青が呼ぶ
心中公演
最後の朝が来た。
空はまるで、夢破れた僕を嘲るかのように晴れ渡っていた。
今日で僕の人生が終わる。
いや、二十八の誕生日を迎えた瞬間、僕の人生は既に終わっていたのだ。
エイミーにもカートにも尾崎にもなれない平凡な人生だった。僕の音楽は、結局誰にも何も与えることができなかった。
「もう終わりにしよう」
ただ泣いているばかりの君にそう告げて、長年連れ添ったアコースティックギターを背負い部屋を出た。君への手紙はデモテープと一緒に棚の引き出しの中に入れておいたから、きっと後で見つけてくれるだろう。
玄関のドア越しに、僕の名前を呼ぶ涙声が聞こえていた。
***
つまらない人生だったのかもしれない。
それでも、君だけは最後まで僕を笑わないでいてくれた。それだけで、十分だった。
共に過ごした、汚れた空き箱のような部屋。いつか世間に認めてもらえる日が来るようにと、二人でゴッホの部屋を真似して家具や絵を揃えた。そんな二人の想いが詰まった部屋で、僕は毎日曲を書き、曲が出来上がるとこのギターで弾き語り、君に聴かせた。天気が良い日にはあの通り沿いのカフェテラスの前のベンチに二人で腰掛け、客が君一人だけの、小さなコンサートを行った。君はいつも、それを楽しそうな顔で聴いてくれた。
僕が音楽のことで上手く行かず自暴自棄になったときには、
「大丈夫だよ」
君はよくそう言って僕を励ましてくれた。当時はその、どこか他人事にも聞こえる生緩い言葉をナイフのように感じていたけれど、今思えば、僕はどれだけ君のその言葉に救われていただろう。
***
でも、現実は甘くなかった。本当なら疾うに音楽を諦めて次の人生を考えなければならない年齢になっていたが、僕はどうしてもその事実を受け入れることができず、その悶々とした思いを歌詞に変えてノートに書き殴っていた。
傍から見たらなんと惨めで見苦しい光景だろう。
それでも君は何も言わず、先の見えない空き箱の中で、ただ、明日を願っていた。
…ああ、全部僕のせいだ。
思えば僕の音楽、僕の人生、その全てに中身なんて何もなかった!
本当は分かってたんだ。これは凡才の空回りだ。
自分で作り上げた未完の才能という幻想を、ただ独りよがりに演じていただけだ。その果てに一体何が残せようか。
ならばいっそ全て消えてしまえ。僕が作り上げた虚構の産物、偽物の音楽、その全てが灰になって消えたとき、その先に見えるものがきっと、
きっと、それが僕にとっての本当の幸せなんだろうから。
***
なんて、それほどまでに音楽に囚われた人生だった。街に流れている音楽を耳にする度死にたくなるのも病気だ。称賛を浴びる他人が憎い。どうして自分だけが取り残されてしまったのか、毎日考えて、考えて、考え続けて、頭がおかしくなりそうだった。
そうして光の届かない深い谷の底、死に物狂いで作り上げた作品も、風が吹けば一瞬で消えてしまう。誰の目にも留まらなければ、そんなものは無いのと同じだ。もう誰を憎めば良いのかも分からなかった。ただ、自分の才能の無さを呪った。そしてそれを頑なに認めようとしない自分自身を殺してやりたかった。
***
くだらない生活。くだらない音楽。くだらない人生。
それでも君は僕のために、決して涙を見せなかった。希望を捨てずに毎日を生きていた。
…もう全部僕が狂ってたんだ。
こんな腐りきった心の泥から紡ぎ出された歌詞(ことば)に、誰が共感などするものか。結局この厭世も、全部僕のエゴの押しつけだったんだ。
だからさあ、もう何も要らないんだ。
音楽も、明日も、僕も、もう全部消えてしまえよ!
***
そんな激しい情動こそが偽物であると、今の僕にはもう分かっていた。
…本当は辞めたくなんてない。
でも、僕にはこうするしかないんだ。
僕が消えて、漸く君の枷は外れる。君は自由になれるんだ。
汚れた空き箱なんて忘れて、この広く青い空と海のように自由に生きろ。それが僕の願いだ。
僕を、僕の音楽を愛してくれてありがとう。
今から僕の最後の作品が完成する。今まで君に聴かせたどの曲よりも素晴らしい作品になるだろう。
そうさ、死ぬことだって作品なんだから。
僕の死は作品だ。僕の死こそが音楽だ。
そして今、君のおかげで漸く気がついたんだ。
今まで僕はずっと、自分のためだけに曲を書いてきた。でも人生の最後に初めて、人のために曲を書こうと思えたんだ。
これだ。この瞬間を、僕はずっと待っていたんだ。
花咲いてくれよ。これが、僕の人生を賭けた、最低の最高傑作なんだから。
***
眼下の岩礁には大波が叩きつけられ、激しい飛沫を上げている。
綺麗な音だ。
その音色に耳を澄ませながら、一つ、深呼吸をした。
このまま行けと、僕の中の僕が命じた。
フィンセント・ファン・ゴッホ。
――僕も貴方のようになれるだろうか。
足元で、ぽつんと咲いた二輪の向日葵が風に揺れていた。それはまるで僕らの人生を映しているようだった。
ゆっくりとアコースティックギターを抱え、崖の淵に立って空を見上げた。
僕に笑いかけているような、見事な快晴だった。
その透き通った青を目掛けて、僕は地面を蹴った。
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