直な"妹"も存在するのか」と妹萌えの概念が芽生えた。


これらによってテオバルトとフィオナ、ふたりの兄妹きょうだいの運命は大きく変わる。


結果、本来ならば不忠の宮中伯に兄テオバルトを従えるための人質としてとらわれ、テオバルトが『従者の石』を受け入れた後にはその命を散らすはずであったフィーニ・マイヤーは、現在フィオナ・フォン・アルヴァハイムとして「兄さんはどれがいいと思う?」と言いながらドレスの前でにこにこしているのである。
ほんの少し前までカーティスとエリザベータの間でオロオロしていたのが嘘のようだ。
フィオナは切り替えが早かった。


一方、生真面目なテオバルトはハンガーにかけ並べられたドレスたちを懸命に見比べていた。


カーティスとエリザベータがそれぞれ自分の推しドレスを手にチラチラと視界に入ってくるので「選んで欲しいのだろうか」と思うも、どちらを選んでも揉めそうなので見て見ぬ振りをする。


優美なもの、華やかなもの、色も形もさまざまなドレスの中から、テオバルトはふと目を惹かれた一着に手を伸ばした。


「これ…でしょうか……」


白のレースで縁取られた白銅色のドレス。
簡素だが、レース部分には細かな刺繍が施され品の良さが感じられる。


持っていた派手ドレスを仕立て屋に手渡したエリザベータが「ドレスに触っていいんだろうか」と手を伸ばしたまま悩むテオバルトの横からひょいと現れ、そのドレスを手に取った。


「ふーん?地味ねぇ……あら」


そのまま隣に立つフィオナに白銅色のドレスをあてがうと、青みを帯びた明るい灰色は髪の銀色と瞳の菫色によく馴染んだ。
大人びたデザインだが歳より幼く見えるフィオナの雰囲気とほどよくつり合い、可愛いらしくも見える。


「………似合うな」


カーティスがつぶやく。


エリザベータはドレスをそのままフィオナに持たせ、卓子テーブルの上に用意された中からいくつかの装飾品を持ってきた。


「髪は上でまとめてこの飾りを付けて、ネックレスも髪飾りとそろいの物にすれば……まぁ!可愛い!!」
「また派手な……いや?ドレスと合わせると丁度良いな。では靴は………」


こうしてとんとん拍子に装飾品まで決まり、最終的なサイズ調整のためフィオナは別室へ、カーティスとエリザベータは客間サロンで待つこととなったのであった。








貴方あなたもお座りになったらよろしいのに」
「い、いえ、僕はここで!」


優雅に紅茶をたしなみながらエリザベータがとんでもないことを言いだすので、そばに立っていたテオバルドは慌ててかぶりを振った。
今や王太子妃であるエリザベータと、アルヴァハイム侯爵家嫡男のカーティス。このふたりとまるで友人のように席を共にすることなど一介の使用人であるテオバルドにできるわけがない。


「テオの立場も考えてやれ。ようや侯爵家ここにも慣れてきたというのに、そんな所をヨーゼフに見られたら何を言われるか分からんぞ」


なので、呆れまじりのカーティスの言葉にテオバルドは内心ほっと胸をなでおろしていた。


ヨーゼフとはアルヴァハイム侯爵家の執事の名である。
ロマンスグレーのナイスミドルの彼は、規律に厳しくアルヴァハイム侯爵家の使用人たちよりおそれられている。


「ふふん。仮にヨーゼフが何か言ってきたとしても、わたくしは逆にこう言って差し上げましてよ。『あーら?王太子妃の命に逆らうおつもりかしら?』とね!権力は絶・対!ですわー!おーっほっほっほ!」
「こらっ!地位を濫用らんようするんじゃない!」


