おとぎの店の白雪姫【新装版】
第18話 乙葉さんのマタニティランチ
「こんにちは。また来ちゃいました」
カラッと晴れた青空の日に、亀山乙葉さんはやって来た。
「わぁ! いらっしゃいませ!」
ましろは、大喜びで乙葉さんに駆け寄ると、窓際の二人席を案内した。
「乙葉さん、来てくれてありがとう!」
「うふふ。産休中だから、時間はたっぷりあるんだよ」
「それはそれで、髪の毛切ってもらえないから残念」
常連客の乙葉さんは、おとぎ商店街にある美容院、《SEA  CASTLE》の若い美容師さん。ましろが髪をカットしに行った時に、好きなアイドルの話で仲良なって以来、週に三回は《りんごの木》に来てくれる。なんだか歳の離れたお姉さんみたいで、ましろは乙葉さんのことが大好きだ。
そして、何より、乙葉さんのぽっこりと大きなお腹をなでなでさせてもらうことが大好きだ。そう。乙葉さんは妊婦さんなのだ。
「なんか、とっても大きくなってない?」
「うん。ましろちゃんが来てくれた時と比べたら、七百グラムくらい大きくなったかな。ラストスパートだね」
乙葉さんは、「よっこいしょ」と、重たそうにイスに腰かけると、愛おしそうにおなかをなでた。
「もうすぐ産まれるの?」
「予定日は二週間後だけど、臨月だからねぇ。いつ赤ちゃんが生まれてもいいように、あたしは、今しかできないことをしてるんだ」
「そうよ~。マタニティライフを楽しんでおかないと、後悔するんだから」
乙葉さんとおしゃべりしていたましろの代わりに、恩田さんがお水とお手拭きを持って来てくれた。
今日は日曜日だけれど、アリス君が「どうしても食べに行きたい限定パフェがあるんです!」と、恩田さんに頼んで、アルバイトを代わってもらったらしい。
そんなにどうしても食べたくなるパフェなら、ましろだって食べてみたい。けれど、「ましろちゃんと同じシフトって、なかなかないから嬉しいわ」なんて、恩田さんに言われたら、やる気が出てしまうではないか。
「マタニティライフって、何?」
ましろは、恩田さんに尋ねた。
「妊婦生活ね。妊婦さんは体を大切にしながら、おなかの赤ちゃんを育てていくの。どんどんおなかが大きくなって大変だけど、赤ちゃんグッズをそろえたり、名前を考えたり、楽しいことがたくさんあるわ」
「おいしいランチを食べに来ることもね」
恩田さんの説明に、乙葉さんが付け加えた。恩田さんも「そうそう」と、力強くうなずいている。
「赤ちゃんが産まれるのは楽しみだけど、しばらくは、ひとりでぶらっとランチなんて無理ですよね?」
「誰かに協力してもらえば、できないこともないけど。授乳時間に縛られるから、のびのびはしづらいわね。赤ちゃんとは一心同体と思っておいた方がいいわ」
「恩田さんが言うと、説得力がありますねぇ」
ましろには弟も妹もいないので、二人の会話を聞きながら、赤ちゃんがいる生活を想像することしかできない。多分、ベビーカーでお店に入りにくいとか、赤ちゃんが泣いたら周りに迷惑がかかるとか、色々ネックになることも多いのかもしれない。
「でも、そういうのって、お店の人が協力したら、何とかならないのかなぁ」
「ましろちゃん、何かいい案を考えてくれるの? 嬉しいなぁ」
乙葉さんはにこにこ笑いながら、ましろの頭を撫でてくれた。けれど、子ども扱いされている感じがして少しムッとしてしまう。
「乙葉さんが、気軽に赤ちゃんと来れるようにするから! 絶対!」
「うんうん、ありがとう。楽しみにしてる」
そして、乙葉さんはメニューをパラパラとめくる。
ランチメニューは、その日ごとに変わる。いい野菜が手に入れば野菜をメインに、いいお肉が手に入ればお肉をメインに、りんごおじさんが朝からメニューを考える。
そして今日は、おいしいカツオを魚屋さんで買えたので、オススメはカツオ漬け丼──、【浦島太郎の漁師飯】だ。
「これ、わたしも試食したよ! タレがね、ショウガとニンニクがきいてて、すっごくおいしいの!」
「うぅぅーん! 食べたい! でも、ダメ!」
ましろが勧めたけれど、乙葉さんは悔しそうに首を横に振った。
「食べたいなら、食べたらいいのに。どうして?」
