嘘つきは恋人のはじまり。

花澤凛咲

恋人と偽恋人2

 
 翌朝。ロバートはいつも通りに見えるが、玲はどこか気まずい空気を感じていた。
 やはり、セックスできなかったことを拗ねているのだろうか。言葉の通り割り切ってくれていると思っていただけに少しだけ落ち込んだ。
 
 セクシャルな問題は当事者同士でしか解決しない。だけど玲はその話をロバートにする勇気がなかった。それが原因で嫌われたらどうしようと考えてしまう。
 それに一緒に居られる時間は限られている。それならできるだけ楽しい時間を過ごしたい。そう思うのは普通だろう。
 玲は気にしないように努めてロバートと観光を楽しんだ。要望通りたくさん食べ歩いた。回転寿司に喜び、トンカツを頬張り、ドーナツやクレープなどのスイーツも楽しんだ。コンビニでアイスを買い込み宿で分け合って食べた。三日目にはもう夜のことは気にもならなくて最後の日は別れ難かった。
 お土産は大手スーパーマーケットで色んなものを買い込んだ。お菓子や食品だけでなく、レトルトのカレー、マヨネーズやケチャップなどの調味料、加えて味噌や醤油も買った。
 玲が向こうに住んでいる時、時々日本食品店で購入して味噌汁を作ったりしていたせいかロバートも時々作るようになったらしい。玲が戻ってくるまでに日本食のレパートリーを増やすと意気込んでいた。
 帰りは新幹線で東京まで移動し、羽田空港まで見送った。

 
 
「え、休みですか?」
「ソーソ。すげーガラガラ声で電話きて」

 休み明けのADF+で香月と木下から九条が体調を崩したことを聞いた。
 玲はつい昔のことを思い出してしまったが「ただの熱だよ」と木下に笑われてしまう。
 
「疲れが出ただけだと思うよ。そこまで心配してないで」

 玲は木下に言葉に頷いたもののなんとなく放っておけなかった。

 寝ていたら悪いし、と思いつつメッセージを入れた。それほど大事に至らないのであればいいが、玲にとって九条はどこか無理をしすぎるきらいがある。なんとなく心配で返信が来なければそれでいいかと思った。

 昼ぐらいに送ったメッセージは夕方に返ってきた。【飯、薬】と一言だけでなんとなく身体が辛いんだろうな、と察することができる。
 【病院に行きました?】と返したが返事はなかった。
 仕事が終わり自宅に戻った後、少しして九条から連絡があった。【行ってない】と返ってきたので【行ってください】と返す。【いやだ】と返ってきた。思わず「子どもか!」とひとり突っ込んでしまった。

【腹へった】
【飯作って】

 ピロンピロンと続け様にメッセージが投下される。玲はそのメッセージを眺めながら冷蔵庫の扉を開けた。

 たまご粥でも作るか、と思いながらも一応何が食べたいか訊ねる。ついでに【病院に行かないと作らない】と言えば【ついて来て】と返って来た。
 よっぽど弱っているらしい。玲は苦笑しながら仕方なく了承する。
待ってる、とメッセージと共に住所が送られてきた時は思いのほか近い場所に住んでいたことを知って驚いた。

「…ここ」

 九条の自宅は中目黒にあるスタイリッシュなタワーマンションの最上階だった。駅前に有名人が住むと噂のマンションがあるせいかあまり目立たないけれど、ここも十分高級マンションで、外観だけで玲は気後れした。
 ポカンと見上げて慌てて九条に連絡をする。着いた旨を伝えると施錠が解除された。
 先ほど薬局でスポーツドリンクや熱冷まシートなど色々買い込んだのでとりあえず置かせてもらおうとコンシェルジュに会釈をしながらエレベータに乗り込んだ。
 
「大丈…夫じゃなさそうですね」

 玄関の扉は開いていた。だがぐったりと玄関に座り込んでいる九条を見て玲は苦笑する。
 辛そうに顔を顰めて壁に寄りかかっている彼はいつもの凛々しさも爽やかさもない。どこか幼く見えるのは髪を下ろしているせいだろうか。呼吸が荒く手負いの動物みたいだった。

 玲は購入してきたものをまず置かせてもらった。スポーツドリンクは冷蔵庫にしまい、冷えピタやその他もろもろはわかりやすく机においた。他に必要なものは何か確認するも、九条の自宅には何もなさそうだ。帰りも色々買い込まないとな、とメモをして慌ただしく玄関に向かった。

「頭痛い」
「熱ありますからね」
「喉乾いた」
「スポドリ飲みます?」
 
 ぐったりとしている九条をなんとかタクシーに座らせて病院に連れて行った。タクシーの中で甘えるようにもたれ掛かる九条に玲はスポーツドリンクを飲ませる。病院に着き、予め預かっていた保険証や診察券を受付に出した。先に待合室のソファーで座り込んでいた九条の隣に腰を降ろす。玲の気配に気づいたのか、目を閉じたままなのに当然のように寄りかかってきた。
 
 玲は周囲から注目されていることに気づき非常に居心地が悪かった。大の大人の男性が恥ずかしがることもなく甘えている。おまけにイケメン。
 風邪を引いているせいか余計にアンニュイな雰囲気が出ていた。正直に言うととても心臓に悪い。 
 そして少し重い。病人に「加減を考えろ」と言うのは酷だから玲はただ黙って精一杯踏ん張った。辛そうにしている病人を無碍にできるほど悪人にはなれなかった。

