【完結】偽りの花婿は花嫁に真の愛を誓う

霧内杳

番外 年の差37歳

その日は帰国した純さんが連絡無しに押しかけてきて、仕方なく自宅でランチ会をしていた。

「ねぇ。
慧護は諦めるから、たすくちょうだい?」

「……は?」

純さんの言葉で、食事の手が止まる。
救とはつい半年ほど前に生まれた、息子の名前だ。

「だって貴方、いつまでたっても慧護を私にくれないし?
慧護も私じゃ嫌だって言うし。
なら、救でいいから、救ちょうだい?」

「……は?」

何度言われようと、わからないものはわからない。
いや、わからないというよりも、あたまが理解することを拒否していた。

「なにわけわからんこと言ってるんだ、純」

おしめを替え終わった慧護が、救を抱いてきた。
受け取って、彼に食事を再開してもらう。

「第一、救はまだ、六ヶ月だ」

「ええーっ。
だってもう、慧護の面影あるし、絶対イケメンになると思うし。
それに私は、慧護の遺伝子が欲しいのー!」

純さんの叫びで、ふたり同時にはぁっとため息が落ちた。

慧護と結婚して三年が過ぎた。
仕事も育児も順調……と言いたいところだが、どっちもシッターさんや秘書などいろいろな人に助けてもらっている。

「そもそも、さっさと自分の家に帰ったらいいだろうが」

ちらっ、とリビングの隅に置かれている荷物に慧護の視線が向かう。
純さんは同じレジデンスの自分の部屋に行くことなく直接、うちに来た。

「だって最近、閑の奴、ますます人間離れしてきたんだもの」

はぁっ、と小さく、純さんがため息をつく。
大学院を卒業した閑さんは政財界で本格的に活動をはじめ、半ばカルト宗教の神的存在として一部の人間にあがめ奉られていた。

「まあ、それはわかりますけど……」

「もう、姉弟どころか同じ人間かも怪しいわ、あれ」

行儀悪くフォークを振り回す純さんには苦笑いしかできない。
彼女の気持ちもわかるだけに。

「東峰は閑に任せておけば安泰だわ。
だから私は、私の幸せを追求するの。
と、いうわけで、救を私にちょうだい?
ねー、救?」

純さんにぷにぷにと頬をつつかれ、救がキャッキャと喜んでいるのはいいが、話がまた、元に戻ってきた。
くれ、と言われて猫の子のように、簡単に渡せるものではないのだ。
いや、猫の子だって新しい飼い主は選んでやりたい。

「それはちょっと……」

「ええーっ。
言うこと聞いてくれないんだったら、MITSUGAWAの株をちょっと……」

言い淀んでいたら、純さんの口角が僅かに持ち上がる。

「お前その、洒落にならない悪戯、そろそろヤメロよな」

はぁっ、と呆れたようにため息をつき、慧護がフォークを置く。
彼が純さんの申し出を断った翌日、自社の株価が一気に下がったのは純さん曰く、「ちょっとした悪戯」だったらしい。
純さんとしては悪戯でも、やられた方は堪ったもんじゃない。

そう。
きっぱりと振った慧護を、純さんは恨んでいない。
それどころか奪った私ですら。
まあ、ああいう純さんとしてはちょっとした嫌がらせはされたけど。
そういうさっぱりとした性格の人なので嫌いきれず、なんとなく付き合いは続いていた。

「あー、あー」

「え、救?」

純さんにつつかれて遊ばれていた救が、気づいたら彼女の方へ盛んに手を出している。

「抱っこしろ、って言ってるのかな……?」

いままで、救がこんなことをするのは、私たち以外ではうちの母くらいだった。
なのに、なんで?

「いいわよ。
おいでー、救ー」

純さんの腕に救を抱かせる。
彼女の腕の中に収まった救は、上機嫌でにこにこと笑っていた。

「気に入っている……のか?」

慧護が首を捻る気持ちがわかる。
救は人の選り好みが激しいのだ。

「みたいですね……」

「やっぱり、私たちの相性はぴったりなのよ!
だから救を私に……」

「その話はいい加減にやめろ!
てか、モナコの王子から追っかけられているって話はどうなったんだよ?」

「うーっ、うーっ!」

なぜか、さっきまでご機嫌だった救が一気に不機嫌になり、純さんの髪を引っ張りだした。

「救!」

さすがに、こっちに引き取ろうとしたものの、救は純さんにしがみついて離れない。

「いいのよー、別に。
まだ赤ちゃんだもの、仕方ないわ」

痛いはずなのに、純さんは笑って救の相手をしている。
そういう気取らないところがいいんだよね、この人。

「で、モナコの王子だっけ?
もしかしたらいい感じかも? とか思ったんだけど。
キスされそうになって、やっぱり慧護の方がイケメンだわ、って一気に現実に戻った。
なので、お断りしてきたわ」

あの、イケメンで有名なモナコの第三王子を振れる、純さんはかなり凄い。
まあ、そういうはっきりした人ではあるんだけど。

「そんなわけで、李亜?
あなた、救をいい男に育てなさいよ?
この私の花婿候補なんだから!」

おほほほーっ、と高笑いする純さんと一緒に、救もきゃっきゃ笑っている。
のはいいけれど、三十七歳の年の差はどうするんだろう……?

「しばらくいるからまた来るわ。
じゃあ。
バイバーイ、救」

「あー、あー!」

玄関で手を振る純さんへ、私の腕の中から救が手を伸ばし、身を乗り出した。

「もしかして救、帰ってほしくないの?」

純さんの指をぎゅっと力強く握り、救は手を離さない。

「ほら、救。
純さんはもう、帰るんだから」

「救。
またすぐに来るわ。
その間に男を磨いておくのよ。
じゃ」

ちゅっ、と純さんは救にキスして帰っていった。

「なんか、台風一過って感じだな」

「それは、そうなんですけど……」

はしゃぎすぎて救は、腕の中でうとうととしていた。
リビングに置いてあるゆりかごにそっと寝かせると、すぐに寝息を立てだす。

「救、もしかして純さんが好き、とかないですよね……?」

「なんだ、ヤキモチか?
好きは好きだろ、あれは」

慧護は笑っているけれど、ちょっと気になった。
モナコ王子の話のとき、もしかして救は……ヤキモチを妬いて怒っていた? 

「ヤキモチとか妬くわけないじゃないですか」

「そうか?
でもアイツの、救をくれはな」

「ですよねー。
年の差が」

なんてふたりで笑いあっていたものの。

――私たちは知らなかったのです。
救がいまから、純さんにぞっこんであったことに。


【終】

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