夜明けを何度でもきみと 〜整形外科医の甘やかな情愛〜

星影くもみ

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 菜胡の勤めている病院は下町にある。内科、外科、整形外科、産婦人科、耳鼻科を診療科目として、月曜から土曜まで外来診療を行っている。内科と外科は医師の数も多く午後も診療を受けているが、それ以外の科は基本的に午後は休診で、病棟の患者対応だったり検査や手術に充てられていた。菜胡はその中の整形外科外来の担当となり四年が過ぎた。

 前任者は二年で異動だったから菜胡もそのくらいで、と思っていたが、患者への応対や気の利くところが整形外科医長の気に入るところとなり、異動は受け容れないと看護師長に直談判したという噂を知る由も無く、菜胡は整形外科外来で働いている。

 病院の正面玄関を入ると真正面に大きな絵画が飾られている。そこを起点に左折すると内科、外科、整形外科、右折すると耳鼻科、放射線科、薬剤科がある。産婦人科だけは二階の病棟に専用の受付と出入口が設けられていて内科や外科に受診する患者とは受付から会計まで全く会う事なく動ける作りになっていた。
 絵画を左折してすぐ右手に内科の大きな待合室があり、それを横目に少し進んで左折すると外科外来、更に右折でようやく整形外来となる。細く長い廊下の突き当たりにあるのが診察室入口だ。廊下には待合用の椅子が並べられていて、車椅子やストレッチャーが通るにはギリギリの幅しか無いが、古い造りの病院なので仕方が無い。

 現在の整形外科は樫井三郎が一人で担当している。木曜は休診日で、それ以外は外来を終えると急いで昼を食べ、手術があれば駆け足で病棟へ向かう。こんな忙しない毎日をもう何年も繰り返していて、そろそろもう一人、常駐の整形外科医が欲しい事をたまにこぼしていた。
「知り合いに伝えてあるから、近いうちに一人増えるかもしれないよ。それまでは僕が一人で頑張るしかないよ〜」
 菜胡はどこまでが冗談かわからないと思っていたが、後日これが本気だったと知る事となる。

 整形外来担当のナースは二名おり、菜胡の他は大原さち絵、四十七歳のシングルマザーだ。中学生の息子がいる。
「結婚して二十二の頃からここに勤めているのよ」
 大原は二十五年、この地に暮らしている事になり、そのせいか訪れる患者は大原の顔見知りが多い。院内スタッフの誰よりも長く勤めていて、菜胡を『あたしの娘』と連れ回ってくれたお陰で、新人ながらもすぐに受け容れてもらえた。気風のいい豪快な女性で時に厳しい。だいたいは笑顔で押し切る強いメンタルの持ち主だ。菜胡の母親と三歳しか違わないため、密かに『東京のお母さん』として慕っていた。
 患者だけでなく院長とは冗談を言い合う仲で、そのせいか割と自由に振る舞うことを許されており、土曜はいつも十四時で帰ってしまう。そういう雇用契約なのかわからないが、だから土曜の午後は菜胡一人で黙々と作業なのだ。
 
 菜胡が整形外来へ配属されるまでは、浅川恭子が大原と共に整形外来担当だった。菜胡の就職と入れ違いで重症病棟へ異動となったが、菜胡に仕事を引き継ぐ必要があり、三月末の一週間だけ、共に外来で仕事を教えてもらった。ほんの少し先の事を予測できる洞察力が羨ましかった。明るくて物怖じせず、一生懸命な性格は、引っ込み事案な菜胡には眩しかった。

 ただ、急に距離を縮めてくる事があり、そこだけは少し不愉快だった。プライベートを根掘り葉掘り聴きたがり、答え難くしていても構わず声を張って聞いてくる。人の目があるところでは声を落とすなどの配慮が欲しいのに、言いたいことを喋りたい大きさの声で口にする。デリカシーのない人だな、と思ったし、その印象は四年経った今も変わらずあった。
 
 仕事の姿勢は尊敬に値するが、人としては深く関わることを避けた。恋愛の相談などとんでもないと、警戒を怠らなかった。
 一度だけ、浅川の問いに正直に答えたことがある。ポロッと彼氏が欲しいと思う時はある、と言ってしまった。目を輝かせ、誰かを紹介するから、と息まかれた彼女に、必死で、やめてくれと頼んだ。
「そんなんじゃ一生処女だよ?」
 浅川はこれを捨て台詞に去った。それから菜胡に恋愛の話を持ちかけてはこのセリフを吐いて行く。他に人がいてもお構い無しで、こういうところが本当に嫌だった。
 確かに未経験だが、これを人前で言われなければならない理由が菜胡にはわからない。また他人のプライベートをそうも知りたがりコントロールしたがる浅川の心理も、菜胡にはわからなかった。

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