【完結】偽りの花婿は花嫁に真の愛を誓う

霧内杳

序章 波乱のお茶会1

――ガッシャン!

なにかが割れる音で皆の注目が集まる。

「あ……」

それ、を落として割った彼女は、真っ青になって立ち尽くしていた。

「す、すみません!」

三瞬のち、我に返った彼女が、慌ててあたまを下げた。

「すみません、って……。
それ、今日の目玉の高麗茶碗なのよ?
どうするのよ……」

ひとりの声を皮切りに、周囲がざわざわとしだす。
今日、ここベリーヒルズビレッジのテナント屋上でおこなわれる茶会には、国内外のセレブが集まっている。
当然、使われる茶器も名品が多い。
中でも割れたその茶碗は桁違いで、特に大事にするように家元から厳命されていた。

「すみません、申し訳ありません」

彼女は半泣きで、とうとう土下座まではじめてしまった。

「いいから、立って!
片付け、お願いします!
他の人は引き続き、準備を!
ほら、早く!」

恐縮しきっている彼女を引っ張って立たせ、大きく手を打って皆を散らせる。

「さ、咲乃さきのさん。
わ、私……」

「形あるものはいつか壊れる。
それが今日だった、ってだけ。
いまできる最善のことを考えましょう」

「でも、でも……」

えぐえぐと泣きだした彼女には申し訳ないが、いまは慰めている時間はないのだ。
仕方ないので、友人の方に頼んでお引き取り願う。
それじゃなくても忙しいのに、さらに彼女にまで取り合っている暇はない。
冷たいと思われるだろうが、適材適所。
私には彼女を元気づける役目よりも、この場を納める役目の方が似合っている。
それにもともと、今日は水屋のまとめ役を頼まれていた。

「で、どうするの、これ?」

私よりひとつ年上の木田さんがはぁっ、と小馬鹿にするようにため息を吐き出した。

「他の茶碗ならまだしも、よりにもよってあの茶碗。
国宝級なんてそうそう簡単に準備なんかできないわよ」

件の茶碗は昔、某大名家が所有していたという高麗茶碗だ。
しかも徳川何某が献上するように求めたが、切腹と引き換えに断ったとかいう謂れがついているほどの名器。

「そう、ですね……」

確認した時間はすでに、濃茶の点前がはじまっている。
亭主である家元には相談できない。
代わりをこちらでなんとかするしかないのだ。
近くの美術館に同程度の茶碗が展示してあるのは知っているが、まさか貸してくださいなんて言えるわけがない。
他に借りられそうなところ……。

「下の、『藤懸屋(ふじかけや)』さんが店頭に飾っている茶碗を借りられないか交渉してきます。
あれなら、十分代わりになりますから。
あと、お願いします!」

藤懸屋に飾ってあるあの茶碗は、美術館からも声がかかったほどの名品だと以前、店長が自慢していた。
それならば割れた茶碗と遜色はないはず。
善は急げとばかりに、なにか言いたそうな彼女を残して足を踏み出す。

「おっと」

「す、すみません!」

部屋を出たところで、男の人にぶつかりそうになった。

「急いでますので、すみません!」

あたまを下げるだけして、走りだす。
いっそのこと、着物の裾をからげてしまいたいが……さすがに、それは。
着物姿でエスカレーターを駆け下りていく私を、周りは何事かと見ているが、そんなこと気にする暇などない。

「す、すみません!
店長さん、いらっしゃいますか!?」

目的の店に飛び込んだら、すぐに店長……ではなく、本社の若社長が出てきた。

「これは咲乃さん。
本日のお菓子になにか不備でも?」

藤懸屋さんには茶会で使うお菓子を卸してもらっている。
この心配は当然だ。

「いえ。
本日のお菓子も大変素晴らしく、ありがとうございます」

「では、他になにか問題でも?」

「その、あの茶碗を貸していただけないでしょうか?」

「はい?」

私がショーウィンドウの茶碗を指さすと同時に社長の首が傾き、さらさらと前髪が揺れた。

「その、本日メインの茶碗を割ってしまいまして。
それで大変申し訳ないのですが、藤懸屋さんご自慢のあの茶碗を貸していただけないかと」

深くあたまを下げ、返事を待つ。
その時間すら、惜しい。

「……わかりました」

すぐにはぁっと小さなため息と共に彼の言葉が落ちてきた。

「誰でもない、咲乃さんの頼みです。
仕方ないですね」

「ありがとうございます……!」

これ以上ないほど深く、あたまを下げる。
毎回、面倒だと思わずにきちんと和菓子の発注をしてきたのがこんな時に役に立った。

「代わりに次回も、うちの店を使ってくださいよ」

「はい、それは!」

箱に入れて渡された茶碗を、丁寧に受け取る。

「では、大事にお借りします!」

もう一度あたまを下げ、屋上庭園の会場へと戻った。

「すみません、すぐに準備します!」

水屋では家元が、苛々としながら待っていた。

「高麗茶碗は割れたということですが、どうなってるんですか!?」

その気がなくても男性の大きな声にはやはり、身が竦む。
しかし気にしないフリをして借りてきた茶碗を清め、家元に渡した。

「藤懸屋さんがご厚意で貸してくださいました。
これならあの茶碗と引けを取らないかと思います」

「わかりました、もう時間もありません。
これでいきます」

重々しく頷き、家元は準備をして茶道口の前に座った。

「ほら、みんなもお茶を点てる準備をして」

私の仕事はこれで終わりじゃない。
まだまだやることはたくさんあるのだ。

水屋でトラブルがあっても、茶会自体は順調に進んでいく。
ここではお客はもちろん、表でお茶を点ててもてなすのは社長や社長夫人、ご令嬢といったセレブだ。
私のような一般人はいつも裏方の水屋仕事。
しかしそれが、嫌だと思ったことは一度もない。
きっと、裏方が向いているんだと思う。

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