乙女ゲームの当て馬悪役令嬢は、王太子殿下の幸せを願います!

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第78話 エリザベータという女⑨

王妃教育を担当するブットシュテット夫人はリーゼを「泣かない強い女」と評価するが、そうでもないと俺は思う。


俺の前では案外泣くし、不安になるとぐあの目にうるさい扇を広げ顔を隠そうとする。


あの高笑いだってそうだ。
貴族同士の腹の探り合いで感情を悟られぬ様、母親の笑顔を真似たものだった筈だ、初めは。
それが時と共に独自の進化を遂げ、気付いた頃には全くの別物になっていたが、「大きな声で笑うとすっきりしますの!」と本人が言うのだから、それはそれで良いのだろう。
遠くにいる分には居場所が分かって便利なのだが、至近距離でやられると頭に響くので少し控えて欲しい。


めげないが、打たれ強い訳でもない。
肉食獣を想起させる威圧感ゆえ誤解されがちだが、本来の気質はむしろ臆病な方ではないだろうか。
思い込みが強すぎて辟易する時も多々あるが、にぎやかで情け深く勤勉で、俺の事が大好きな女。


「わたくし、クラウス様のお嫁さんになりますわ!」


何度目に言われた時だったか。
魔力の査定の後は一度も言われていないので、その前だったと思う。


ナズナの花が好きだと言うので、庭師を説き伏せ庭園に設けさせたナズナの花畑。
片隅でささやかに咲く花を手に微笑わらうこの女を、俺は手放したくないと思った。


魔力のない王太子妃を認める者はいない。


ならば認めざるを得ない状況を作ればいい。






15歳のデビュタント、正装した俺に見惚れるリーゼを見て―――リーゼが俺に見惚れる事自体はそう珍しくもなかったが―――「好き」だの「格好良い」だの言う癖に親愛以外の感情がいまいち見受けられない事に内心不満を持っていた俺は、その表情かおに初めて、確かな恋情の色を見つけ喜んだ。
―――サファイアの装飾であかい髪を結い上げ、藍のドレスに身を包んだリーゼの美しさに見惚れていた自分の事など棚に上げて。
「とても嬉しそうには見えませんでしたけどね」などとウィルは言うが、あいつはいつも一言多い。






「リーゼが王太子の本来の婚約者の『盾』である」とは決して大袈裟な表現ではなく、権力武力共に強大なアルヴァハイム侯爵家に正面から挑む者は少なかったが、代わりにリーゼの身を直接害そうと刺客を差し向ける者が後を絶たなかった。
名目上王妃の管理下となるローゼンハイム領の潤沢な資源を狙う者、そういった者を隠れ蓑にしたアルヴァハイムの政敵も多く、よくもまぁこれまでの『盾』は無事に生き延びたものだ。アルヴァハイムに仕えるロイス伯爵家の尽力も大きかったのだろう。


当然これらは違法であり、王太子の婚約者に刃を向ける行為は王室への叛逆でもある。
リーゼに付けた"影"に報告させ、アルヴァハイムの追求を逃れた者もひとつひとつ潰して来たので、次代から少しは平和になると思う。


刺客からの保護という観点では学院は非常にやりづらい場所だった。
せめてもの対策にとリーゼとの茶会を減らした所、あっという間に王太子おれ婚約者リーゼの不和が噂され、元々減らしていた刺客すら消え失せた。


思惑通りだ。思惑通りなのだが、気に食わない。


茶会を減らしただけだ。
何故、皆こうもあっさりと不仲だと信じる?
無愛想だという自覚はあるが、俺の態度はそんなにも酷かったのか?
「論争の末リーゼが俺の頭に噛み付いた」という噂は、一体何処どこから出て来た?


