乙女ゲームの当て馬悪役令嬢は、王太子殿下の幸せを願います!

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第27話 エリザベータという女⑤

「面倒事に巻き込まれおって。『悪目立ちはするな』といつも言っておるだろう」


冬季休暇を目前に控え、領地から王都の屋敷へとやってきたお父様が挨拶もそこそこに言った言葉に、わたくしは心の中で溜息を吐いた。


帰って早々にこの話をされるという事は、屋敷への道中で先日の件について王宮から知らせがあったのだろう。


「まったく…傷など付いていないだろうな?」
「エリザベータ様はわたくしを庇ってくれたのですわ。怪我なんてしてません!」


お父様はわたくしの身を案じている訳ではない。
『プライセル伯爵令嬢』の身に傷が付いて結婚相手の選択範囲が狭まる事を案じているのだ。


別に珍しい話ではないし、そんなお父様を「冷たい」とも思わない。
貴族であれば当然の事なのだが、むっとしてつい言い返してしまった。


「エリザベータ嬢か……噂通りのじゃじゃ馬らしいな。その辺の令嬢ならば付き合いを改めさせるところだが、アルヴァハイムの息女と繋がりが持てた事は幸運だった。流石は我が娘よ」


口髭を手で整えながらやや満足気なお父様の姿に、苛立ちや反感がおりの様に心の底に溜まっていく。


アリス・アイメルトが〈魔術〉の授業で怪我をしてから、わたくしは気が気ではなかった。


友人達にも話せずにいる中、優しく声をかけてくれたパウリーネ様に、藁にも縋る思いで相談したのだが―――


全てはパウリーネ様が、いや、彼女の父親であるゲゼル子爵が仕組んだ事だったのだ。


アリス・アイメルトは今や王太子妃の最有力候補だ。
『愛し子』である彼女には、「平民」という身分すら不利に働く事はない。


王太子妃の座を狙うゲゼル子爵家にとって、アリスは邪魔な存在だった。


「彼女を排除、もしくは顔に消えない傷でも付けば王太子妃の候補から外れると考えたのでしょうね」


後に全てを説明してくれたウィルフリード様がいつもの優しい笑顔のままそう語るのを聞いて、わたくしは恐ろしさのあまり身震いして―――ちょっと、ほんのちょっとだけだが、アリスに同情した。


結局は企みも失敗に終わり、パウリーネ様はゲゼル子爵共々投獄された。


ゲゼル子爵家は爵位を剥奪され、悪事に加担したパウリーネ様の友人達の家にも相応の処罰が下るらしい。


この件に何も関係のなかったエリザベータ様にまで処罰が下ると聞いた時には必死に反論をしたが、「学院に魔石を持ち込んで〈魔術〉を濫用した事についての責任は免れません」と、ウィルフリード様に笑顔で却下されてしまった。


とは言え、エリザベータ様の「二週間の停学」という処分は、防衛の為であった事、怪我人が出なかった事、ゲゼル子爵令嬢の捕縛に貢献した事、その他諸々が考慮された結果で、ウィルフリード様は「しでかした事に比べれば軽い処分だと思いますけどね」と言っていた。


わたくしがパウリーネ様に相談したその時点で、既に王宮では全ての調べは付いていて、ゲゼル子爵等に対する処罰も決定済みだった。
パウリーネ様がわたくしに罪を着せようと画策した所で手遅れだったのだ。


エリザベータ様はその事も知っていた。
知っていて、来てくれた。


わたくしの事など歯牙にもかけていないのではと思っていたエリザベータ様が、わたくしを「友人」と呼んでくれた。


「単に暴れたかっただけだと思いますよ」とウィルフリード様は言うが、それでもわたくしは嬉しかった。


それはエリザベータ様が侯爵令嬢だからとか、そんな理由ではなくて―――


「王太子殿下と同年という好機を棒に振った時にはどうなることかと思ったが。平民の小娘などに先を越されおって」


お父様の言葉にはっと我に返る。


お父様からは何度となく「王太子殿下とお近付きになる様に」と言われてきた。
クラウス王太子殿下への憧れの気持ちも手伝って「お話だけでも」と機会を伺っていたのだが、威嚇してくるエリザベータ様が怖すぎてついぞそれは叶わなかったのだ。
わたくしの様な令嬢は多いだろう。


