転生者たちの就活事情~君、異世界生活で学んだことは?~
第7話 悪役令嬢は自己分析シートで悩む
就職活動のアイテムで、「自己分析シート」なるものがある。
装備品ではないが、就職活動に臨むにあたり、自分を見つめ直し、志望業界を検討するための補助アイテムといったところだろうか。
とりわけ、異世界トリップが一般的になった日本では、異世界での経験をこのシートに落とし込み、進路を検討する若者が多い。
自分は、何が好きか?
厨二っぽい魔術の詠唱が好きだ。
爵位ピラミッドを思い浮かべるのが好きだ。
獣人の奴隷が好きだ。
自分の長所は何か?
誰も思いつかないようなスキルの使い方を閃く発想力がある。
パーティ追放という逆境に耐える忍耐力がある。
自然と大円団ルートに導ける人格者である。
自分の短所は何か?
一体の敵に集中すると周りが見えなくなる。
強すぎて味方の経験値を奪ってしまう。
鈍感で、相手の好意に気がつかない。
過去に一番頑張ったこと何か?
最弱技をひたすら磨き続けて最強にした。
料理で食文化に革命を起こした。
スローライフで夢のような村を作った。
……。
当社スタートイでも、近隣の大学生向きの小規模な会社説明会を開催した際に、学生らに自己分析シートを配布し、その場で記入をしてもらう機会があった。
もちろん、あわよくば見込みのある学生を見つけたいという想いもあったが、基本的には採用の是非には響かないシロモノだ。わたしは、「就職活動のとっかかりにしてくれたらいいよ」、くらいの気持ちで書き方をアドバイスするイベントにすぎない。
だが、ひとり、わたしが面白いと思った女子大学生がいたので、紹介しようと思う。
彼女は大学の大講義室の隅でシャープペンシルを握ったまま石のように固まっていて、アピールのために必死に用紙を書き進める同級生たちの中で逆に目立ってしまっていたのだ。
「難しい?」
わたしが話しかけると、彼女はビクッと全身を震わせた。おいおい、わたしは魔王じゃないよと言いたくなるが、初対面で異世界ジョークが通じる雰囲気の子ではなさそうなので、言葉を飲み込んでおいた。
「後で、個別に相談に乗ることもできるけど、どうかな」
「お……、お願いします。私、自分がよく分からなくて……」
わたしの耳は、自信なさげな小さな声をかろうじて聞き取ることに成功し、彼女──奈々山いろはと個別に面談することを約束した。
珍しいなぁ。異世界で自分に酔いしれて還ってくる子が多いご時世なのに。
***
●奈々山いろは(21)
「奈々山いろはと申します。私は、去年の春に乙女ゲームの世界にトリップして、悪役令嬢を経験しました」
奈々山いろはは、ぽっちゃりとした体型をした、真面目で大人しそうな子だった。どちらかというと地味な顔の部類で、世間の美人でスレンダーな悪役令嬢のイメージとは真逆だ。
わたしが「面接じゃないから、気楽に話そう」と言うと、ホッと表情を緩めたその顔は、愛嬌があるという表現が一番似合う気がした。
「へぇ、乙女ゲームの世界ね。奈々山さんは、乙女ゲームは好きだったの?」
まずは、取っ付きやすい「好きなこと」からシートを埋めてみる。
わたしの経験では、異世界トリップ者の七割は、その人が好むジャンルの異世界にトリップする。現実逃避の心が異世界を引き寄せるのか、あるいは神様の親切心なのかは分からない。
例えば、恋愛小説好きには恋愛小説の世界、ゲーム好きにはゲームの世界、特に希望も抵抗もなければ王道へ。剣と魔法の世界にようこそだ!
