黒と白と階段

清泪(せいな)

此処と其処と欺瞞 7

 タイチと里丘、二人に呼びかける声がした。
 それは頭に直接聞こえるものではなく、振り向くと廊下の先で総持が手を上げていた。
 里丘は少し安堵したように息を吐いた。

「おう、二人とも、相川あいかわ先生見なかったか?」
「え? 相川先生なら、ほら、あそこ」

 総持に問われタイチは窓の外、グラウンドの端を指差す。
 女子バレー部顧問の相川ショウがそこにはいた。
 老年の男性教員で、三年四組の担任教師だ。
 赤茶の上下のジャージ、額が広くなり全体量的には薄くなった白髪、開いてるのか疑わしい細目と目尻に多数の皺があるのが特徴的。
 社会の授業を受け持っていて授業中の語りは定年間近の年齢通りの落ち着いた口調で、午後の授業で当たろうものなら眠ってしまう率No.1と評されている。
 授業内容が歴史についてならば夢の中で大河ドラマが繰り広げられたあと、目が覚めたら全て忘れていると生徒たちからはある意味恐れられている。
 反面、運動部の顧問、特にバレー部の顧問を長年請け負っていてその熱血指導は体育教師顔負けの変貌ぶりである。
 今も生徒たちの掛け声に負けず、相川の声が校舎に響いていた。

「たぁぁ、あのジイサン、文化祭の打ち合わせがあるって言っておいたのに、何やってんだよ」
「え、打ち合わせすっぽかしたんですか、相川先生? そんな奔放なイメージ無いなー」

 タイチは首をかしげ、里丘に視線をやると里丘も同じような意見らしく真似して首をかしげる。
 普段の相川は物腰柔らかな真面目な老教師だ。
 打ち合わせをすっぽかしたとなると奔放というよりも呆けたのかとも疑いたくなるが、それにしては相川はしっかりした人物である。

「いやな、あのジ・・・・・・相川先生な、今年度で退職なさるんだよ。あ、この話は確かもう伝えてるんだよな、皆に」
「はい、今年の四月にはその話を聞きました」
「それでな、最後になる文化祭、特に受け持った三年生の劇についてはさ、えらく楽しみにしててな。何だったら何も知らない状態で楽しみたいとか言い出してな」

 日頃若い人の意見を尊重する、私は皆さんの補助役だ、というスタンスでいた相川が急にそんなことを言い出したので三年生の担任教師陣はほんのちょっと困惑することになった。
 とはいえ、教師陣も若い人と呼ばれるほど若くもないベテラン陣だったので大混乱が起こるようなものではなかったが、相川の意見を尊重した上でどこまでの加減で仕事を割り当てるかの作業が増えた。

「相川先生の気持ちもわからなくもないんだよなぁ。俺だってお前ら生徒の頑張りをさ、知りながら本番を迎えたい気持ちと、何にも知らずにサプライズ的に観客として楽しみたい気持ちがあるしな」
「サプライズって、脚本係の女装的なヤツですか?」

 里丘が冗談混じりにそう言って、総持がオイオイと言いながら苦笑する。

「あんまりイジってやるなよ、里丘。アイツらも反省してるって。それにしても、その女装用のカツラとか制服とか盗ってったヤツがいるのが不思議だよな」
「不思議って?」
「あ、んー、まぁ教師がこんなこというのも不味いのかも知れんが、ほら、年頃の男子中学生なら女子生徒の──」
「先生、それは気持ち悪い」

 里丘が冷たい視線で総持の言葉を止める。
 タイチは途切れた言葉の続きを何となく察する。
 女子生徒の体操着とかリコーダーとかに興味を持つのはあり得そうなことだ。
 漫画やドラマで見たことがあるやつだ。
 実際そういうことをやったヤツを見たこともないし、やろうとも思ったことはないが。

「総持先生の言わんことはわからなくもないですけど、」
「は? わかるの?」

 タイチの見解に里丘が割り込む。
 したい質問はまだ先だが、里丘の睨みへの弁解はしておきたい。

「いや、里丘、怖いよ」
「そ、アンタもそういう変態なとこあんだね」
「理解してるだけで実行してるわけじゃないんだよ」
「理解できるだけでも、充分じゃない?」
 
 あのなぁ、とタイチはぼやいて、何よ、と里丘の睨みが鋭くなる。

「まぁまぁ、里丘、その辺で勘弁してくれ。俺への質問は、それが何で不思議に繋がるのかってことだよな?」
「そうです。里丘のことはほっといて続けてください」

 何よ!、と更に里丘の睨みが鋭くなるが、タイチはそれを少し面白がっていた。

「まぁそういうな、男子中学生の暴走を鑑みても、誰のものかもわからない制服とそれが女装用ってわかるカツラを持っていくかねってこと。そういう用途で持ってったものじゃないとすると、何に使うために持ってったのかなって話」
「何に使うって?」
「いや、それはわからんのだけどな」

 総持の疑問を聞いて、睨みをきかせていた里丘もすっかり思考は推理に働いて首をかしげる。
 今度は里丘を真似てタイチもうーん、と首をかしげてみせる。
 どう傾けてもここで披露するような答えは出てきはしなかった。

 下校時間を告げる五時のチャイムが鳴って、三人は顔を見合わせた。

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