幼少期よりヨーゼフに厳しく躾けられてきたエリザベータは、何かにつけてはヨーゼフに一泡吹かせてやろうと目論もくろんでは返り討ちにってきた過去を持つ。
権力をひけらかしたところで(厳しめに)たしなめられて涙目になるエリザベータの姿が目に見えるようだと、カーティスは深くため息をついた。


「リーゼお前、王太子妃の務めはきちんと果たせているのか?フィーのドレスを選びに来る暇があるのなら王妃教育にでも励んだ方がいいのでは……秋には結婚祝賀式典だってあるだろう。準備は間に合っているのか?俺は不安で仕方が無い!」
「そんなもの、わたくしの手にかかれば余裕の楽勝ですわ。クラウス様だって『何時いつもよくやってくれているのだからたまには息抜きもいいだろう』と言って下さったもの。クラウス様ってば、優しい!!」
「殿下はリーゼを甘やかし過ぎなのでは!?」


しかし実はエリザベータの発言は正しい。
"仮の"婚約者であったため教えられていなかった王宮の機密に関する事柄を除けば彼女の王妃教育はすでに修了しており、また、長く婚約者を務めた経験から王太子の公務補佐の点においても能力、実績ともに問題なく、加えて最近では見た目にそぐわぬ実直さで宮中伯をはじめ王宮内外の要人達との信頼関係も着々と築きつつある。
王太子妃の働きとしては申し分のないものなのだが、ON・OFFの差が激しいエリザベータのOFF部分ばかり見続けてきたカーティスの妹に対する信頼は薄い。


「この後もクラウス様が迎えに来てくれて、一緒に観劇に行きますのー!」
「ああ、知っている。王太子夫妻の観劇とあって城下は今朝から厳戒態勢だ。……リーゼは演劇が嫌いなのだと思っていたが、人の好みは変わるものだな」


かつて観劇へ行く途中の事故で妻を失う運命にあったカーティス。
それを阻止すべく、当時エリザベータは彼らが観劇へ行く気配を察知してはその予定をかたっぱしから潰しに潰した。


そのことについてエリザベータが何の説明もしなかったため、ある時は入場券チケットを「東方物産展」のものにすり替え、またある時は仮病を使い「妹が死にそうな時に観劇へ行くつもりですの?この薄情者ーーッ!!」と叫ぶ(元気だ)姿を見て、カーティスは妹が演劇を親の仇レベルで忌み嫌っているものと思っていた。
親の仇といっても彼らの両親は健在である。


カーティスの妻もいたって壮健で、今は1歳になった息子と共に実家である伯爵家にいる。この後カーティスもそこへ合流する予定だ。








そうこうする間に白銅色のドレスを身に纏ったフィオナが客間サロンに戻ってきた。


ドレスはところどころ調整のための仮縫いがなされているが見た目には分からない。
カミラの手で簡易的に結い上げられた銀の髪には先ほど選んだヒイラギの葉を模したアメジストの髪飾り、首元には髪飾りと同じ意匠のネックレスが輝いている。


身を飾るそのどれもがフィオナの可憐さを際立たせ、はにかんだ微笑みを浮かべる姿にみな一様に目を奪われた。


「フッ……勝った。今年のデビュタント、主役はフィーに決まったも同然ですわ。他家のご令嬢方はお気の毒ですこと、おーっほっほっほ!」


やおら立ち上がったエリザベータが高らかに笑い、ふらりとよろめいたカーティスは後ろの卓子テーブルに手をついて今にも倒れそうなおのれの体を支えた。


「これは、精霊……?だ、大丈夫なのか、精霊を世に出してしまって。おかしな男が群がって来るぞ!」
「エスコートはお父様ですもの、虫除けには十分ですわ」
「カートお兄様、リーゼ姉様、ありがとう」