ニンニクのにおいのせいかな、と思ったましろだったが、答えは恩田さんが教えてくれた。
「生ものを食べたらダメのよ。食中毒のリスクを避けるためにね。妊婦さんって、免疫力が低くなってるから、普通の人より注意しないといけないの」
「そうなんだ! たしかに、おなか壊したらしんどいよね」
「そうよ。赤ちゃんも守らないといけない。でも、めったな薬は飲めないから困るのよ」
「お薬もダメなの⁈」
「大丈夫なものもあるけど、基本的にはね」
ましろは「へぇ!」と感心した。なんだか、とても賢くなった気分だ。
「だから、あたし、我慢してるんだよ。大好きなお刺身も、卵かけご飯も、明太子も、レアな焼き加減のお肉も。本当は、かなり食べたいけど!」
乙葉さんは、うなりながらメニュー表を指差している。海鮮丼、明太子カルボナーラ、ローストビーフ丼……。ましろは、人気メニューのほとんどがダメということに驚いた。
「世の中、生ものが多いんだね。妊婦さんって、いっぱい我慢してるんだね」
「私は予定日の前日に、すき焼きを食べたの。その時、生卵を食べて、おなかを壊したから、最後まで油断しないことをオススメするわ。陣痛にプラスしての腹痛は、しんどいのよ~」
恩田さんの体験談に、ましろと乙葉さんはギョッとした。きっと、それは想像を絶するしんどさに違いない。
「食べちゃダメじゃん!」
「ほんと、うっかりなのよ。一人目の時、親が私を応援するために、大好物のすき焼きを用意してくれたのが、嬉しくてね~」
恩田さんは、懐かしそうに笑い飛ばすと、「乙葉ちゃん、要注意だからね」と念を押した。
「はい。気をつけます。赤ちゃんのための食事制限なら、耐えますよ! 産んだ後に食べる浦島太郎メシは、きっと世界一おいしいだろうし!」
「なら、今日はひとまず、カツオに火を通したメニューにされますか?」
さらりと話に加わって来たのは、りんごおじさん。前の組のお客さんが帰ったので、キッチンが落ち着いたらしい。メガネを布でキュッキュッと磨きながら現れた。
「えっ! メニューに載ってないのに、いいんですか⁈」
「もちろんですよ。僕も、いいカツオを食べていただきたいですし。ガーリックバターしょうゆで、ステーキなんていかがですか?」
ガリバタしょうゆ!
ましろは、心の中でゴクリとのどを鳴らした。
なんて魅力的な響き!
「おいしそう! それをお願いします!」
乙葉さんもそう思ったのか、うっとりとした表情をしている。りんごおじさんのファインプレー様々だ。
「では、用意してきますね。お刺身は、無事に出産が終わったら、ぜひ」
りんごおじさんは、そう言うと再びキッチンに戻って行った。
***
料理を待っている間、ましろは他のお客さんがいないのをいいことに、乙葉さんにヘアアレンジをしてもらっていた。道具がないので、凝ったことはできないはずなのに、ましろの髪は、あっという間にゆるふわの三つ編みに変身していく。さすがは美容師さんだ。
「すごーい! かわいい髪型だ! ありがとう!」
「うふふ。似合ってるよ! ましろちゃんの髪は、ふわふわで楽しいな」
はしゃぐましろをみて、乙葉さんも満足そうにうなずいている。
「赤ちゃんは、女の子だったよね? 髪が伸びたら、結ってあげられるね」
「そうだねぇ。かわいいヘアゴムとかリボンで、いろいろしてあげたいなぁ」
幸せそうに思いを巡らす乙葉さんのそばにいると、こちらまで幸せな気持ちになる。
早く、乙葉さんの赤ちゃんに会いたいなぁ。
そして、赤ちゃんの名前やグッズの話をしているうちに、ランチが運ばれて来た。
「お待たせしました。【浦島太郎の漁師飯~ガリバタしょうゆ味】です」
「きゃ~っ! おいしそう!」
朝に予定していたメニューとは違うけれど、とんでもなく胃袋を刺激する香りを放つカツオのステーキに、乙葉さんは手を叩いて喜んでいた。
「しっかり焼いてるから安心してくださいって、店長が言ってたわよ」
恩田さんは、いつの間にか、ご飯とおみそ汁をテーブルに並べ終えていた。さすがベテランのパートさん。手際が良い。
見習わなくちゃいけないなぁ。
