嘘つきは恋人のはじまり。

花澤凛咲

友人と新たな同僚

 塚原未玖の頬は緩みっぱなしだった。明日は表情筋が筋肉痛になるかもしれないほど頬がニヤニヤ引き攣っている。まるで下手な恋愛小説のよう。ツッコミどころが満載で言いたいことも沢山あるが、まずは次編に期待しようと思いつつ、テーブルに突っ伏している親友に一言だけ添えた。

「九条梓って、まあ……結構な大物を釣り上げたわね」

 未玖は広告代理店に勤務しており、「ADF+の九条」のことは一方的に知っていた。九条はよくビジネス雑誌に載っている。見た目がよく、華があるおかげで紙面が映えた。
 その恩恵で彼の出る雑誌はビジネス雑誌なのに増刷が相次いでいる。
 そんな目立つ男が玲に迫った。真っ赤な薔薇の花束を持って「約束通りきみをもらいにきた」と恋人のいる玲に迫った。出逢い方も非常にロマンチックだ。普通の女性ならそんな運命的な再会を果たせばコロリと転がるだろうに。
 ちなみに九条からもらった薔薇は今、玲の部屋に飾られている。「花は悪くない」とのことだが、玲の部屋には似合わないほどの存在感がとても異質だった。

 「……そんなつもりじゃなかったの」
 「でも、玲が嘘ついたせいで彼はずっと探していたんでしょ?今更言ったところでどうこうできないけど、もし玲がちゃんと本名を名乗って、彼とコンタクトを取れていればこういうことにならなかったじゃない」
 「……そうだけど」
 「いいじゃない、別に。まだ結婚してないんだから、色んな男性を吟味しても」

 未玖はとても嬉しかった。心が踊った。九条でも十条でもなんでもいい。日本に留まる理由になるなら仕事でも男でも理由はなんでもよかった。
 二人は高校生の頃からの親友だった。お互いの恋愛遍歴は熟知している。「おばあちゃんになっても遊ぼうね」という約束までしていたのに玲が国外に出てしまえば、そう簡単に会えない。未玖は誰か適当な男を見つけて玲を紹介してやろうかと考えていたがその手間が省けた。しかも相手は極上の男。誰でもいいからさっさと攫っていってくれと願っていた。その甲斐あったのか上出来も出来過ぎくんだ。内心でスタンディングオベーション、拍手喝采、万歳三唱、胴上げの嵐だった。

 一方玲は信じられない思いで未玖を見つめた。安易に「浮気してもいいじゃない」という親友の言葉が理解できなかった。未玖は羨ましいほど美人だ。周囲から男に困らないほど百戦錬磨の手練れに見られ、相手を取っ替え引っ替えしてそうなイメージを持たれるが、事実は真逆。つまり間違っても浮気や不倫などする人じゃない。なんなら振られるのはいつも未玖だった。今は付き合って一年ほどの彼氏がいる。彼氏がいても今まで浮気の「う」の字も仄めかすことなどしなかった未玖がまさか自分にそれを勧めてくるとは思ってもいなかった。同じ感覚だと思っていたのに、と玲はちょっと裏切られた気分だった。
 
 「他人事だからって…」
 「他人事だし」

 突っ伏した頭を少し上げて目だけでキィと抗議した。だが未玖は楽しそうに笑うだけだ。

 「私に黙っていた罰よ」
 「…言えないよ」
 「玲は私に責められると思ってたの?」
 「…」
 「そんなことで玲を責める訳ないじゃない。玲が苦しんでいることを知らない方が嫌なのよ。そりゃ人には言えないことのひとつやふたつはあるだろうけど、ひとりで抱え込んで泣かれる方が私は嫌よ」

 未玖は今でも時々考えることがある。
 それは、玲が退職し誰にも何も言わずに日本を離れたことだ。
 話を聞くことぐらいならできたのに、玲は自分を頼ってこなかった。
 当時の未玖は会社に泊まるこむのもザラで毎日が一瞬で過ぎていくほど仕事に追われていた。玲が一度、食事に誘ってくれたが急なトラブル対応で当日にドタキャンしてしまった。対応は日付を跨ぐぐらいまでかかり、結局そのまま泊まり込んでしまった。
 玲には何度も謝ったが、自分が間違ったのだとするときっとここだっただろうと未玖は思っている。今は転職し、大分生活は落ち着いたが当時の悔しさや寂しさは消えなかった。

 *****

 玲はその日、山崎と緒方と夕食を共にしていた。和食がメインの創作料理店は駅から外れた場所にある。店内はカウンター以外が全て個室か半個室になっていた。おかげでチェーン店のような騒然さがなく落ち着いた雰囲気の中で食事ができている。
 食事中の会話はもっぱら仕事のことだった。三人の共通点がその話題しかない。緒方の先日嫁いでしまった娘ロスも山崎の孫自慢もそれほど興味はない。玲は話半分に相槌を打ちながら手洗いに席を立った。