フィオナはカーティスとエリザベータに礼を告げ、今度はテオバルトの方へと向き直る。


「兄さん、どうかな……変じゃない?」


テオバルトは遠慮がちに問う妹の姿を「夢でも見ているみたいだ」と思いながら眺めていた。
侯爵家ここへ来てからというもの、テオバルトは何度もこんな気持ちになる。


王都の中でも貧しい者たちが寄り集まって暮らす界隈に生まれ、両親とまだ幼かった弟を亡くしたテオバルトにたったひとり残された家族―――それが妹のフィーニだった。


目立つ銀髪を外套ローブで隠しても、整った顔立ちをした孤児みなしごのふたりは暴漢や人攫いに狙われることが多く、武器を持った大人たちを相手に引けを取らないテオバルトの強さを見いだした父の古い友人の薦めで王宮の暗部に身を置くことを選んだのも、すべては妹を守るためだ。


仕事でそばを離れる際には暗部の情報伝達に使われていた廃教会にフィーニをかくまい、合言葉を教えて「絶対に返事をしてはいけない」と言い含めた。
気配に聡い暗部の者ならば人が隠れていることに気付くだろうが、返事がなければすぐにその場を去り、以後廃教会ここが使われることはなくなるだろう。
私的に利用することが許される場所ではないと理解はしていたが、テオバルトはほかに安全なところを知らなかった。


大火が王都を襲った夜、消火の支援で帰りが遅れたテオバルトが、廃教会のどこにもフィーニの姿がないことを知りどれだけ探したことか。


「フィーはまだきっと、どこかで生きている」


一縷の望みにすがり、「妹をとらえた」という欺瞞にからめとられて謀反を企む宮中伯に従った。


『従者の石』を受け入れた後、宮中伯から妹の死を告げられたテオバルトの絶望はいかほどであったか。


「隷属」の〈魔術〉にくだみずから死を選ぶことすら許されないテオバルトにとって、それからの現実は目覚めの訪れない悪夢と同じだった。


「よく似合ってるよ、フィー」


それが現在いま、目の前には侯爵令嬢として美しく着飾った妹がいて、名は変われどもかつてと同じ愛称で妹を呼ぶ自分がここにいる。


テオバルトにとって、それがどれだけ得難いことであったか。


(悪夢が終わって、今度は幸せな夢でも見てるんじゃないだろうか……なんだか信じられない)


さまざまな想いが胸に去来して、テオバルトは目頭の奥がじんと熱く痛むのを感じていた。


「どうやら今日はお前の方に軍配が上がった様だが『自分の方がフィーを理解している』などとは思わぬことだな!」
「そうよ、ちょっと血が繋がっているからといって調子に乗らないで下さいまし!」
「とっとんでもないですよ!」


なぜか負け惜しみのようにカーティスとエリザベータが騒ぎだすのでテオバルトは我にかえった。


こうして幸せに浸っていられるのもアルヴァハイム侯爵家の助けを得ることができたからだ。
そう思い、テオバルトは深い恩義を胸にこうべを垂れる。


「フィーだけでなく僕の事まで助けていただいて、こうして仕事の世話まで……アルヴァハイム侯爵家の皆様には、本当に何とお礼を言ったらいいのか……」


テオバルトにとっては心からの感謝の言葉―――で、あったのだが、カーティスとエリザベータは一拍おいてからまた騒ぎだした。


「お前は何故そういつも他人行儀なのだ!」
「そうよ、フィーが淋しがっちゃうでしょう!」
「ええぇっ!?」


テオバルトは「まずいことを言ったのだろうか」と途方に暮れてカミラを見たが、彼女はただふっと口角を上げるばかりで助けてはくれなかった。








客間サロンの扉から廊下に出ると、侯爵家のものとは違う仕着せ姿の女性が3人並んで控えている。
エリザベータと共に王宮から来た、王太子妃付きの侍女たち。その中に見知った顔を見つけ、テオバルトは茶器の乗った台車を運ぶ足を止めた。


