青が呼ぶ

水谷駿

青が呼ぶ


潮騒が次第に大きくなり、壮大な景色が目の前に広がった。

綺麗な青だった。

吹き付ける潮風が懐かしい匂いを運んでくる。その澄んだ匂いに、遠い夏の君が浮かぶ。

波音と共鳴するように心が揺れ動く。

あれから随分時は流れたが、今も私の中には君の音楽が鳴り止まないでいる。

もう二度と戻れない日常を、君の残像が思い出させる。

***

君は覚えているだろうか。

公園のベンチ。

カフェテラスのパンとコーヒー。

汚れた空き箱。

アコースティックギターの音。

破り捨てたノートの切れ端。

私に遺したデモテープ。

そして、大好きだった君の、音楽を。

君は今でも覚えているだろうか。

***

以前、二人で海に来たことがあった。

君は海辺に座ってギターを鳴らし、私はその音を聴きながら隣で海を眺めていた。

快晴の下澄み切った青が、言葉では言い表せないほど美しかった。

ふと君の方を見ると、その横顔に涙が浮かんでいた。

――あのとき、君は何を思っていたのだろうか。

「人生は作品だ」

君はピックを止め、海を見つめ小さくそう呟いた。

「人生は作品だ」

***

その言葉が今、私の耳に木霊している。

人生が作品であるなら、その終わり方は美しい方が良い。

きっと君ならそう言うだろうから。

だから今私は此処に立ち、潮風を身に纏いながら眼前に広がる青に叫ぶ。

心が張り裂けるまで、君の名を。

そうしているうちに、段々と心が凪いでいくのが分かった。

そうか、海にはきっと、孤独を癒す力があるのだ。

君が海に惹かれたように。

今私が此処にいるように。

孤独が齎した苦しみも、人生の寂寥感も、海は綺麗に浄化する。だから君は今、その身を縛り付ける鎖など存在しない世界で、この澄み切った空を自由に、晴れやかに生きていることだろう。

――私ももうすぐ、そちらの世界に行く。

消えない君との絆を胸に抱きながら、私はずっと、身の処し方を探していた。

そうして今、漸くその答えにたどり着いたのだ。

海が鳴る。青く澄んだ匂いが、遠い夏の記憶を蘇らせる。

あの日見た君の涙の面影が私を亡霊のように彷徨わせ、此処に連れてきたのだろうか。

それならば、此処が旅の終着点だ。

私の体は間もなく潮騒の中を駆け抜け、泡沫の夢の中へと深く消えていくのだから。

「人生は作品だ」

私は今此処で筆を置く。これが私の終わり方だ。

そして、この夏の向こう側にいる君に会いに行く。

私はもう、亡霊ではない。

私はもう、独りではない。

だから今、この潮風を掻き消すような声で、私は叫ぶ。

私の作品の最後のページに、君の名を刻むために。

***

ふと視線を落とすと、一輪の向日葵が心寂しそうに咲いていた。

「君も一緒に行くかい」

黄色い髪飾りは綺麗な青空によく映えた。

そして私は両手を広げ、潮風に身を任せた。

***

雲はスピードを増し、私の視界を駆け抜けていく。

水面が近づく。ただ目を瞑り、遠い夏の君を描く。

走馬灯。

これから始まるのはきっと物語の続きだ。

生まれ変わって、またきっと君に会える。

君がそうしたように、私も運命に身を委ねるのだ。

そうして私は間もなく辿り着く。

どこか遠い場所へ。

君が待つ世界へ。

そう、このまま、青が呼ぶ方へ。

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