乙女ゲームの当て馬悪役令嬢は、王太子殿下の幸せを願います!
第79話 悪役令嬢の退場
ふと気が付いて、朦朧としたままの意識で目を開くと見慣れた天井が見える。
出来損ないの笛みたいにヒューヒュー鳴る呼吸音が自分のものだと気付くまで、少し時間がかかった。
―――私、まだ生きてたんだ
零した失望は声にすらならず、只喘鳴となって吐き出される。
病院なんて行ってない。
自分がどんな状態なのかも分からない。
酷く続いた咳は今では何故か治まっていて、あんなに痛くて苦しかった体も最早何も感じない。
意識も感覚も朧げで、ヒタヒタと足音を立てて忍び寄る「死」の気配だけが、やけに身近に感じられた。
―――こんな時でも、自分は独りだ
ふと、昔好きだったゲームの事を思い出した。
可愛くて優しくて。主人公のアリスは誰からも愛される女の子だった。
私もあんな風になりたかったな。
―――でも
アリスは誰からも愛されていたけど、それは始めから可愛くデザインされた『ゲームの主人公』だからというだけではなくて。
アリスだって、誰に対しても一生懸命で、愛情を持って接していた。
―――私は、どうだっただろう
幼い頃に両親を亡くして、たったひとりの兄も事故で失って。
独りぼっちになって悲しい思いも沢山したけど、そんな中で、優しくしてくれた人もいた。それなのに。
また失うのが怖くて、遠ざけて、逃げ出した。
ずっとそんな風に生きて来て、最後に手元に残ったのは、何もないからっぽの自分だけ。
―――馬鹿だなあ
例えば誰からも愛されなかったとしても、誰かを愛する事だったら、出来たかもしれなかったのに。
―――なにもかも、いまさら
たったひとりでいい。
嫌われても、疎まれても、誰かを心から愛する事が出来ていたなら。
同じ様に、結局は独りで死ぬ事になったとしても、何かが違っていただろうか。
―――もしも
ゆっくりと息を吐き出す。
耳障りだった喉の音も、いつの間にか、もう聞こえない。
―――もしも、生まれ変われたら
「リーゼ」
夢を見ていた。
ずっと昔の―――昔?昔のわりに、わたくしは子供ではなかった様な…むしろ今よりちょっと大人だった?
………だめだわ、思い出せない。
手繰り寄せようとした記憶は、あっという間に解けて消えた。
後に残った心が軋む様なこの胸の痛みは、夢の余韻なのだろうか。
「リーゼ」
もう一度名前を呼ばれて漸く、「そういえば、誰かに呼ばれて目覚めたのだった」と思い至った。
ぼんやりと今の状況を理解していく。
そう。
ここは王宮の王太子夫妻の寝室で、わたくしを呼んだ声は夫のクラウス様のもので………って、何ですと!?夫!!?
同じ寝台の上、隣に横たわったままのクラウス様が、わたくしの頬に手を当てこちらを見つめている。
直ぐ目の前にあるクラウス様の整ったお顔にドキーン!と鼓動が跳ね、寝惚けた頭は一瞬で覚醒した。
そうでした。夫でした。
わたくしエリザベータ・フォン・アルヴァハイム改め、エリザベータ・シュテュッツェ・フォンシュルツェブルク(長い)がクラウス様と婚姻を交わし王宮で暮らす様になってから、まだ一週間も経っていない。
何もかもが急すぎて……というよりも、幸せすぎて信じられなくて、「これ、夢なんじゃあないの?」と実感が湧かないというのが正直なところ。
だって「夫」よ、「夫」。
そしてわたくしは、クラウス様の、妻!キャ♡
「クラウス様…おはようございます………」
しまった。動揺しておかしな事を口走ってしまった。
なにが「おはよう」なのか。今は夜中だ。いや、未明?どちらにせよ朝ではない。まだ暗い。
「大丈夫か?」
部屋を照らす灯りは、窓から差し込む月の光だけ。薄闇の下で見るクラウス様の瞳の藍色が殊更に深くて、吸い込まれてしまいそうな錯覚すら抱いてしまう。
「泣いていた」
夜中に朝の挨拶をした事を心配されたのかと思ったが、どうやら違った様で。
言われて初めて、わたくしは自分が泣いている事に気が付いた。
筋張った大きな手が気遣わしげにわたくしの頬を撫で、指で涙を拭う。
その動きは、まるで壊れ物を扱う様に丁寧で、優しくて、自分がとても大切にされているのが伝わって来るので少しくすぐったい。
「なんだか…夢を見ていた様で……どんな夢かは、思い出せないのですけれど……」
「そうか」
照れながら答えると、クラウス様はそのままわたくしの体を引き寄せる様にして抱きしめた。
は、はわわ!