「ふふふ。あんまりじぃーっと見られると、恥ずかしいわよ」
「あっ! ごめんなさい!」
つい、恩田さんの動きに見入ってしまい、笑われたことが恥ずかしくなったましろは、そそくさとお店の奥に引っこんだ。
すると、そのタイミングでりんごおじさんに手招きされた。
「ましろさん。さっき、乙葉さんが赤ちゃんとお店に来やすくなる方法を考える、と話していましたね?」
「うん! そうそう! でも、なかなか思いつかなくて」
りんごおじさんは、何かいい案があるのかなと、ましろは前のめりになった。
ところが、りんごおじさんは、「僕もなんです」と、首をひねっていた。ましろは思わず拍子抜けだ。
「ファミリーレストランを名乗っているからには、赤ちゃんとお母さんにも楽しんでもらえるお店にしたい……。前から、そう考えてはいたんですけど」
赤ちゃんと接する機会が少ないと、なかなかピンとくるアイディアが出て来ないのは、ましろと同じらしい。
「りんごおじさんがそのつもりなら、本気でやってみようよ! いっしょに勉強して、たくさんのお母さんたちから、話を聞いてみようよ!」
「そうですね。やってみましょう!」
今回ばかりは頼りになるかは分からないけれど、りんごおじさんがいっしょに考えてくれるのは、とてもうれしかった。ましろは、なんだか使命を帯びたようで、気合いが入る。
「じゃあ、まずは恩田プロとアリス君にも聞いてみないとね!」
「案外、アリス君からいい意見が出るかもしれませんよ。旅館でも、色々な工夫をしているでしょうから」
「お客さんにアンケートを取ってみるのは?」
「いいですね!」
りんごおじさんと話していると、時々、まるで友達といるような気分になる。父親ではないからかもしれないけれど、こういうのは嫌いじゃない。りんごおじさんは、いつだってましろと同じ目線で、真剣に話してくれるのだ。
その時だった。
「ひゃっ!」
お店のトイレから、乙葉さんの短い悲鳴が聞こえたのだ。
カラッと晴れた青空の日に、亀山乙葉さんはやって来た。
「わぁ! いらっしゃいませ!」
ましろは、大喜びで乙葉さんに駆け寄ると、窓際の二人席を案内した。
「乙葉さん、来てくれてありがとう!」
「うふふ。産休中だから、時間はたっぷりあるんだよ」
「それはそれで、髪の毛切ってもらえないから残念」
常連客の乙葉さんは、おとぎ商店街にある美容院、《SEA  CASTLE》の若い美容師さん。ましろが髪をカットしに行った時に、好きなアイドルの話で仲良なって以来、週に三回は《りんごの木》に来てくれる。なんだか歳の離れたお姉さんみたいで、ましろは乙葉さんのことが大好きだ。
そして、何より、乙葉さんのぽっこりと大きなお腹をなでなでさせてもらうことが大好きだ。そう。乙葉さんは妊婦さんなのだ。
「なんか、とっても大きくなってない?」
「うん。ましろちゃんが来てくれた時と比べたら、七百グラムくらい大きくなったかな。ラストスパートだね」
乙葉さんは、「よっこいしょ」と、重たそうにイスに腰かけると、愛おしそうにおなかをなでた。
「もうすぐ産まれるの?」
「予定日は二週間後だけど、臨月だからねぇ。いつ赤ちゃんが生まれてもいいように、あたしは、今しかできないことをしてるんだ」
「そうよ~。マタニティライフを楽しんでおかないと、後悔するんだから」
乙葉さんとおしゃべりしていたましろの代わりに、恩田さんがお水とお手拭きを持って来てくれた。
今日は日曜日だけれど、アリス君が「どうしても食べに行きたい限定パフェがあるんです!」と、恩田さんに頼んで、アルバイトを代わってもらったらしい。
そんなにどうしても食べたくなるパフェなら、ましろだって食べてみたい。けれど、「ましろちゃんと同じシフトって、なかなかないから嬉しいわ」なんて、恩田さんに言われたら、やる気が出てしまうではないか。
「マタニティライフって、何?」
ましろは、恩田さんに尋ねた。
「妊婦生活ね。妊婦さんは体を大切にしながら、おなかの赤ちゃんを育てていくの。どんどんおなかが大きくなって大変だけど、赤ちゃんグッズをそろえたり、名前を考えたり、楽しいことがたくさんあるわ」