「うそ? このイベントって、あのイベントじゃない?」
「まるであのゲームと同じだが、この痛みはホンモノだ!」
「これって、剣と魔法の世界ってヤツじゃないか?」
そんな台詞は耳が腐り落ちそうになるほど聞いてきた。
ちなみに残りの三割は、「親友や家族が熱く語っていたけれど、聞き流していた話に出てきた乙女ゲームもしくは小説」の異世界だ。
「この後どうなるんだ?あいつの話をちゃんと聞いておけばよかった……」
という台詞も、わたしの耳を腐らせている。
申し訳ない。話の腰を折ってしまった。
つまりは、乙女ゲームの異世界にトリップした奈々山も、乙女ゲームが好きなのだろうと思った次第。
そして、わたしの推測は正しく、彼女は控えめに頷いた。
「はい。乙女ゲームは大好きです。スタートイさんから発売されているものも、全てプレイしていて、私がトリップしたのも『クレセント・ラバーズ』の世界だったんです」
「そうですか、それは光栄ですね! あれはなかなかの人気作ですから。たしか、『クレラバ』の悪役令嬢は、ジュディアラでしたね。ヒロインに毒を盛ったり、暗殺者を差し向けたり、戦争を起こしたり……、なかなか過激な令嬢で、最後どのルートでも処刑されちゃうけど」
「はい、そうなんです! もしかして、プレイされたんですか?」
同志を見つけたと言わんばかりに目を輝かす奈々山を見て、わたしはプレイしておいて良かったと安堵した。
トリップ先になりそうな良作、あるいはクソゲーは一通りプレイしておくのがわたしの主義──、というか、ゲームの流れやキャラクターの名前を知っていると、面接時の混乱を軽減できるのだ。
あとは、単純に日本のゲームは緻密で面白い。とくに、贔屓なしに当社のゲームは本当によく出来ていて、今話に出た「クレセント・ラバーズ」という乙女ゲームもロングヒット商品だ。
“異世界トリップを超えるゲーム”作りがモットーの当社の商品は、シナリオ、音楽、グラフィックその他全てにおいてSSSランクと断言できる。
「一応、全ルート楽しんだよ。シナリオが秀逸だったよね。奈々山さんは悪役令嬢ジュディアラとしての異世界トリップは、楽しめた?」
もちろん、奈々山が悪役令嬢としてヒロインを虐め抜いたとは思っていない。そんなことができる子ではないの判断したうえで、断罪ルート回避を大前提としている質問だ。
「……はい。せっかく美人に生まれ変われたんだし、意地悪なんてせずに楽しく生きなきゃって思って。周りみんなとの関係を円滑にすることに努めたんです。ヒロインや弟、使用人に、ヒーローたち……。私の婚約者である王子が、ヒロインを好いていると分かってからは、二人の仲を取り持ってみたり。戦争を止めさせて、隣国への外交官を務めたり」
「おぉ~。立派じゃないですか!」
わたしの好きな「王子闇堕ちルート」は消滅していそうだけど、なかなか模範的な異世界トリップじゃないか。
彼女の異世界トリップは、容姿が変わるパターンだ。日本での生活がパッとしなかった者に多いケースなのだが、元の数万倍美人になったり、ショタ化やロリ化をしたり、あるいは赤ん坊や性転換したりする。
わたしは、日本人の塩顔とか醤油顔が好きなんだけど、みんな変身願望が強いんだよね。そりゃ、どうせ人生リセットするなら美形がいいんだろうけど。
「ありがとうございます。私、初めて恋人もできたんです。隣国の皇子は、信じられないくらい愛してもらって……」
溺愛。溺愛だ。
ゲームは全年齢仕様だったが、この子の場合はそうじゃない。セクハラになるから口にはしないが。
「そう。それは良かった。良好な人間関係を築いたことや、新しい環境に適応できたことって、君の長所なんじゃない? 会社でも役に立つ能力だと思うけど」
安易とは分かっていたが、わたしは無難な意見を述べてみた。あくまでもアドバイスであって、考えるきっかけになればと思ったのだ。
だが、奈々山は曇った顔で俯いてしまった。そして、歯切れ悪く「でも……。だけど……」と、小声で繰り返す。
そういえば、異世界で何をしたかを話していた時も、あまり堂々とはしていなかった気がする。ゲームの話のテンションと比べると、えらく縮こまってしまっているのだ。
美人に生まれ変わって、皇子に溺愛されて、うはうは……ってわけではなかったのかな?