何より一番気に食わないのが、当のリーゼまでもがその噂を鵜呑みにしている事だ。


しかも、俺と"愛し子"の仲を取り持とうとしているだと?
何が悲しくて、好きな女から他の女との関係を応援されなければならない。


一体何を考えている、あの女は。
まさかまだ、俺の事を弟か何かだと思っているのではないだろうな。


「やめて!そのやめてって!」


静かに怒る俺の足元で、ギルバートは涙を流していた―――






フォンシュルツェブルクの〈魔術〉は、物質のを操作する。
どの様な形になろうとも、ある程度の量さえ確保出来れば「それが過去在った状態」まで時を戻す事が出来るのだ。
崩れ風に流された『石』の復元は叶わなかったが、ザイフリート公爵家の暖炉をかき集めた灰から王太子おれの暗殺を企てた書状は復元出来た。更に他の灰からは余罪が山程出てきたので、アロイジウスを捕らえるには十分だった。


死んだ人間を蘇らせたり病を治したりする事は不可能だが、人体に対しても効果はある。
すでに死罪が確定している罪人への拷訊に使う様な恐ろしい〈魔術〉だ。


「え……そんな恐ろしいものを、俺に?」
「お前がなかなか口を割らないのが悪い」


イングリート王宮、王太子の執務室。


焦茶色の髪の男、ギルバートが、俺を見て青褪めている。


「しかしギルバート殿も、随分と殿下に気に入られたものですね」


「え……気に入られた?これで?」というギルバートの言葉は受け流し、長い黒髪を後ろに束ねたハシバミ色の瞳の魔術士姿の男、ウィルはにこにこと笑っている。


「初めは大変だったんですよ。貴方あなた、歓迎会でエリザベータ嬢と踊ったでしょう。その時エリザベータ嬢がステップを踏み間違えたとか何とかめんどくさ…いえ、うるさくて」


ウィルは本当に余計な事ばかり言う。
「めんどくさい」を「うるさい」に言い換えた意味は何だ?両方言いたかっただけだろう。


「リーゼが公式の場でステップを踏み間違えるなどありえない」


俺の言葉に「ほら、めんどくさいでしょ?」と悪びれもしないウィルの隣で、ギルバートが「えぇ…俺最初っから目ぇ付けられてたの……」と嘆いている。


「そんなにエリザベータ嬢が心配なら、初めから全部教えてあげてたら良かったんですよ」


ウィルは「彼女も当事者なんですから」と少し呆れた様子だ。


「そうすれば、コソコソと屋敷に忍び込むなんて賊の様な真似もせずに済んだのではないでしょうかね?」


こいつは俺が奉奠祭の祭礼行列から抜け出した片棒を一方的に担がされた事をいまだに根に持っている。
そもそも、渋るワルテンから護衛に話を通して貰いウィルの言う通りコソコソと忍び込んだのは、多くの使用人の目に触れてアロイジウスが話を聞き付けるのを防ぐ為であって、リーゼの認識如何は関係ない。
単に俺が会いに行くのを我慢すれば済む話であったが、ただでさえ会う時間が減った上にアロイジウスに執拗に探りを入れられ身動きが取れぬ中、俺の我慢は限界を迎えていたので無理だった。


「駄目だ。リーゼは顔に出過ぎる」


真正直な彼女を愛らしく思う反面、時折恨めしく思う事もある。
公務であればそつなく完璧にこなすのに、こと俺が関するとなると―――


「……なんか、ちょっと笑ってません?」
「きっとやらしーこと考えてんだぜ。やだー、殿下えろーい」


……俺も人の事は言えないのかもしれない。


王太子に対して不敬極まりない発言をするギルバートも、初めの頃こそ俺に怯えてその長身を縮み込ませていたものだが、今ではコレだ。


「それで、宮中会議は問題無く終えられましたでしょうか」


一瞥をくれると、ギルバートは素早く姿勢を正して話を変えて来た。


―――結果から言えば、国王陛下、宰相とアロイジウスを除いた9人の宮中伯、その全てが、リーゼを王太子妃に据える事に賛同した。


これには隣国で起こった革命が大きく影響している。
隣国もかつては我がイドニア王国同様、精霊信仰を礎とする政教一致の王国であったが、我が国以上に魔力の多寡による選民意識が強く、不満が爆発した民衆による革命の末、現在は共和制国家となっている。