「冬季休暇は目の前だろう。夏までには何としてでも良い相手を見つけるのだ。その為ならば新しいドレスでも何でも買ってやる」


縦に巻いた横髪が視界に入って、自分がいつの間にか俯いている事に気が付いた。


普段は領地にいる貴族達もこの時期になると議会の為に王都へと集まり、奉奠祭を終え新年を迎える頃には本格的な社交シーズンが始まる。
そして社交シーズンが終わる初夏の精霊祭までには、わたくしも結婚相手を見つけなければいけない。


「何度も言うがゼッフェルンの小倅との交際は認めんからな」


釘を刺す言葉に、「ロージィ」とわたくしを呼ぶフリッツの笑顔が脳裏に浮かんだ。


フリッツ・フォン・ゼッフェルンは、常にわたくしのダンスのパートナーを務める、ゼッフェルン子爵家の令息だ。


ダンスの教師に才能を見出された時、「悪目立ちする程のダンスなど不要」とお父様に教師を外された時、反発心から夜会という夜会で力一杯のダンスを披露した時―――いつも彼はわたくしの隣にいてくれた。


……彼から「一緒に家を出ようか」と言われた時、わたくしは頷く事が出来なかった。


わたくしは遅くに出来たプライセル伯爵家の一人娘。
夫となる人はいずれプライセル伯爵家を継ぐ事になる。


家を棄てる事も、彼に家を棄てさせる事も、わたくしには出来なかったのだ。


「お前の夫となる者はプライセル伯爵家の名に恥じぬと儂が認めた者でなければならん」


わたくしはずっとこのまま、色んな事を諦めながら生きていくの……?


知らず知らずの内に握りしめていた手は震えていた。


失望、悲嘆、痛み―――心の底に沈んでいく暗い感情はどろどろと絡まって、まるで沼の様だ。


「そんなの……そんなこと、言われなくても………!」


何を言おうとしているのか自分でも分からない、振り絞る様に声を出した時、部屋の外がにわかに騒々しくなった。


「困ります!」といった使用人達の声や足音が徐々に近付いて来たかと思えば、部屋の扉が勢い良く開かれ、現れたのは―――


「おーっほっほっほ!ご機嫌よう!た…ロジーネ様!!」
「エ、エリザベータ様!?」


突然目に飛び込んできたエリザベータ様のあか色に、目がチカチカして何が何だかわからない。
お父様も驚いて椅子から立ち上がったまま、声も出せずに唖然としている。


「エリザベータ様、停学中の筈じゃあ……」


あまりに唐突に現れたエリザベータ様に聞きたい事は色々ある筈なのだが、混乱した頭には何も浮かばない。
やっとの事で出てきた質問に、エリザベータ様は「フッ」と笑った。


「兄の迎えの帰りに丁度この辺を通りかかったので、ちょっと寄ってみたのですわ!」
「えぇっ!?」


そんな、「きちゃった⭐︎」みたいなノリで!?


あと、わたくしの質問に答えてくれてないのでは!?