「大丈夫。ゆっくりでいいから、奈々山さんの思っていることを教えて」
「……はい。えっと……、私……、うぅ……。異世界でみんなから愛されて、毎日楽しかったはずなのに、すごく苦しくて……」
「どういうことが苦しかったの?」
「……ジュディアラでいることが苦しかった、です」
奈々山は、目を潤ませて吐き出す。
「私は、自分のバッドエンドを回避しようと、人にたくさん気を遣いました。優しくして、可愛くして、笑顔を絶やさないようにして、誰からも好かれるジュディアラを演じ続けたんです……。その結果は、ハッピーエンドだったのかもしれません。アラン……、恋人の皇子とも両想いになれましたから」
「………」
「でも、私はいつも不安でした。もし、私が平凡な女子大生の“奈々山いろは”だったら、アランもみんなも、私を愛してくれないんじゃないか、何の努力もせずに手に入れたジュディアラの綺麗な顔や声、私が作った喋り方や仕草がなければ、誰も振り向いてくれないんじゃないかって……。可笑しいですよね。こんな平凡な私が贅沢言うなって感じですよね」
奈々山は異世界での生活を思い出したのか、柔らかいお肉のついた手の甲で涙を拭う。
その様子を、わたしは黙って見守りながら、思考をまとめていった。
多分、おそらく、きっと……。
スキルを使って彼女の本音を聞き出すことは簡単だが、人の心に寄り添いたい時は別なのだ。わたしは、わたしなりに考えて答えを導く。
あぁ、そうか。この子は異世界で新しい自分──ジュディアラになろうと頑張ったんだ。でも、迷って、悩んで、なりきれなかったんだ。
異世界にトリップした奈々山のなかには、ジュディアラとして生きていかねばならないという意識はあっても、それを完全に受け入れることができなかったのだろう。その結果、「みんなから好かれるジュディアラを演じる」という行為を生み、彼女自身を追い詰めていったのだ。
「奈々山さんは、“奈々山いろは”という人間を大切に思っているんだよ。異世界に行ったからといって、簡単に手放せないと──、そう思っていたんじゃない?」
「こんな、地味で何の取り柄もないのに?」
「きっと、君の生きてきた二十一年間は、そんな言葉だけで片付けられるものじゃないんだよ。“奈々山いろは”の人生は、悪役令嬢ジュディアラの人生よりも尊かった。君は、異世界でそれを知ったんだ!」
奈々山は息をのむ。彼女自身が認めてはいけないと思い込んでいた一つの答えに。
「そう……、そうかもしれません。あぁ……、悔しいなぁ……。あんなに憧れてた『クレセント・ラバーズ』の世界だったのに。せっかくの異世界トリップのチャンスを、自分可愛さで無駄にしちゃったんですよね? 私」
自嘲気味に笑う奈々山は、自己分析シートの「好きなもの」という項目に目を落として唇を噛む。
「無駄じゃないですよ、奈々山さん。異世界トリップで得るものは、その異世界での幸せや栄光だけである必要はない。元の世界の尊さや、自分の価値を見出すことにも、大きな意義があるんだ。それに──」
わたしは、言いかけて言葉を引っ込めた。
アラン皇子を好きになったのは、紛れもなく奈々山さん自身で、その気持ちも、彼の前での笑顔も本物。きっと、アラン皇子は作られたジュディアラではなくて、君から垣間見える“奈々山いろは”に惚れたんだ。もし、彼が今の君を見かけたとしたら、きっと気づいてくれる──。
キザすぎる。そんな恥ずかしいこと、言えない。
言わなくても、奈々山さんなら分かるはずだ。
「わたしが知っている就活生も『クレセント・ラバーズ』のジュディアラに転生しましたが、その人はなかなか過激な処刑を受けたそうですから、奈々山さんは自信を持っていいと思いますよ」
代わりにわたしはそう付け加え、にこりと微笑んだ。
どうか、自分らしさを大切にしてね。奈々山さん。次は、面接室で会えたら嬉しいな。
***
数ヶ月後、わたしは例の大学の前を通った際、見覚えのある男女カップルを発見した。
「なぁなぁ、愛しの子猫ちゃん? 日本文化学のレジュメ、俺様に写させてくれよ」
「きゃっ! 変なとこ触らないで! 写すのはダメだけど、教えてあげるから自習室へGOよ!」
パッとみは、イケメン留学生と地味な女子大生のイチャイチャバカップル。だが、二人が「イロハ」、「アラン」と呼び合っている様子は、目障りどころか、微笑ましくて笑えてくる。
異世界の神様って、優しいんだなぁ。
そして、ふと、奈々山の言葉が耳に飛び込んでくる。
「アラン、院試の勉強付き合ってね!」
残念。まだスタートイを受ける気はないらしい。
装備品ではないが、就職活動に臨むにあたり、自分を見つめ直し、志望業界を検討するための補助アイテムといったところだろうか。
とりわけ、異世界トリップが一般的になった日本では、異世界での経験をこのシートに落とし込み、進路を検討する若者が多い。
自分は、何が好きか?