我が国でも魔力を多く持たぬ者の権利を主張する動きが高まっており、危機感を抱いた宮中伯らがそれを収束させるべく日々奔走している。
その為宮中伯の中で信仰意識の高い者も、魔力が少ない者を王太子妃に据える事でそうした活動に対する理解を示す案に納得したのだ。


「7、8年前から急激に動きが活発化したんです。なんでも、正体不明の強力な支援者が付いたとかで」
「えっそれって…いやまさかだよな?」
「………」


若干非難の色を浮かばせたハシバミ色の瞳と、こちらは驚愕を浮かばせた赤褐色の瞳が向けられ、俺は黙って目をらした。


「何してんのアンタ……7、8年前って何歳だよ、何てガキだ……」


王太子に向かって「ガキ」とはギルバート、お前こそ何て奴だ。
それに公費は使っていない。俺だって自由に出来る私財はいくらか持っている。


宮中伯の半数は元より王太子妃の選定に関しては日和見的な意見を持っていた事に加え、魔力の高いアロイジウスが王太子暗殺を企てた直後であった事も手伝い、リーゼを王太子妃とする案はあっさりと承認を得た。


ようやくだ。
俺は安堵の息をいた。


「婚約者と婚姻するのに8年がかりだ」






―――そして現在いま


ずっとこうしたかった。


ずっと欲しかったものが、今ようやくこの腕の中にある。
柔らかく波打つあかい髪に触れたかったし、ガーネットの瞳の輝きを間近に見たかった。こうして―――


リーゼに体を押し戻されようやく、俺はしまった、少しやり過ぎたと思った。


「わか、わかりました、信じましたから……!」


信じる?


そうだった。
リーゼが俺の気持ちを信じられるまで口付けこうしていると、自分で言ったのだった。今思い出した。


「もう、ゆるして………」


こちらを見上げ哀願するその表情はひどく頼りなげで、普段は凛と強気に吊り上がった眉が憐れなまでに下がってしまっている。


熱っぽく上気した頬、涙で潤んだあかい瞳が、やけになまめかしく感じられ、言葉とは別のものを訴えている様に思えてならなかった。


僅かに震える形の良い唇が、しっとりと湿っている。
その理由を、その温度、柔らかさを、たった今、自分自身で確かめたのだと思い至った途端、頭を横殴りにされた様な衝撃が走り―――


生まれて初めて、理性を失うという経験をした。


危なかった。
途中で正気を取り戻したので良かったものの、そうでなければ求婚どころの騒ぎではなかった。


立場上、誘惑のたぐいを受けた経験は数あれど惑わされる事がなかったので自分は理性的な人間なのだと思っていたが、どうも違うらしい。
自分に対する認識を改めなければならない。


ともあれ、俺の「妃になって欲しい」という願いにリーゼは「はい」と答えた。


今頃になって我に返り、俺の腕の中で顔を真っ赤にしてきょろきょろとせわしなく瞳を動かしている我が婚約者殿は、自分が置かれている状況を理解しているのだろうか。


求婚これは「リーゼの気持ちを確かめたい」という俺の単なる我儘に過ぎず、仮にリーゼが否と言った所で逃げ場はもうどこにもない―――逃がすつもりなど、元よりない。


最早リーゼが王太子妃となる事は宮中伯らの賛同を得た決定事項であり、学院の卒業を待たず明日には婚姻だ。
婚礼の準備を終えた王宮内はすでに来年の祝賀式典へ向け動き出しているし、アルヴァハイム侯爵家にも話は通してある。


確約もないままこれまで待ってくれたアルヴァハイム侯ワルテンには感謝してもしきれない。
侯爵夫人は「リーゼちゃんには内緒にするわぁ!きっとびぃーっくりするわよぉ!」などと言っていたが、この様子では本当に何も聞いていないのだろうな。すごい親だ。


いつ明かしてやろうかと思いつつも、この時間が終わるのがどうしても惜しく―――俺は再び、愛しいひとを抱きしめた。









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