 待ち合い室で待っていると「九条さん」と呼ばれた。はじめは自分のことだと思わずにスルーしてしまったが職員に声をかけられて慌てて立ち上がった。

 「点滴することになりました。だいたい一時間ぐらいかかります」
 
 
 一時間待ってます?と聞かれて玲は一度自宅に戻ることに決めた。腹へったとお腹を空かせて出てくるだろう。身体に良いものを作ろうと自宅に戻った。

 あまり時間のない中で翌日の分も準備した。
 お粥ばかりではものたりないかもしれないので、消化にいいものを重点的に固形物も少し用意した。
 果物やゼリーなども買い込んで点滴が終わる頃にはなんとか病院に戻れた。
 待合室の椅子に腰を下ろすとちょうど九条も病室から出てきた。
 顔色は少し良くなり幾分スッキリしていて玲もホッとした。

 会計を終え、タクシーに乗り九条の自宅に戻ってきた。さっきは慌てていたこともあり、きちんとよく見なかったけどリビングはモデルルームかと思うぐらいインテリアのセンスが良くて今さらながらに呆気に取られた。
 
 汚したらどうしよう。こぼさないようにしないと。と玲が慎重になっているそばから九条がペットボトルを倒した。
 慌てる玲に九条はおかしそうに笑いながら中身はただの水だと伝えた。

「ま、紛らわしいことしないでください」
「怒るほどのことじゃない」
「汚したら大変じゃないですか」
「掃除ずればいいだろ」

 何をさも当然なことを言うのだ。
 だが、九条にしてみればここは自宅だ。汚そうが何しようが掃除すればいい話で、水をこぼしたぐらいで怒られては堪らない。

「お粥作りました」
「ありがとう」

 玲は気を取り直して腹ぺこ状態の九条についさっき作ったばかりの食事をテーブルに並べた。

 九条はおでこに冷えピタを貼ったまま子どもみたいにお粥を頬張る。翌日分の食事までペロリと平らげたことには少々驚いたが食べられるなら問題ない。あとは薬を飲んで寝かすだけだ。
 
「え、ずるい。俺もそれ食べたい」
「今食べたじゃないですか。私だって何も食べてないんです」

 それなのに、九条は玲が自分用に包んだお弁当を食べたいと言い出した。
 玲だって腹ぺこだ。一日働いたあとにひと仕事したのだ。それなのに今、大切なエネルギー源を奪われそうになっている。

「デリバリー頼めば?」
「九条さんこそ」
「今油っこいもの食べる気にならない」

 九条にそう言われて玲はうっと唸る。
 お弁当にはいつも自宅で作りおきしているおかずや昨夜の残りものを入れただけのいわゆるあり合わせたもの。人にだせるようなものではない。
 それでも九条は欲しい、食べたいという。
 玲は渋々と自分のお弁当を差し出した。九条が嬉しそうに手を合わせる。

「昨日サバ味噌作ったんだ」
「はい」
「俺も食べたかった」

 しゅんと落ち込みながらも九条は今サバ味噌を食べている。そのサバ味噌は昨日仕込んでいた九条の分だ。結局食べたじゃないかと決して口には出さない。

 昨日は接待があるとかで玲の家には来なかった。ゴールデンウィークもあり、何気に五月に入り顔を合わせるのは初めてだと気づく。
 美味しそうに残り物を詰めたお弁当を食べる九条を眺めながら玲はデリバリーを頼んだ。

 「ここに居て」
 
 食事を終え薬を飲ませた九条を寝室に追いやると玲は捕まってしまった。
 手を掴まれて「帰るな」と言われる。
 
「…寝るまでですよ?」

 顔色は良くなったものの体温を測れば三十九度を超えていた。病院に連れて行った時は四十度あったのでマシになったとは言えるがまだまだ辛く心細いのだろう。
 玲は少し躊躇ったものの条件付きで承諾した。こんな状態の九条を放って帰宅して何かあったら、と思うと後味が悪い。
 九条は玲の返事にホッとしたように表情を和らげる。

「手」
 
 玲はベッド脇にしゃがみ込むと子どものように手が伸びてきた。仕方なく握ってやれば嬉しそうに笑う。いつも玲より温かい手だが、今夜はいっそう熱い。

 「冷たくて気持ちいい」
 「九条さんの手が熱すぎるだけです、ってにぎにぎしないでください」
 「いやだ」
 
 社長の威厳はどこに行った。どこかに捨ててきてしまったのだろうか。

 玲は不貞腐れる九条を宥めながら好きにさせた。
 きっとすぐに飽きるだろう。その証拠にもうにぎにぎしなくなっている。

 「目、閉じたら眠れますよ」
 「…明日も来て欲しい」
 
 おでこに冷えピタを貼り潤んだ目がお願いする。
 玲はこういうお願い事に非常に弱い。

 「…来ますから。寝てください」
 「絶対に?」
 「来ます」

 言質は取った、と紅潮した表情がわずかに緩む。
 玲は九条が眠るまでずっと手を握ってそばに寄り添った。

 健康を損なうと心は弱る。誰でもいいから傍にいて欲しくなる。
 玲は九条の気持ちをとても理解できた。そして心細くて仕方のない九条を玲は放ってお苦ことができなかった。
 
 


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