厨二っぽい魔術の詠唱が好きだ。
爵位ピラミッドを思い浮かべるのが好きだ。
獣人の奴隷が好きだ。
自分の長所は何か?
誰も思いつかないようなスキルの使い方を閃く発想力がある。
パーティ追放という逆境に耐える忍耐力がある。
自然と大円団ルートに導ける人格者である。
自分の短所は何か?
一体の敵に集中すると周りが見えなくなる。
強すぎて味方の経験値を奪ってしまう。
鈍感で、相手の好意に気がつかない。
過去に一番頑張ったこと何か?
最弱技をひたすら磨き続けて最強にした。
料理で食文化に革命を起こした。
スローライフで夢のような村を作った。
……。
当社スタートイでも、近隣の大学生向きの小規模な会社説明会を開催した際に、学生らに自己分析シートを配布し、その場で記入をしてもらう機会があった。
もちろん、あわよくば見込みのある学生を見つけたいという想いもあったが、基本的には採用の是非には響かないシロモノだ。わたしは、「就職活動のとっかかりにしてくれたらいいよ」、くらいの気持ちで書き方をアドバイスするイベントにすぎない。
だが、ひとり、わたしが面白いと思った女子大学生がいたので、紹介しようと思う。
彼女は大学の大講義室の隅でシャープペンシルを握ったまま石のように固まっていて、アピールのために必死に用紙を書き進める同級生たちの中で逆に目立ってしまっていたのだ。
「難しい?」
わたしが話しかけると、彼女はビクッと全身を震わせた。おいおい、わたしは魔王じゃないよと言いたくなるが、初対面で異世界ジョークが通じる雰囲気の子ではなさそうなので、言葉を飲み込んでおいた。
「後で、個別に相談に乗ることもできるけど、どうかな」
「お……、お願いします。私、自分がよく分からなくて……」
わたしの耳は、自信なさげな小さな声をかろうじて聞き取ることに成功し、彼女──奈々山いろはと個別に面談することを約束した。
珍しいなぁ。異世界で自分に酔いしれて還ってくる子が多いご時世なのに。
***
●奈々山いろは(21)
「奈々山いろはと申します。私は、去年の春に乙女ゲームの世界にトリップして、悪役令嬢を経験しました」
奈々山いろはは、ぽっちゃりとした体型をした、真面目で大人しそうな子だった。どちらかというと地味な顔の部類で、世間の美人でスレンダーな悪役令嬢のイメージとは真逆だ。
わたしが「面接じゃないから、気楽に話そう」と言うと、ホッと表情を緩めたその顔は、愛嬌があるという表現が一番似合う気がした。
「へぇ、乙女ゲームの世界ね。奈々山さんは、乙女ゲームは好きだったの?」
まずは、取っ付きやすい「好きなこと」からシートを埋めてみる。
わたしの経験では、異世界トリップ者の七割は、その人が好むジャンルの異世界にトリップする。現実逃避の心が異世界を引き寄せるのか、あるいは神様の親切心なのかは分からない。
例えば、恋愛小説好きには恋愛小説の世界、ゲーム好きにはゲームの世界、特に希望も抵抗もなければ王道へ。剣と魔法の世界にようこそだ!