その逞しい腕に、体温に、くらくらと眩暈がする程の羞恥を覚える。
恥ずかしいのは寝台の上で抱きしめられているから、だけではない。ふわっふわの羽毛布団の下とは言え、お互い一糸纏わぬ姿だったからだ。
触れ合う肌の暖かさに、否が応でも、眠る前―――正確に表現すると気絶と言えば良いのだろうか、気を失う前、自分が寝台でどの様な有様だったのかが思い出されて、一気に顔に熱が集まってしまう。
ななな何て事を。
「何て事を」としか言えない記憶が次々と脳裏に蘇り、その割に何だか体はスッキリサッパリしている。
気を失っている間に、誰かがわたくしの体を清めている……?誰。誰なの?侍女として王宮に付いて来たカルラ?ま、まさか、クラウス様が直々に!?
……どちらにせよ恥ずかし過ぎて悶えそうになるので、深くは考えない様にしよう。
わたくしは思考を放棄した。
そんな心の葛藤を知ってか知らずか、クラウス様はわたくしを抱きしめたまま、梳く様にして撫でている紅色の髪に、時折接吻を落とす。
痩せている様に見えて、実はなかなかの筋肉質なのよね、クラウス様って。ダイレクトにそれが伝わって来るので、それはそれで恥ずかしいのですけれど。
愛おしそうに抱きしめられた分、締め付けられる様に胸がぎゅーっと熱く滲んで、泣きたくなるほど幸せな気持ちが込み上げて来る。
この人が好き。
知らなかった。
誰かを愛して、そして同じ様に愛を返してもらう事が、こんなにも幸せな事だなんて。
だからもう、大丈夫。頑張ったわね。
―――んん?
今のは誰に向けての感想なのかしら?自分?自分への労いの言葉?
わたくしったら、まだ寝ぼけているのかもしれないわ。
「何を考えている?」
低い声が耳元に響いたと思ったら、わたくしの体はくるんと仰向けにされ、そのままクラウス様の体が覆い被さって来た。
「まだ夢の事か?」
「はわ、はわわわわ!!は、はいっ思い出せそうな出せなさそうな感じで、ですね……!」
「いい。そのまま忘れてしまえ」
一瞬で限界突破した恥ずかしさに顔を真っ赤にしてパニック状態に陥るわたくしを見て、クラウス様がふっと微笑う。
「協力してやる」
「ふえっ?」
「何を?」という声は出なかった。
言葉を紡ごうとした唇はその役を果たせぬまま、クラウス様の接吻によって塞がれてしまった。
出来損ないの笛みたいにヒューヒュー鳴る呼吸音が自分のものだと気付くまで、少し時間がかかった。
―――私、まだ生きてたんだ
零した失望は声にすらならず、只喘鳴となって吐き出される。
病院なんて行ってない。
自分がどんな状態なのかも分からない。
酷く続いた咳は今では何故か治まっていて、あんなに痛くて苦しかった体も最早何も感じない。
意識も感覚も朧げで、ヒタヒタと足音を立てて忍び寄る「死」の気配だけが、やけに身近に感じられた。
―――こんな時でも、自分は独りだ
ふと、昔好きだったゲームの事を思い出した。
可愛くて優しくて。主人公のアリスは誰からも愛される女の子だった。
私もあんな風になりたかったな。
―――でも
アリスは誰からも愛されていたけど、それは始めから可愛くデザインされた『ゲームの主人公』だからというだけではなくて。
アリスだって、誰に対しても一生懸命で、愛情を持って接していた。
―――私は、どうだっただろう
幼い頃に両親を亡くして、たったひとりの兄も事故で失って。
独りぼっちになって悲しい思いも沢山したけど、そんな中で、優しくしてくれた人もいた。それなのに。
また失うのが怖くて、遠ざけて、逃げ出した。
ずっとそんな風に生きて来て、最後に手元に残ったのは、何もないからっぽの自分だけ。
―――馬鹿だなあ
例えば誰からも愛されなかったとしても、誰かを愛する事だったら、出来たかもしれなかったのに。
―――なにもかも、いまさら
たったひとりでいい。
嫌われても、疎まれても、誰かを心から愛する事が出来ていたなら。
同じ様に、結局は独りで死ぬ事になったとしても、何かが違っていただろうか。
―――もしも
ゆっくりと息を吐き出す。
耳障りだった喉の音も、いつの間にか、もう聞こえない。
―――もしも、生まれ変われたら
「リーゼ」
夢を見ていた。
ずっと昔の―――昔?昔のわりに、わたくしは子供ではなかった様な…むしろ今よりちょっと大人だった?