「"首刈りカルラ"……あ、いえ、ロイス伯爵閣下」
「侍女として働いている間は爵位名でお呼びになるのはご遠慮願います」
「すっすみません!」


慌てて頭を下げるテオバルトに上品な微笑みを向けるふたりの侍女とは対照的に、その間に立つ亜麻色の髪の侍女はにべもない。


微笑むでもなく睨むでもなく。感情を映さぬ胡桃色の瞳をテオバルトに向ける彼女―――カロリーナは、ロイス伯爵家当主でありエリザベータの古くからの侍女でもある。
目下のところ、領地の管理は夫に任せ王宮内での足場固めにいそしんでいると、テオバルトはカミラから聞いていた。


時期は違えど自分同様かつては王宮暗部に所属し、標的となった者は首と胴体が繋がったままいることは叶わない"首刈りカルラ"とおそれられたカロリーナを密かに尊敬するテオバルトであったが、当のカロリーナは誇張された噂とふざけた二つ名を冷めた気持ちで受け止めていたりもする。


「くび……カロリーナ様、精霊祭では大変お世話になりました。本当ならもっと早くにお礼を言いたかったんですが、カロリーナ様……僕の事、避けてましたよね……」


カロリーナがわずかに眉をひそめるのを見て、テオバルトはそっと目を伏せた。


エリザベータの婚姻と同時に籍を王宮に移したカロリーナ。
侯爵家ここで共に過ごした時間は短かったが、その中でもテオバルトはカロリーナに避けられていることを察していた―――テオバルトの気配を感じると煙のように姿を消すカロリーナの態度は、あからさまだったので。


「あの時あなたが止めてくれなければ僕は未来の王太子妃殿下を……疎ましく思うのも当然だ。でも、どうしてもお礼だけは言いたかったんです。本当に、ありがとうございました」


そう言って、テオバルトは深く頭を下げた。


思い違いからテオバルトがエリザベータを手にかけるところであったこと、それをカロリーナが阻止したこと。
他の侍女たちの手前、踏み込んだ話ができないのがもどかしい。しかし、おかしな風に曲解されカロリーナに不名誉な誤解が生じることを、テオバルトは避けたかったのだ。


しかしそれは杞憂であった。


王太子妃付きの侍女。彼女らの浮かべる淑女の笑みは、相手に感情を悟らせぬ鉄壁の仮面でもある。


その仮面の裏、カロリーナの右隣に立つ侍女は「アルヴァハイム侯爵家で雇った銀髪美男子で噂の使用人とはこのかたね。儚げで繊細な美しさ……これはわたくし監修『イドニア王国男前番付』の上位に食い込む逸材……!隠し立てするとはカルラさん、許すまじ。絶対絶対絶対に、あとで紹介してもらいますわよ!!」と闘志を燃やしていたし、
左の侍女は「『首刈りカルラ』も気になるけれど、『僕は未来の王太子妃殿下を』の、続きはなにかしら。もしかして、淫靡な話なのではないかしら。きっとそうだわ、そうに違いない。この切なげな面持ち。彼はエリザベータ妃殿下とただならぬ仲で……なるほどクラウス殿下がご結婚を急いだのにも合点がいく。あまりにも早すぎたもの、発表からご成婚までが。長年無碍にしてきた婚約者。自分の気持ちに気付いたときにはすでに、彼女の隣には麗しい男性使用人の姿が……あぁっ!略奪愛!略奪愛なのですね、クラウス殿下!?あらっ?婚約者と結婚するのも略奪愛と呼ぶのかしら……いいえ!この際そんなのどうだっていいわ。ふお、お、お、お、たっかぶってきたアァァ!!」と心で叫んでいた。


