乙女ゲームの当て馬悪役令嬢は、王太子殿下の幸せを願います!

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第10話 エリザベータという女②

空が高い。
膝の上に広げたお弁当の上にふわりと舞い落ちた銀杏イチョウの葉を指で摘んで地面に落とすと、それは黄色い絨毯の一部になった。


「ちょっと肌寒くなってきたね〜。ねぇアリス。冬になったらお昼はどこで食べるの?まさか雪が降ってもここで食べる気じゃないでしょうね?」


肩口までの若草色の髪を柔らかく揺らしながら冗談めかして言うのは友達のハンナ。
編入したての頃、慣れない学院生活に戸惑うばかりだった私に何かと世話を焼いてくれて、そのまま仲良くなった。
生徒は貴族ばかりで平民に偏見を持つ人も多い中、貴族でありながらもてらいのない彼女にはいつも助けられてる。


「まさか。さすがに食堂で食べようかなって思ってるよ。いつも付き合ってくれてありがとう、ハンナ」
「な〜に言ってるの。アリスに分けてもらうサンドイッチは私のお昼の楽しみなんだから」


そう話して笑い合った。


お昼休みはこうして学院の中庭のベンチに座って2人でお弁当を食べるのが日課だ。
ハンナの言う通りそろそろ外で食べるには寒くなってきたかもなんて考えていた時。


「見つけた、アリス!」


よく知る声に振り向くと、小柄な男子生徒がこちらに駆け寄って来るところだった。


「ヨハン!どうしたの?」


蜜柑色の猫っ毛をなびかせてやって来たのは幼なじみのヨハン。
私と同じ平民だけど、〈火〉の魔術の適性があり、私が『愛し子』―――ふたつ以上の魔術の適性を持つ人をそう呼ぶらしい―――だと分かってこの学院に迎えられた時に、無理を言って一緒に学院に入る事を許してもらった。
ひとつ歳下の彼は、子供の頃から家族同然に育った弟の様な存在だ。


「エリザベータ嬢がアリスを追いかけ回して虐めてるって聞いて心配で……。大丈夫?何か酷い事されてない?」


ヨハンが髪と同じ蜜柑色の瞳を不安げに揺らめかせて言った。


「ダンスの練習に付き合ってもらってるだけよ。エリザベータ様、話してみると優しい方よ」


ヨハンったら、心配性なんだから。


「優しいなんて…アリスは騙されてるんじゃないの?だって、僕聞いたんだ。去年、エリザベータ嬢の不興を買った女生徒が行方不明になったって」
「あ〜それ私も知ってる。その女生徒はエリザベータ様の屋敷の地下に監禁されて、屋敷からは夜な夜な女生徒の悲鳴が…」


ハンナはこういった噂話が大好きで、どこかからか色々な話を聞き集めてくる。


「もう!ハンナまで…。あのねヨハン。私はエリザベータ様には何度も助けられてるわ。母の事で変な噂が立った時もエリザベータ様が否定してくれて収まったんだし、昨日だって―――」




休み時間に中庭の隅でダンスの練習していた時。


教わったステップをひとり黙々と繰り返す私の元に、3人の令嬢達が近付いてきた。
プライセル様達とも違う―――多分別の学級だろう―――知らない顔だった。


貴女あなたね。アイメルトとか言う平民は」
「はい。ご機嫌よう…」


彼女達は、動きを止めて挨拶の礼をする私を値踏みする様な視線でジロリと見た。


「歓迎会でクラウス殿下と踊るんですってね。アイメルトさんはご自分の身の程が分かっていらっしゃらないのかしら」
「平民の分際で王太子殿下と踊るなんて、図々しいと思いませんの?」
「今からでもご辞退なさったら?平民は平民らしく壁際で大人しくなさってたらよろしいのよ」


3人が代わる代わる矢継ぎ早に責め立ててくるが、歓迎会のダンスのパートナーはクラウス殿下からの提案だ。
王太子殿下からのお誘いを『周りの目が痛いので…』なんて理由で断るのは、それこそ平民の私には出来ない。


「辞退なんて…そもそもこれは私の意見で変えられるものではありません」


私の言葉に令嬢達は取り囲む様に迫ってきた。


「口答えだなんて平民の癖に生意気ね!」
「ふふふ。そうね、怪我のひとつでもなされば辞退の理由になるのではないかしら」


じり、と更に距離を詰めてくる。


なに、するつもり?