「あ、すみません」
「いえ」

廊下に出る扉を開けた時にちょうど人が通った。一歩出しかけた足を慌てて引っ込めたものの腕があたってしまった。謝罪をすれば落ち着き払った声が返ってくる。だが、その人は扉の前に突っ立ったままで、そのまま動こうとしない。不思議に思い顔を上げれば、同じように目を丸めている九条が立っていた。

「ど、どどどうして」
「偶然」

玲の異変に緒方と山崎気づいたらしく「どうした?」と猪口を持ったまま振り返った。九条は緒方と山崎の姿を見とめるなり挨拶を交わす。

「ここ使って下さっているんですね」
「あぁ。旨くて落ち着いてゆっくりできるしな。気に入っているよ」
「それはよかったです」

後から知ることに、この店も九条のかつての顧客だった。そして緒方にこの店を紹介したのは九条本人だという。
会わないはずがなかった。ただ出来すぎる程の偶然だったが。

「そう言えば、宮内さんは九条くんところでも仕事をするんだってな」

ちょっと待ってほしい。まだそれは決定事項じゃない。

「多店舗じゃないし、シュクレうちとはスピード感が全然違うだろうけど、きっとやりがいはあるし楽しいと思うよ。まあ、無理しないように頑張りなさい」

ほのぼのと山崎にも言われてしまったが玲はまだ返事を保留にしている状態だ。そのことを伝えようとすれば先手を取られてしまった。

「実はまだ彼女から返事はもらえていないんです」
「なぜだ?」
「どうしてだ?」

山崎と緒方が二人揃って首を傾げる。

「シュクレに注力したい気持ちが強いのでしょう。ね、宮内さん」

にっこりと笑われて玲は頬を引き攣らせた。

「あの、通してもらえます?お手洗いに」
「あ、ごめんね」

逃げようとする玲を九条はあっさりと通してくれた。そのことにホッとする。だが玲が手洗いから戻ってくれば、何故か人が増えていた。それもひとりじゃなくて三人も。

「ど、どういうことでしょうか…」

この世の終わりみたいな顔で扉を開けたまま突っ立っている玲に、九条が「とりあえず座れば」と席をポンポンとする。そもそもそこは元々玲が座っていた席だ。何故隣に、と玲が肩を落としていると出入り口に近く、背中をむけていた男性が振り返り玲を見上げた。

「ドーモ。あのカップのデザイナーはオレです」

玲は頭の中に今巷を賑わせている上品な紙カップを想像した。そのデザイナー張本人が目の前にいる。玲は慌てて自席に着いた。
 彼、香月凌はADF+の副社長の一人。無造作にかきあげられた黒髪は男性にしては珍しく肩に付くほど長く、シャープな目元が某ビジュアル系シンガーに似ている。
 そして、玲とは反対側に座る九条の隣にも見知らぬ男性が座っていた。彼も副社長らしい。「木下雅です」と名乗った彼は絵本の中に出てくるような王子様のようなキラキラしい人だった。なんと言っても名が体を現している。玲は若干気圧されながらぺこんと頭を下げた。二人とも方向性は違うが顔面偏差値が高すぎる。というか九条も合わせれば、近寄り難いというか近寄りたくないほど異彩な存在感だった。
 だが、そんな不安も徐々に解れていった。酒が入っているせいもあるだろうが、二人ともとても気さくだった。九条もキスされたことを除けば悪い人じゃない。玲は自然と彼らと仕事の話にのめり込み、気がつけば和気藹々と彼らと話込んでいた。

「で、どう?俺たちと仕事してみる気になった?」
「多分仕事中もこんな感じ」
「もうちょい真面目だケド」
「学ぶことも多いだろう。あと十年若ければ私だって」
「山崎さんならいつでも大歓迎ですよ」

玲は非常に困った。このメンバーで誰一人として玲の味方に付きそうにない。とは言え、興味があるかないかと言えば興味はあった。何より山崎が評価してくれた上で九条が声をかけてくれたのだ。昔のことは一旦端によけて考えないといけない。

「じゃあ、何がネックになってる?ひとつずつ宮内さんの躊躇う理由をクリアにしていこう」

九条の一言で一斉に注目を浴びた玲はもう白旗を上げるしかなかった。仕事のことで躊躇いはない。山崎と緒方はさっきからずっと背中を押してくれているし、九条を含め、残りの二人も協力的だった。玲のキャリアなんて吹けば飛ぶような程の微塵子程度なのにそれでも「一緒にやろうよ」と誘ってくれる。

「よ、よろしくお願いします」
「疑問は解消した?」
「…わたしで務まるのか、その」
「「「そこは問題じゃない」」」

三人の声が見事に揃った。玲は身体を仰け反らせて驚いて、すぐにくしゃくしゃな笑顔を見せた。
 嬉しかった。ただそれだけだった。頑張ろうと小さく意気込んでようやくちいさな一歩を踏み出したのだった。
 

「嘘つきは恋人のはじまり。」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く