テオバルトが何を言おうが言うまいが、火のないところにも煙は立つのである。


左右からの無言の圧力があつくるしくてやかましい。と思いつつ、それはひとまず無視することにしたカロリーナ。彼女には面倒ごとを後回しにする悪癖があった。


自分へ向けられた銀色の頭頂部をしばし眺め、小さくため息をく。


「……顔を上げて下さい」


カロリーナの声におずおずと顔を上げるテオバルトの表情は頼りなく、悪戯いたずらを叱られた子供のように見えた。


「妃殿下はその事に関していっさい気にされていらっしゃいませんし、私も貴方あなた個人に対して思う所は何ひとつございません。アルヴァハイム侯爵家の為、尽力して下されば、それで」


カロリーナの声音は淡々としたもので、しかしそれを聞くテオバルトはきょとんと不思議そうに首をかしげる。


テオバルトの知るカロリーナは、いつも不遜なくらいに飄々としていて、こんなふうに気まずげに、きまり悪そうに目をそらしながら話す顔など見たことがなかった―――テオバルトには、カロリーナのほうこそが悪戯いたずらを叱られた子供のように見えたから。


「避けていたのは」


カロリーナはいかにも不承不承といった様子で言葉を続ける。


貴方あなたの顔を見るとどうしても―――あの時王太子妃殿下のお側を離れてしまった自分の浅慮さを思い出され、その……貴方あなたに、八つ当たりしてしまいそうでしたので……」


昨年の精霊祭、離れた隙を突かれエリザベータを単身危険にさらしたことを、カロリーナはそれはもう気にしていた。なかったことにしたいくらいだった。


それまでの人生、いかな業務もそつなくこなしてきたカロリーナ。
失敗らしい失敗を知らずに生きてきた彼女は、案外打たれ弱かった。


かしこまって「そのことで貴方あなたに不要な誤解を与えた事については謝罪します」と詫びる姿は凛と整った辞儀の姿勢でありながら「しぶしぶ」という感情が伝わってくるのだから不思議だ。
「周到で近寄りがたい」と思っていたカロリーナの子供っぽい一面を垣間見た気がして、テオバルトの頬がつい緩む。


「八つ当たりなんて、いくらでもしてくれて良かったのに」
「アルヴァハイム侯爵家では使用人同士の私闘は禁じられておりますので」


カロリーナのいう「八つ当たり」が想像よりもダイレクトな意味だったので、テオバルトは思わず笑顔をひっこめた。








場所は変わってアルヴァハイム侯爵家、書斎。


あか色の棟髪を刈り上げた壮年の紳士、アルヴァハイム侯爵家当主ワルテンが、顎髭をひと撫でして書類に落としていた視線を上げる。


「そろそろドレスも決まった頃か」


燃えるようなあかい髪に肉食獣を想起させる鋭いまなざし。見る者にいかめしい印象を与えるワルテンとは対照的に、かたわらの卓子テーブルで紅茶のカップを傾ける浅紫あさむらさき色の髪を結い上げた淑女、妻アダリーシアはおっとりと優しげな少女の雰囲気を持つ。ともすると娘に間違えられてしまうこともあるが、実年齢はワルテンととおも離れていない。


アダリーシアは夫の目線を追うように柱時計を見上げると、わざとらしくため息をいた。


「わたくしも一緒に選びたかったわぁ」
「我々は今回は遠慮だ」


アルヴァハイム侯爵家に養女として引き取られてからは王都の別邸で過ごしたフィオナにとって、共にした時間が一番長かったのが、王太子の婚約者として領地には戻らず、同じく別邸で過ごしていた長女エリザベータだった。


そのエリザベータも現在は王太子妃として王宮へ居を移し、これからは―――特に登城の機会が滅多にないフィオナは―――これまでのように気軽に顔を合わせることは難しくなるだろう。


「フィーのドレスはわたくしが選ばなければ始まりませんわ!」と意気込んだエリザベータが時間を設けて侯爵家へやって来た今日この日くらいは、ゆっくりと話す時間を作ってやりたい。
アルヴァハイム侯爵家随一のおしゃべりであるアダリーシアがいてはそれは叶わないだろう。
本当は自分だって一緒に選びたかった。


