【完結】偽りの花婿は花嫁に真の愛を誓う

霧内杳

最終章 私は一生、あなたのもの4

――翌朝。

「覚えたか?」

「それは……もちろん」

積み重ねた書類を、彼がぽんぽんと叩く。
覚えた内容をテストでもするのかと次の言葉を待っていたら、インターフォンが鳴った。

「おはようございまーす」

「えっ、花井さん?」

「よろしく頼む」

「かしこまりましたー」

戸惑っている私を無視し、彼と花井さんだけで会話は完了した。
強引に鏡台へ連れていかれ、花井さんがいつものようにヘアメイクと化粧を施していく。

「あのー、これって?」

御津川氏は部屋にいず、花井さんに訊いてみる。

「私はなにも知りません。
ただ、奥様をできる女に仕上げてくれ、というご依頼で。
もっとも、李亜様は元がそういう感じですが」

テキパキと会社勤めの頃の私に逆戻り……ではなく。
あえて残した甘さが女らしさを演出し、キャリアウーマンというよりも美人社長ができあがっていた。
いよいよ、否定したかった考えが確信を帯びてくる。

「これに着替えろ」

帰った花井さんと入れ違いで入ってきた御津川氏が、ベッドの上に服を放り投げた。

「……」

それはシンプルなブラックの、ダブルジャケットと、膝丈のタイトスカートだった。
言われるがままそれに着替え、そして。

「出掛けるぞ」

そのまま、強引に連れ出された。
車は黒のセダンだった。

「……」

無言で御津川氏を見るが、彼は黙って前を向いて運転している。
大量に暗記させられた資料、ビジネス用としか思えないスーツ、仕事用の車。
ありえないのはわかっている。
それに、そうなったとしても、私がまともにできるはずがない。
そんな人間に任せるほど、彼が無責任な人間でないのもわかっている。

着いたのは、MITSUGAWAの本社だった。
彼に連れられ、社長室へ行く。

「会議は十時からだ。
しばらく待ってろ」

それだけ言って彼は部屋を出ていこうとする。

「会議?」

「役員会議だ」

バタン、とドアが閉まり、ひとり取り残された。

「役員会議……?」

もう、嫌な予感しかしない。
少しでもこの莫迦な考えばかりするあたまを落ち着けようと、株式の推移を眺める。
刻々と移りいくグラフをただ見ているのは無になれて、昔から私のリフレッシュ方法だ。

「え?」

九時の開場と共に、MITSUGAWAの株が徐々に下がっていっている。

「なんで?」

他の会社を確認するが、これほどの大きな変動はない。
それにMITSUGAWAでなにかあったなんて噂も聞いていなかった。

「……まさか」

……御津川氏の社長降板の話が広まっている、とか。

せっかく、冷静になろうと思ったのに、さらに肯定する材料を見つけてしまった。

「さっさと契約破棄しとけばよかった……」

ただ呆然と、携帯の画面を見つめていた。

「時間だ」

十時少し前に御津川氏が戻ってきて、会議室へと移動する。
指定された席に座り、配布された資料を読む。

【新役員の推薦について】

その見出しに、まさか本当なんだろうかと絶望しかけた。
さらに、その新役員の名前が、――自分になっているとなると。
しかし、きちんと読めば、今月早々に辞職した取締役の後任で、もうすぐある株主総会での推薦の件だと書いてある。

「……!」

思わず顔を上げると、御津川氏と目があった。
私にだけ見えるように、ニヤリと右の口端を僅かに持ち上げる。

……やられた!

これはたぶん、彼としてはサプライズなのだ。
常識からは外れているし、コンプライアンス的に大丈夫なのか心配になるところではあるけれど。
再就職に反対したのも、私に大量の資料を暗記させたのも、このため。
たぶん、食事やなんか声をかけなかったのは、ただ単に私に気を遣ってだ。

「では、御津川李亜を新取締役に推薦いたします」

「ありがとうございます」

複雑な気分であたまを下げる。
拍手する人たちと一緒に手を叩きながら、御津川氏はニヤニヤと笑っていた。

社長室に戻るまで、すぐにでも開きそうな口を必死に閉じていた。

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