私が不穏な空気を感じて一歩下がったその時だった。


「おーほっほっほ!皆様そんな所にお集まりになって何をなさってますの?」


今となっては聞き慣れた高笑いと共に現れたのは、若干引きずる様にプライセル様を従えたエリザベータ様だった。


「エ、エリザベータ様…」
「あらご機嫌よう。ゲゼル子爵令嬢にシュタール子爵令嬢、それからシュトラウベ子爵令嬢でしたかしら?」


一人ひとり名指ししていくエリザベータ様に、令嬢達は慌てた様子で私から離れた。


「ご機嫌よう…エリザベータ様にお名前を呼んで頂けて光栄ですわ…」
「ところで」


扇を開いて口元を隠し、令嬢達を横目で見やるエリザベータ様には威圧感がある。
上背がありすらりとしたエリザベータ様は、見た目は派手だが佇まいに気品があり、美しさが却ってその迫力を引き立たせている様で、燃える様なあか色の瞳に射抜かれた令嬢達はビクッと肩を震わせた。


「アリス様に歓迎会のダンスを辞退しろと聞こえたのですが、わたくしの聞き間違いかしら」


令嬢達が再び肩を震わせる。
エリザベータ様の後ろにいるプライセル様も何故か震えてる。


「王室からの命令に異を唱えるなんて…誉高きイドニア王国立魔術学院の生徒に、まさか国家に弓引く言動をする愚か者などいる筈がないですもの、ねぇ?縦ロ…プライセル様?」
「仰る通りですわ、エリザベータ様」


にっこり笑顔でエリザベータ様に同意するプライセル様だけど、まだ少し震えてる。
たまにエリザベータ様はプライセル様の事を「縦ロール」って呼ぶんだけど(髪型の事?)プライセル様はエリザベータ様が怖くて指摘出来ないみたい。


「まさか、わたくし達、その様な事…」
「これからアリス様に用がありますの」


弁明を試みる令嬢達にエリザベータ様はにべもなく、「わたくしは別に用は…」と呟くプライセル様に被せる様に


「そちらのご用は済みましたかしら?でしたら下がってくださる?」


と微笑んだ。
艶やかな笑顔には有無を言わさぬ迫力がある。


「はっはい!」と逃げる様に去って行く令嬢達から私の方に向き直ったエリザベータ様は、畳んだ扇でビシッと私を指した。


「ではさっさと練習を始めるわよ!縦ロール!監督をお願い!」
「ふぁい…」


そうしてこの日も、エリザベータ様をパートナーにダンスの練習が始まったのだった。




「………こんな感じで、最近はダンスの練習でエリザベータ様が一緒にいてくれる事が多いから、むしろ助かってるのよ」
「なるほどね〜。エリザベータ様が怖くて他の令嬢は寄って来ないもんね」


「目には目をってやつね」と納得した風のハンナが続ける。


「クラウス殿下もウィルフリード様もモテるからね〜。そのふたりから魔術の個人指導を受けて、更には歓迎会で殿下のパートナーでしょ。アリスは妬まれてるのよ」


「最近は密かに男子生徒達から『可愛い〜』なんて言われてるし、尚更ね」とハンナは、なぜかヨハンの方を見ながら悪戯っぽく笑った。


「……何かあったらちゃんと僕に言ってよ!?」
「大丈夫だってば。でもありがとうね、ヨハン」


焦った様子のヨハンに私は笑って答える。
本当に心配性ね。


「そういえばエリザベータ様、私のこと『サポートキャラ』とか呼ぶのよね〜。あれなんなの?」


思い出した様にハンナが言うが、
それは私も分からない。


「何だろうね…今度聞いてみる」


見上げた空には白い小石を撒いた様な雲が浮かんでる。


歓迎会は間近だ。









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