……とは言えないワルテン。
妻の尻に敷かれている自覚は、ある。


「リーゼは『今年の精霊祭はフィーと一緒に』と言うが、それも可能かどうか」
「あらぁ、リーゼちゃんならやると思うわよぉ。出来ない約束はしない子だもの」
「む……」


エリザベータの王太子妃としての振る舞いは如才ない。
それに妹だいすきエリザベータのことだ。精霊祭でも上手くフィオナとの時間を作るかもしれない。
確信めいた妻の微笑みを見て、ワルテンはそう思い直した。


そのエリザベータだが、本来ならば実際に王太子妃になるはずではなかった。


「あれから3年か……」


独白するように呟くワルテンが思い出すのはエリザベータが15歳、デビュタントを終えた、その夜のことだ。


エリザベータを送り、共に屋敷へやって来たクラウスが、ワルテンとアダリーシアだけに話があると言うので中へと招き入れた。


盗み聞きをしようとしたエリザベータが侍女たちに連行され、人払いをして3人だけになった貴賓室。


搗色かちいろ外套マントを羽織った正装姿のクラウスは、整った顔立ちに少年のあどけなさをやや残しながらも、見通すような藍の瞳と毅然とした居住まいにはすでに未来の王たる風格を備えていた。


そのクラウスから「将来的にはリーゼを妻に迎えるつもりでいる」と告げられ、ワルテンとアダリーシアは仰天したのだった。


王太子妃となる者を隠し守る『盾』の役割を担いクラウスの婚約者を務めるエリザベータ。
まことの王太子妃を迎える準備が整えば『盾』は役割を終え婚約は解消、その褒賞として、縁談であれ進学であれ、王宮からの後援を得ることができる。


いくらエリザベータが「婚約解消後も縁談はいらない」と言えど、時が経てば気持ちも変わるかもしれない。何人か信頼の置ける相手を見繕っておこうか、そう考えていた矢先。


ただでさえ前日にエリザベータから「吟遊詩人になる」と聞かされていたワルテンは混乱のあまり「で、殿下も吟遊詩人に?」と訳のわからないことを口走り、クラウスからは至極冷静に「俺は吟遊詩人にはならない」と返された。


「リーゼにも、吟遊詩それ人は諦めてもらう事になる」


クラウスの口から出た一言に、エリザベータの「吟遊詩人になりますわ」宣言が王太子の前でも繰り広げられていることを知り、ワルテンは軽くめまいを覚える。


「今はまだ約束を形に残すことは出来ない。だがどうか、頼む」
「殿下……!」


狼狽したワルテンが長椅子ソファから腰を浮かす。


あってはならないことだった。
王太子が、臣下である侯爵じぶんに対して頭を下げることなどは。


「いけません!お顔をお上げください!」


ワルテンの懇願はなかば悲鳴じみた声で―――しかしクラウスは、根負けしたワルテンから諾の返事を得るまで、その顔を上げることをしなかったのだった。


翌朝、エリザベータは何も聞いてこなかったが、もの言いたげな表情からは不安が見て取れた。
大方クラウスが「王太子妃を迎える準備を終えた」と婚約解消の話をしに来たのかと思ったのだろう。
ワルテンだって話を聞くまではそう思っていた。


そんなエリザベータに「婚約解消の話ではなかった」と言うにとどめたのは口止めされたことばかりが理由ではない。


「当人にまで内密に」というのは、ワルテンにも頷けた。
エリザベータのクラウス推しを間近で見てきたワルテンからすると、話を聞いて「クラウス様と結婚できるんですの!?ヒャッホーイ!!」と踊り出す娘の姿がありありと目に浮かぶ。口止めしたところで、どうしても態度には出るだろう。