………だめだわ、思い出せない。
手繰り寄せようとした記憶は、あっという間に解けて消えた。
後に残った心が軋む様なこの胸の痛みは、夢の余韻なのだろうか。
「リーゼ」
もう一度名前を呼ばれて漸く、「そういえば、誰かに呼ばれて目覚めたのだった」と思い至った。
ぼんやりと今の状況を理解していく。
そう。
ここは王宮の王太子夫妻の寝室で、わたくしを呼んだ声は夫のクラウス様のもので………って、何ですと!?夫!!?
同じ寝台の上、隣に横たわったままのクラウス様が、わたくしの頬に手を当てこちらを見つめている。
直ぐ目の前にあるクラウス様の整ったお顔にドキーン!と鼓動が跳ね、寝惚けた頭は一瞬で覚醒した。
そうでした。夫でした。
わたくしエリザベータ・フォン・アルヴァハイム改め、エリザベータ・シュテュッツェ・フォンシュルツェブルク(長い)がクラウス様と婚姻を交わし王宮で暮らす様になってから、まだ一週間も経っていない。
何もかもが急すぎて……というよりも、幸せすぎて信じられなくて、「これ、夢なんじゃあないの?」と実感が湧かないというのが正直なところ。
だって「夫」よ、「夫」。
そしてわたくしは、クラウス様の、妻!キャ♡
「クラウス様…おはようございます………」
しまった。動揺しておかしな事を口走ってしまった。
なにが「おはよう」なのか。今は夜中だ。いや、未明?どちらにせよ朝ではない。まだ暗い。
「大丈夫か?」
部屋を照らす灯りは、窓から差し込む月の光だけ。薄闇の下で見るクラウス様の瞳の藍色が殊更に深くて、吸い込まれてしまいそうな錯覚すら抱いてしまう。
「泣いていた」
夜中に朝の挨拶をした事を心配されたのかと思ったが、どうやら違った様で。
言われて初めて、わたくしは自分が泣いている事に気が付いた。
筋張った大きな手が気遣わしげにわたくしの頬を撫で、指で涙を拭う。
その動きは、まるで壊れ物を扱う様に丁寧で、優しくて、自分がとても大切にされているのが伝わって来るので少しくすぐったい。
「なんだか…夢を見ていた様で……どんな夢かは、思い出せないのですけれど……」
「そうか」
照れながら答えると、クラウス様はそのままわたくしの体を引き寄せる様にして抱きしめた。
は、はわわ!
その逞しい腕に、体温に、くらくらと眩暈がする程の羞恥を覚える。
恥ずかしいのは寝台の上で抱きしめられているから、だけではない。ふわっふわの羽毛布団の下とは言え、お互い一糸纏わぬ姿だったからだ。
触れ合う肌の暖かさに、否が応でも、眠る前―――正確に表現すると気絶と言えば良いのだろうか、気を失う前、自分が寝台でどの様な有様だったのかが思い出されて、一気に顔に熱が集まってしまう。
ななな何て事を。
「何て事を」としか言えない記憶が次々と脳裏に蘇り、その割に何だか体はスッキリサッパリしている。
気を失っている間に、誰かがわたくしの体を清めている……?誰。誰なの?侍女として王宮に付いて来たカルラ?ま、まさか、クラウス様が直々に!?
……どちらにせよ恥ずかし過ぎて悶えそうになるので、深くは考えない様にしよう。
わたくしは思考を放棄した。
そんな心の葛藤を知ってか知らずか、クラウス様はわたくしを抱きしめたまま、梳く様にして撫でている紅色の髪に、時折接吻を落とす。
痩せている様に見えて、実はなかなかの筋肉質なのよね、クラウス様って。ダイレクトにそれが伝わって来るので、それはそれで恥ずかしいのですけれど。
愛おしそうに抱きしめられた分、締め付けられる様に胸がぎゅーっと熱く滲んで、泣きたくなるほど幸せな気持ちが込み上げて来る。
この人が好き。
知らなかった。
誰かを愛して、そして同じ様に愛を返してもらう事が、こんなにも幸せな事だなんて。
だからもう、大丈夫。頑張ったわね。
―――んん?
今のは誰に向けての感想なのかしら?自分?自分への労いの言葉?
わたくしったら、まだ寝ぼけているのかもしれないわ。
「何を考えている?」
低い声が耳元に響いたと思ったら、わたくしの体はくるんと仰向けにされ、そのままクラウス様の体が覆い被さって来た。
「まだ夢の事か?」
「はわ、はわわわわ!!は、はいっ思い出せそうな出せなさそうな感じで、ですね……!」
「いい。そのまま忘れてしまえ」
一瞬で限界突破した恥ずかしさに顔を真っ赤にしてパニック状態に陥るわたくしを見て、クラウス様がふっと微笑う。
「協力してやる」
「ふえっ?」
「何を?」という声は出なかった。
言葉を紡ごうとした唇はその役を果たせぬまま、クラウス様の接吻によって塞がれてしまった。
「恋愛」の人気作品
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