「うそ? このイベントって、あのイベントじゃない?」
「まるであのゲームと同じだが、この痛みはホンモノだ!」
「これって、剣と魔法の世界ってヤツじゃないか?」
そんな台詞は耳が腐り落ちそうになるほど聞いてきた。
ちなみに残りの三割は、「親友や家族が熱く語っていたけれど、聞き流していた話に出てきた乙女ゲームもしくは小説」の異世界だ。
「この後どうなるんだ?あいつの話をちゃんと聞いておけばよかった……」
という台詞も、わたしの耳を腐らせている。
申し訳ない。話の腰を折ってしまった。
つまりは、乙女ゲームの異世界にトリップした奈々山も、乙女ゲームが好きなのだろうと思った次第。
そして、わたしの推測は正しく、彼女は控えめに頷いた。
「はい。乙女ゲームは大好きです。スタートイさんから発売されているものも、全てプレイしていて、私がトリップしたのも『クレセント・ラバーズ』の世界だったんです」
「そうですか、それは光栄ですね! あれはなかなかの人気作ですから。たしか、『クレラバ』の悪役令嬢は、ジュディアラでしたね。ヒロインに毒を盛ったり、暗殺者を差し向けたり、戦争を起こしたり……、なかなか過激な令嬢で、最後どのルートでも処刑されちゃうけど」
「はい、そうなんです! もしかして、プレイされたんですか?」
同志を見つけたと言わんばかりに目を輝かす奈々山を見て、わたしはプレイしておいて良かったと安堵した。
トリップ先になりそうな良作、あるいはクソゲーは一通りプレイしておくのがわたしの主義──、というか、ゲームの流れやキャラクターの名前を知っていると、面接時の混乱を軽減できるのだ。
あとは、単純に日本のゲームは緻密で面白い。とくに、贔屓なしに当社のゲームは本当によく出来ていて、今話に出た「クレセント・ラバーズ」という乙女ゲームもロングヒット商品だ。
“異世界トリップを超えるゲーム”作りがモットーの当社の商品は、シナリオ、音楽、グラフィックその他全てにおいてSSSランクと断言できる。
「一応、全ルート楽しんだよ。シナリオが秀逸だったよね。奈々山さんは悪役令嬢ジュディアラとしての異世界トリップは、楽しめた?」
もちろん、奈々山が悪役令嬢としてヒロインを虐め抜いたとは思っていない。そんなことができる子ではないの判断したうえで、断罪ルート回避を大前提としている質問だ。
「……はい。せっかく美人に生まれ変われたんだし、意地悪なんてせずに楽しく生きなきゃって思って。周りみんなとの関係を円滑にすることに努めたんです。ヒロインや弟、使用人に、ヒーローたち……。私の婚約者である王子が、ヒロインを好いていると分かってからは、二人の仲を取り持ってみたり。戦争を止めさせて、隣国への外交官を務めたり」
「おぉ~。立派じゃないですか!」
わたしの好きな「王子闇堕ちルート」は消滅していそうだけど、なかなか模範的な異世界トリップじゃないか。
彼女の異世界トリップは、容姿が変わるパターンだ。日本での生活がパッとしなかった者に多いケースなのだが、元の数万倍美人になったり、ショタ化やロリ化をしたり、あるいは赤ん坊や性転換したりする。
わたしは、日本人の塩顔とか醤油顔が好きなんだけど、みんな変身願望が強いんだよね。そりゃ、どうせ人生リセットするなら美形がいいんだろうけど。
「ありがとうございます。私、初めて恋人もできたんです。隣国の皇子は、信じられないくらい愛してもらって……」
溺愛。溺愛だ。
ゲームは全年齢仕様だったが、この子の場合はそうじゃない。セクハラになるから口にはしないが。
「そう。それは良かった。良好な人間関係を築いたことや、新しい環境に適応できたことって、君の長所なんじゃない? 会社でも役に立つ能力だと思うけど」
安易とは分かっていたが、わたしは無難な意見を述べてみた。あくまでもアドバイスであって、考えるきっかけになればと思ったのだ。
だが、奈々山は曇った顔で俯いてしまった。そして、歯切れ悪く「でも……。だけど……」と、小声で繰り返す。
そういえば、異世界で何をしたかを話していた時も、あまり堂々とはしていなかった気がする。ゲームの話のテンションと比べると、えらく縮こまってしまっているのだ。
美人に生まれ変わって、皇子に溺愛されて、うはうは……ってわけではなかったのかな?