しかしそれ以上に、ワルテンはクラウスの真意をはかりかねていた。


常に冷静で公正無私、目的のためには手段をいとわない冷酷さを持ち、国益にならぬ行いはしない。権謀術数に長け、年若いと侮るとこちらが痛い目を見ることになる。
それがワルテンの知る、クラウス・グランツ・フォンシュルツェブルクという男であった。


エリザベータは家格こそ問題ないが、貴族でありながら圧倒的に魔力が少ない。それはこの国の王太子妃には不相応な欠点だ。


代々、王室への忠義を一徹に貫くアルヴァハイム侯爵家と、娘を王太子妃に迎えてまで殊更ことさらに縁を深める必要性も感じられない。


そもそも口止めされたこと自体、現段階ではクラウスとエリザベータの結婚が王宮内で認められないことと同義であり、その困難を押し切ってまでエリザベータを王太子妃に据える「利」が、ワルテンには見つけられなかった。


むしろ実際にエリザベータを王太子妃に迎えるつもりはなく、アルヴァハイム侯爵令嬢であるエリザベータが婚姻しないことがなんらかの形で王室の利につながる―――王太子のひととなりを鑑みれば、そう考えたほうがよほど自然であったのだ。


ことあるごとに「クラウス様のお嫁さんになりますのー!」と耳にタコができるくらいに聞かされてきたワルテンは、この国の貴族ではおよそあり得ない魔力の少なさを知り、望みがついえたと理解したときのエリザベータの泣き顔が忘れられない。
悲観のあまりすべてを投げ出してしまうのではないかという周囲の心配をよそに、研鑽を積み王妃教育をやり遂げたエリザベータをワルテンは誇りに思っていたし、いたずらに期待させて落胆する娘の顔はもう見たくなかった。


そのまま何の進展もなく月日は流れ、やがてクラウスが宮中会議で王太子妃を定めたと意を示し「殿下は『愛し子』を妃に迎えるおつもりだ」とさんざめく王宮の様子を眺めながら、ワルテンは「やはりリーゼには話さなくて正解だったのだ」という安堵と、少しの失望を覚えたのだった。


「……まさか本当に、リーゼを妻として迎えるとはな」
「あなたってば、深読みしすぎなのよぉ」
「しかし、殿下だぞ!?」


アダリーシアが扇を広げてからからと笑う。


「夜会のたびに、自分のお色のドレスや飾りを贈ってくださったものねぇ。リーゼちゃんは気付いていなかったけれど、他の殿方は声をかけづらかったんじゃないかしらぁ。殿下ってば、案外やきもち焼きなんだわ」


それに対して「きっと何か裏があるに違いない」と言っていたのはお前ではないか。
とは言えないワルテン。


「そ、それだと、まるで殿下がリーゼに懸想しているように聞こえる」
「実際そうだったじゃない」


蓋を開けてみれば最初の言葉のまま、クラウスはエリザベータを迎える準備を全て整え、宮中伯らの賛同まで携えてやって来た。


妻となったエリザベータの腰を抱き寄せ雪解けのような微笑みを向けるクラウスを初めて見たとき、宰相は驚きのあまり立ったままの状態で失神したそうだが、今ではすっかり見慣れてしまったという。


「そういうところは、前王妃殿下にそっくりだと思うわぁ。涼しい顔して、欲しいものだけは絶対に譲らないの。きっとクラウス殿下にとっての"欲しいもの"が、リーゼちゃんだったのね」


ワルテンにはいまだ信じられない。
しかし他のどんな理屈よりも、妻の一言は不思議なくらいにすっと腑に落ちた。


ふたりの会話が終わる頃を見計らったようなタイミングで書斎の扉がノックされ、執事のヨーゼフがうやうやしく姿を現す。


じき、王太子殿下がお見えになります」
「あらっ噂をすれば……」


窓のむこう、王室の馬車が門を通過して屋敷こちらへ向かってやって来る。


前庭に並ぶ、薄緑に色づき始めた銀杏イチョウの木々が、春の訪れを告げていた。









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