「おいしいランチを食べに来ることもね」
恩田さんの説明に、乙葉さんが付け加えた。恩田さんも「そうそう」と、力強くうなずいている。
「赤ちゃんが産まれるのは楽しみだけど、しばらくは、ひとりでぶらっとランチなんて無理ですよね?」
「誰かに協力してもらえば、できないこともないけど。授乳時間に縛られるから、のびのびはしづらいわね。赤ちゃんとは一心同体と思っておいた方がいいわ」
「恩田さんが言うと、説得力がありますねぇ」
ましろには弟も妹もいないので、二人の会話を聞きながら、赤ちゃんがいる生活を想像することしかできない。多分、ベビーカーでお店に入りにくいとか、赤ちゃんが泣いたら周りに迷惑がかかるとか、色々ネックになることも多いのかもしれない。
「でも、そういうのって、お店の人が協力したら、何とかならないのかなぁ」
「ましろちゃん、何かいい案を考えてくれるの? 嬉しいなぁ」
乙葉さんはにこにこ笑いながら、ましろの頭を撫でてくれた。けれど、子ども扱いされている感じがして少しムッとしてしまう。
「乙葉さんが、気軽に赤ちゃんと来れるようにするから! 絶対!」
「うんうん、ありがとう。楽しみにしてる」
そして、乙葉さんはメニューをパラパラとめくる。
ランチメニューは、その日ごとに変わる。いい野菜が手に入れば野菜をメインに、いいお肉が手に入ればお肉をメインに、りんごおじさんが朝からメニューを考える。
そして今日は、おいしいカツオを魚屋さんで買えたので、オススメはカツオ漬け丼──、【浦島太郎の漁師飯】だ。
「これ、わたしも試食したよ! タレがね、ショウガとニンニクがきいてて、すっごくおいしいの!」
「うぅぅーん! 食べたい! でも、ダメ!」
ましろが勧めたけれど、乙葉さんは悔しそうに首を横に振った。
「食べたいなら、食べたらいいのに。どうして?」
ニンニクのにおいのせいかな、と思ったましろだったが、答えは恩田さんが教えてくれた。
「生ものを食べたらダメのよ。食中毒のリスクを避けるためにね。妊婦さんって、免疫力が低くなってるから、普通の人より注意しないといけないの」
「そうなんだ! たしかに、おなか壊したらしんどいよね」
「そうよ。赤ちゃんも守らないといけない。でも、めったな薬は飲めないから困るのよ」
「お薬もダメなの⁈」
「大丈夫なものもあるけど、基本的にはね」
ましろは「へぇ!」と感心した。なんだか、とても賢くなった気分だ。
「だから、あたし、我慢してるんだよ。大好きなお刺身も、卵かけご飯も、明太子も、レアな焼き加減のお肉も。本当は、かなり食べたいけど!」
乙葉さんは、うなりながらメニュー表を指差している。海鮮丼、明太子カルボナーラ、ローストビーフ丼……。ましろは、人気メニューのほとんどがダメということに驚いた。
「世の中、生ものが多いんだね。妊婦さんって、いっぱい我慢してるんだね」
「私は予定日の前日に、すき焼きを食べたの。その時、生卵を食べて、おなかを壊したから、最後まで油断しないことをオススメするわ。陣痛にプラスしての腹痛は、しんどいのよ~」
恩田さんの体験談に、ましろと乙葉さんはギョッとした。きっと、それは想像を絶するしんどさに違いない。
「食べちゃダメじゃん!」
「ほんと、うっかりなのよ。一人目の時、親が私を応援するために、大好物のすき焼きを用意してくれたのが、嬉しくてね~」
恩田さんは、懐かしそうに笑い飛ばすと、「乙葉ちゃん、要注意だからね」と念を押した。
「はい。気をつけます。赤ちゃんのための食事制限なら、耐えますよ! 産んだ後に食べる浦島太郎メシは、きっと世界一おいしいだろうし!」
「なら、今日はひとまず、カツオに火を通したメニューにされますか?」
さらりと話に加わって来たのは、りんごおじさん。前の組のお客さんが帰ったので、キッチンが落ち着いたらしい。メガネを布でキュッキュッと磨きながら現れた。
「えっ! メニューに載ってないのに、いいんですか⁈」
「もちろんですよ。僕も、いいカツオを食べていただきたいですし。ガーリックバターしょうゆで、ステーキなんていかがですか?」
ガリバタしょうゆ!