「大丈夫。ゆっくりでいいから、奈々山さんの思っていることを教えて」
「……はい。えっと……、私……、うぅ……。異世界でみんなから愛されて、毎日楽しかったはずなのに、すごく苦しくて……」
「どういうことが苦しかったの?」
「……ジュディアラでいることが苦しかった、です」
奈々山は、目を潤ませて吐き出す。
「私は、自分のバッドエンドを回避しようと、人にたくさん気を遣いました。優しくして、可愛くして、笑顔を絶やさないようにして、誰からも好かれるジュディアラを演じ続けたんです……。その結果は、ハッピーエンドだったのかもしれません。アラン……、恋人の皇子とも両想いになれましたから」
「………」
「でも、私はいつも不安でした。もし、私が平凡な女子大生の“奈々山いろは”だったら、アランもみんなも、私を愛してくれないんじゃないか、何の努力もせずに手に入れたジュディアラの綺麗な顔や声、私が作った喋り方や仕草がなければ、誰も振り向いてくれないんじゃないかって……。可笑しいですよね。こんな平凡な私が贅沢言うなって感じですよね」
奈々山は異世界での生活を思い出したのか、柔らかいお肉のついた手の甲で涙を拭う。
その様子を、わたしは黙って見守りながら、思考をまとめていった。
多分、おそらく、きっと……。
スキルを使って彼女の本音を聞き出すことは簡単だが、人の心に寄り添いたい時は別なのだ。わたしは、わたしなりに考えて答えを導く。
あぁ、そうか。この子は異世界で新しい自分──ジュディアラになろうと頑張ったんだ。でも、迷って、悩んで、なりきれなかったんだ。
異世界にトリップした奈々山のなかには、ジュディアラとして生きていかねばならないという意識はあっても、それを完全に受け入れることができなかったのだろう。その結果、「みんなから好かれるジュディアラを演じる」という行為を生み、彼女自身を追い詰めていったのだ。
「奈々山さんは、“奈々山いろは”という人間を大切に思っているんだよ。異世界に行ったからといって、簡単に手放せないと──、そう思っていたんじゃない?」
「こんな、地味で何の取り柄もないのに?」
「きっと、君の生きてきた二十一年間は、そんな言葉だけで片付けられるものじゃないんだよ。“奈々山いろは”の人生は、悪役令嬢ジュディアラの人生よりも尊かった。君は、異世界でそれを知ったんだ!」
奈々山は息をのむ。彼女自身が認めてはいけないと思い込んでいた一つの答えに。
「そう……、そうかもしれません。あぁ……、悔しいなぁ……。あんなに憧れてた『クレセント・ラバーズ』の世界だったのに。せっかくの異世界トリップのチャンスを、自分可愛さで無駄にしちゃったんですよね? 私」
自嘲気味に笑う奈々山は、自己分析シートの「好きなもの」という項目に目を落として唇を噛む。
「無駄じゃないですよ、奈々山さん。異世界トリップで得るものは、その異世界での幸せや栄光だけである必要はない。元の世界の尊さや、自分の価値を見出すことにも、大きな意義があるんだ。それに──」
わたしは、言いかけて言葉を引っ込めた。
アラン皇子を好きになったのは、紛れもなく奈々山さん自身で、その気持ちも、彼の前での笑顔も本物。きっと、アラン皇子は作られたジュディアラではなくて、君から垣間見える“奈々山いろは”に惚れたんだ。もし、彼が今の君を見かけたとしたら、きっと気づいてくれる──。
キザすぎる。そんな恥ずかしいこと、言えない。
言わなくても、奈々山さんなら分かるはずだ。
「わたしが知っている就活生も『クレセント・ラバーズ』のジュディアラに転生しましたが、その人はなかなか過激な処刑を受けたそうですから、奈々山さんは自信を持っていいと思いますよ」
代わりにわたしはそう付け加え、にこりと微笑んだ。
どうか、自分らしさを大切にしてね。奈々山さん。次は、面接室で会えたら嬉しいな。
***
数ヶ月後、わたしは例の大学の前を通った際、見覚えのある男女カップルを発見した。
「なぁなぁ、愛しの子猫ちゃん? 日本文化学のレジュメ、俺様に写させてくれよ」
「きゃっ! 変なとこ触らないで! 写すのはダメだけど、教えてあげるから自習室へGOよ!」
パッとみは、イケメン留学生と地味な女子大生のイチャイチャバカップル。だが、二人が「イロハ」、「アラン」と呼び合っている様子は、目障りどころか、微笑ましくて笑えてくる。
異世界の神様って、優しいんだなぁ。
そして、ふと、奈々山の言葉が耳に飛び込んでくる。
「アラン、院試の勉強付き合ってね!」
残念。まだスタートイを受ける気はないらしい。
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