エリザベータ様は特に悪びれる様子もなく、彼女を止めようとしていた使用人達もどうしたらいいのか分からないまま部屋にも入れずオロオロしている。


「不躾に申し訳ございませんわ。でもどうしてもお祝いを言いたくでぇっ!?」
「この馬鹿者がぁっ!!」


追って現れた男性が、笑顔のまま続けるエリザベータ様の頭に拳骨を落とした。


ひぇっ……わたくしでもお父様に叩かれた事なんてないのに。


エリザベータ様と同じ、燃える様なあかい瞳にあかい短髪、厳しく整った顔立ちに精悍な体つき。
エリザベータ様が男性だったなら、きっとこんな感じなのだろう。


直接お会いした事はないわたくしでも顔は知っている。


カーティス・フォン・アルヴァハイム―――エリザベータ様のお兄様だ。


「いくら友人だからといって、先ぶれも出さず、挙句あげく使用人が止めるのも聞かず家に上がり込むなど、お前は一体何を考えているのだ!」


カーティス様は「いたい…」と頭を押さえるエリザベータ様を怒鳴り付け、そのままの勢いで廊下を振り返った。


「カルラ、お前が付いていながら、何だこの様は!」
「面目次第もございません」


いつの間にか我が家の使用人達と並んで廊下に立っていたエリザベータ様の侍女が、深々と頭を下げる。


「全然悪いと思っていないだろう!お前が即座に謝罪する時は微塵も反省していない時だ!リーゼを止める使用人の足止めをしていたのも俺は見ていたぞ!」


言い終わるやいなや、カーティス様はまた勢い良くこちらに向き直った。


「プライセル伯爵。大変な無礼を働いてしまい申し訳無い。後日改めて謝罪の場を設けさせては頂けないだろうか」
「い、いや、とんでもないです、カーティス卿。アルヴァハイムの御嫡男に、そんな、恐れ多い……」


カーティス様の堂々たる風格に圧倒されて、謝罪されているお父様の方が萎縮してしまっている。


「だからこそです、プライセル伯爵。アルヴァハイム侯爵家の人間が、他家に無礼を働いて謝罪もしないなど末代までの恥!」


「恥!」と言う所でカーティス様はエリザベータ様を鋭く睨み付け、エリザベータ様は同じ勢いでサッと目を逸らした。


「リーゼはご覧の通りの性格で友人も片手で足りる程しかいない!こんな愚妹と親しくしてくれるロジーネ嬢には心より感謝している。どうかこれからも仲良くしてやって欲しい」


カーティス様の朗々とした声に、お父様は「勿論ですとも!」と目を輝かせた。
アルヴァハイム家と繋がりが持てる事が嬉しいのだろう。


しかしカーティス様の次の言葉にお父様は固まった。


「リーゼがこの様な暴挙に至ったのにも理由があるのだ。数少ない友人であるロジーネ嬢の婚約が嬉しくてはしゃぎすぎてしまったのだろう」
「は?婚約?」
「ゼッフェルン子爵家令息のフリッツ殿と婚約が決まったらしいではないか!めでたい事だ!」
「はい!?」


カーティス様は目を丸くして絶句するお父様の様子などお構いなしに怒涛の勢いで続ける。


「彼とは騎士団で何度か顔を合わせた事があるが、小気味の良い男だ!フリッツ殿であれば、プライセル伯爵家も安泰であろう!」
「あ、あの……」
「数いる令息の中から彼を選ぶ卿の慧眼には恐れいった!我がアルヴァハイム侯爵家ともこれまで以上に良い関係を続けられそうだな!」
「………」
「これも後日改めて祝いの品を送らせてもらうが、まずは言わせてくれ。おめでとう!!」
「……ありがとうございます!!」


…本当に、エリザベータ様が男性だったなら、きっとこんな感じなのだろう………


勢いに呑まれたお父様が、とうとうわたくしとフリッツとの婚約を認めてしまった。
侯爵家の方の前での言葉を覆す人ではない。お父様にそんな度胸はない。


わたくしは目の前の出来事を信じられない思いで見つめていた。


「権力はこうやって使うのよ」


いつの間にか隣に立っていたエリザベータ様が不敵に笑った。




「王都に着いた途端にこれだ。リーゼと居ると問題ばかり起こる……早く屋敷に帰って可愛い方の妹に会いたい!フィーに癒されたい!」
「まぁ、お兄様。わたくしが可愛くない方の妹だと仰りたいの?」
「事実だろう!……いだい!!痛い、やめろ!令嬢が人の足を踏むなどはしたないぞ!」
「お兄様が悪いのですわ!」
「今のはカート坊ちゃまが悪いです」
「くそっ!お前ら結託しやがって……覚えていろよ!」


侯爵家らしからぬ騒がしさで、嵐の様に現れた彼等は、また嵐の様に去って行った。


わたくしの心の底に溜まった暗い感情も、いつの間にか嵐に吹き消された様になくなっていた。









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