ましろは、心の中でゴクリとのどを鳴らした。
なんて魅力的な響き!
「おいしそう! それをお願いします!」
乙葉さんもそう思ったのか、うっとりとした表情をしている。りんごおじさんのファインプレー様々だ。
「では、用意してきますね。お刺身は、無事に出産が終わったら、ぜひ」
りんごおじさんは、そう言うと再びキッチンに戻って行った。
***
料理を待っている間、ましろは他のお客さんがいないのをいいことに、乙葉さんにヘアアレンジをしてもらっていた。道具がないので、凝ったことはできないはずなのに、ましろの髪は、あっという間にゆるふわの三つ編みに変身していく。さすがは美容師さんだ。
「すごーい! かわいい髪型だ! ありがとう!」
「うふふ。似合ってるよ! ましろちゃんの髪は、ふわふわで楽しいな」
はしゃぐましろをみて、乙葉さんも満足そうにうなずいている。
「赤ちゃんは、女の子だったよね? 髪が伸びたら、結ってあげられるね」
「そうだねぇ。かわいいヘアゴムとかリボンで、いろいろしてあげたいなぁ」
幸せそうに思いを巡らす乙葉さんのそばにいると、こちらまで幸せな気持ちになる。
早く、乙葉さんの赤ちゃんに会いたいなぁ。
そして、赤ちゃんの名前やグッズの話をしているうちに、ランチが運ばれて来た。
「お待たせしました。【浦島太郎の漁師飯~ガリバタしょうゆ味】です」
「きゃ~っ! おいしそう!」
朝に予定していたメニューとは違うけれど、とんでもなく胃袋を刺激する香りを放つカツオのステーキに、乙葉さんは手を叩いて喜んでいた。
「しっかり焼いてるから安心してくださいって、店長が言ってたわよ」
恩田さんは、いつの間にか、ご飯とおみそ汁をテーブルに並べ終えていた。さすがベテランのパートさん。手際が良い。
見習わなくちゃいけないなぁ。
「ふふふ。あんまりじぃーっと見られると、恥ずかしいわよ」
「あっ! ごめんなさい!」
つい、恩田さんの動きに見入ってしまい、笑われたことが恥ずかしくなったましろは、そそくさとお店の奥に引っこんだ。
すると、そのタイミングでりんごおじさんに手招きされた。
「ましろさん。さっき、乙葉さんが赤ちゃんとお店に来やすくなる方法を考える、と話していましたね?」
「うん! そうそう! でも、なかなか思いつかなくて」
りんごおじさんは、何かいい案があるのかなと、ましろは前のめりになった。
ところが、りんごおじさんは、「僕もなんです」と、首をひねっていた。ましろは思わず拍子抜けだ。
「ファミリーレストランを名乗っているからには、赤ちゃんとお母さんにも楽しんでもらえるお店にしたい……。前から、そう考えてはいたんですけど」
赤ちゃんと接する機会が少ないと、なかなかピンとくるアイディアが出て来ないのは、ましろと同じらしい。
「りんごおじさんがそのつもりなら、本気でやってみようよ! いっしょに勉強して、たくさんのお母さんたちから、話を聞いてみようよ!」
「そうですね。やってみましょう!」
今回ばかりは頼りになるかは分からないけれど、りんごおじさんがいっしょに考えてくれるのは、とてもうれしかった。ましろは、なんだか使命を帯びたようで、気合いが入る。
「じゃあ、まずは恩田プロとアリス君にも聞いてみないとね!」
「案外、アリス君からいい意見が出るかもしれませんよ。旅館でも、色々な工夫をしているでしょうから」
「お客さんにアンケートを取ってみるのは?」
「いいですね!」
りんごおじさんと話していると、時々、まるで友達といるような気分になる。父親ではないからかもしれないけれど、こういうのは嫌いじゃない。りんごおじさんは、いつだってましろと同じ目線で、真剣に話してくれるのだ。
その時だった。
「ひゃっ!」
お店のトイレから、乙葉さんの短い悲鳴が聞こえたのだ。
「現代ドラマ」の人気作品
書籍化作品
-
-
4
-
-
20
-
-
35
-
-
59
-
-
89
-
-
841
-
-
1
-
-
4
-
-
141
コメント